【TNLF】好きにならずにいられない

これは、チャップリンの『街の灯』の変奏曲である

好きにならずにいられないダーグル・カウリ監督にとって、『氷の国のノイ』以来アイスランドに戻っての撮影となった本作は、孤独な人の生活と向き合おうとしている点で、彼の原点に戻ったかのような感がある。主人公フシ役のグンナル・ヨンソンは、監督が15年前に見たテレビ番組で一目ぼれし、今回の起用になったという。そもそも、英語タイトル『ヴァージン・マウンテン』のマウンテンとは、山のような大きな男という意味を持っており、主人公フシのことを言い表している。そのことからも想像できるとおり、この作品自体が、グンナル・ヨンソンにインスパイアされて出来たものである。

グンナル・ヨンソンの風体は、どこか『黄金狂時代』のマック・スウェインを彷彿させるところがある。憐れ、極限の飢えからチャップリンを鶏と間違え、追いかけるあの巨漢である。身体は大きいけれど凶暴ではなく、むしろ優しそうで、とぼけた味わいを持った男。もっとも、彼の役どころはマック・スウェインではなく、むしろチャップリンである。街のダンス教室に出掛けてはみたものの、練習する生徒たちの姿を見て臆してしまい、教室の外から中を伺うことしかできなかった彼の背中は、『黄金狂時代』で、ダンス・ホールの外から寂しそうに中を覗いていた、チャップリンのようではないか。アラスカとアイスランド、土地こそ違うが、厳しい雪嵐の中、外から暖かい部屋の中を一人覗くその背中に、孤独が滲む。

作品自体は『街の灯』の変奏曲といった趣がある。両作には、意外と共通点が多いのだ。フシが思いを寄せる、精神に問題を抱えた女性シェヴンは、花屋で店員をしていた。いわば“花売り娘”である。チャップリンが盲目の花売り娘から籠の中のすべての花を買ったのに対して、フシは花屋でたくさんの花を買い、彼女の部屋をいっぱいの花束で満たす。盲目の花売り娘は、チャップリンの身なりを知らなかったゆえに、彼をお金持の青年と勘違いしてしまう。彼女に見えたのは、彼の優しい心だった。それに対してシェヴンもまた、フシの特異な風貌をなんら気にしていないように見える。嵐の中、車で家まで送ってくれた親切、彼の心の優しさ、美しさが彼女には見えているようだ。そんな2人には偏見がない。チャップリンは、なんとか彼女の目を見えるようにしてあげようと、懸命に働く。それに対してフシもまた、彼女の精神を暗闇から明るいところに出してあげたいと、懸命に働く。貯金を叩いて、花屋を開いてあげようか、あるいは憧れの外国に連れだしてみようかと、色々考えて行動に移す。例え彼女がそれに対して応えてくれなかったとしても、彼は辛抱強く待ち続ける。

2人とも、彼女に対してそこまでするのは、彼女が自分を差別しなかったからなのかもしれない。その身なりだけで、泥棒と間違えられ警察に捕まってしまったチャップリン。一方近所の女の子にせがまれドライブしただけなのに、そのオタクっぽい風貌から、少女誘拐と間違えられ、警察に捕まってしまったフシ。世間の冷たさを知っているがゆえに、孤独の罠に陥り、そこから抜け出せなかった2人。彼女のお陰で自分が救われたからこそ、彼らはそこまで尽くそうと決心したのだろう。

 しかし、両作のラストの意味は大きく違っている。『街の灯』では、チャップリンは自身を大きく突き放しているのに対して、本作のダーグル・カウリ監督が主人公を見つめる目はあくまでも暖かい。『街の灯』の娘が単に盲目の娘とされ、名前が無かったのに対して、本作の彼女にはシェヴンという名前がつけられている。実はこれは、北欧神話に登場する愛の女神の名前なのである。愛の女神を愛したフシに、悪いことが起きようはずがない。これまで消極的な人生を送って来たフシは、彼女のために積極的に行動することによって、もうすでに、より豊かな人生を手に入れているのである。そういう意味で本作は、人を愛することの大切さが身に沁みる作品となっている。

※提供:マジックアワー、2016年初夏公開予定


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