『サンマとカタール 女川つながる人々』完成披露試写会レポート
3月7日(月)『サンマとカタール 女川つながる人々』の完成披露試写会が、有楽町朝日ホールにて開催された。益田祐美子プロデューサーの「映画をご覧になって、一筋の復興の光を感じていただけたらと思います」という第一声から始まり、日本・カタール友好協会会長三田敏雄さんによる来賓挨拶。それに続いて上映前には、乾弘明監督、映画出演者の阿部淳(あつし)さん(水産加工業)、石森洋悦(ようえつ)さん(女川魚市場買受人共同組合副理事長)、エンディングテーマ曲「光-女川リミックス」を歌う幹mikiさん(宮城県在住シンガーソングライター)が登壇、映画製作のいきさつや、地元復興への思いを語った。また映画上映では、エンドロールが流れる中で、幹mikiさんが舞台上に現れ生歌を披露するという、サプライズも用意されていた。
2011年3月11日、震災よって住民の1割近くが犠牲となり、8割近くの人が住まいを失った宮城県女川町。『サンマとカタール 女川つながる人々』は、そのどん底から立ち上がり、町を再建しようとする人々の姿を追ったドキュメンタリーである。カタールは、震災後、世界で最も早く、しかも120億円近い大金を義援金として提供することを約束してくれた国。そしてそのお金で最初に作ったのが、女川の冷凍冷蔵施設マスカーだった。それは、震災前サンマを特産品としていた女川町の産業復興にとって欠かせないものであるのと同時に、町を復興していくうえで、町民たちの大きな希望の光となった。映画のタイトルはそこに由来する。
「本当に何も無くなって、街の中には瓦礫しかありませんでした。そういう時にカタールフレンド基金が私たちに冷蔵庫を造ってくれました。本当に何もないところに巨大な建物がポツンと一個たちました。それを造ってくれた建設会社もわずか半年という短期間の間に完成させてくれました。その建物が今の女川の第一歩だったのですね。町を何とかしたいという思いと同時に、その一歩をどのように踏み出したらいいかわからなかった私たちにとって、あれが我々の灯台でした。カタールの皆様には心から感謝してもし尽くせません」と、マスカー建設に際し奔走した石森洋悦さんは、その意味の大きさを強調する。
映画自体は、カタールの支援で出来あがったマスカーに焦点を当てるのではなく、復興に携わる住民たちの姿を中心に描いている。まさに三田敏雄日本・カタール友好協会会長が挨拶のなかで語ったとおり「哀しみを心に秘めながら、未来を目指す気持ちを忘れずに進んでいる住民たちの姿に、逆に勇気を与えられる」作品となっている。もっとも、映画の企画当初は、マスカーがカタールの支援によって出来上がるまでの、さまざまなドラマを撮るということでスタートしたという。しかし映画の撮影班が女川町に入った時には、すでにマスカーは完成していた。そこで乾弘明監督は、「それよりも、僕が初めて行った時には更地で何もない状態だった女川で、まさに今、町づくりが始まっている。その様子を克明に撮っていくほうが、今後伝えていくという意味で価値が大きいのではないか」と、すぐに映画の方向転換をしたとのことである。
石森さんは、震災から5年が過ぎた今の女川の状況を冷静に分析する。「昨日のローカル紙に出た報道によりますと、女川町の復興の進捗率というのは、27.3%です。宮城県の中でも極めて低い進捗率であるにも関らず、マスコミはなぜか、女川は復興のトップランナーを走っているというような報道をすることが多いのです。なぜそんな報道をするのか。それは、女川の若い人たちって本当に凄いんですね。その若い人たちに、これからまだもうひと踏ん張りしてもらわなければいけない、そのタイミングでこの映画ができたということが、彼らをもうひと押しする力になるのかなと思っています」
それに対して、映画の中では、若者の中心となって“復幸祭”の企画運営をしていた阿部淳さんは「だいぶ土盛りも進んで、駅も出来、プロムナードというのも完成して、なんとか観光客のみなさんにも来ていただけるようになったのですが、いかんせん住宅の面では復興が進んでおらず、仮設住宅で暮らしている人たちが大勢いるというのが現状です。そのようなわけで、みんな前を向いて一所懸命がんばっていますけれども、いつ心が折れるかといったこともあります」と語った。
映画では、町の復興の様子が2年間にわたって定点カメラで撮り続けられており、それがひとつの見所になっている。駅とその周辺、マスカーを中心にした産業設備は驚異的なスピードで建設が進んでいるのがひと目でわかる。それが「女川は復興のトップランナー」のイメージに繋がっているのだろう。しかしながら、住宅地域に関しては、盛り土はされてはいるものの、家がなかなか出来てこないのがかえって目立っている。低地の海がよく見える場所に、駅などの町の中心となる施設を。住宅に関しては津波が来ても流されることがない高台に。という町のことを長期的に考えた計画のためということもあるが、住宅が出来ない限り、根本的な復興にはまだ遠い感じがする。
阿部さんは、震災から5年経った今の心境を、「人は一人では生きられないということですね。みんなが支え合って、みんなの助けがあって、なんとか一人で立てているということをまざまざと思ったのが、この5年間でした。5年の節目ってよく言われるのですけれども、私の中では5年経ったから何、というのが全然なくて、今はただ目の前にあることを一所懸命しているところです。まだまだ通過点で、前を見ていなきゃ本当に倒れそうになっちゃうんです。なので、本当に心から笑える日が来るまで、それが10年になるか20年になるかわからないのですけれども、そこまで頑張っていければなと考えております」と、語る。映画の中で阿部さんと一緒に仮設バーで呑んでいた青年は、目の前で母親が津波に飲まれ亡くなり、自分だけが生き残ったことを非常に悔やむ。「なぜ自分だけが生き残ったのか」と。肉親を亡くしたわけではない阿部さんも、同じような心境を抱いている。いや、街の人たち全員が同じなのではなかろうか。心の傷があまりに深く、前を向いて歩き続けなければ生きていけない。それが偽らざる本当の気持ちなのだろう。
そんな中、今日完成披露試写会を迎えたことに対しての気持ちを、石森さんは「私はこの映画が女川の子供たちとか、地元の子供たちの将来の教科書になってほしいなと思っております。映画という形で残してくれるということで、数十年経って、あの時我々の先輩は何をやったのか、それを彼らが知ることができる。僕はそれだけで、すごく嬉しいのです。私もなんとか来年の今頃は、新しい家に住みたいなと思っております。着実に復興は進んでおりますけれども、5年というのは、また次なるステージへの第一歩だと思っております。一所懸命頑張りたいと思います。よろしくお願いします」と最後を結び、会場から温かい拍手が送られた。
質疑応答の後には、女川のサンマで毎年秋にサンマ祭をしているという板橋区の子供たちからの花束贈呈があり、登壇者の方たちに笑顔がこぼれた。また、イベント終了後、ロビーでは、爽やかな笑顔で談笑する阿部さんらの姿も垣間見られ、なんだかホッとした気持ちにさせられた。この作品が多くの人に観られ、それが女川をはじめとする被災地への理解に繋がり、また被災地の方々の勇気になることを願うばかりである。
※5月7日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町他、全国順次公開
※「サンマとカタール~女川つながる人々」ポスター&予告編はこちらから→onagawamovie.com
2016年3月25日
[…] ●WEB ・シネマジャーナル http://cinemajournal.seesaa.net/article/434731358.html ・映画と。 http://eigato.com/?p=25418 […]