ひつじ村の兄弟
兄弟って何だろう。本作を観てそんなことを考えてしまった。NHK連続テレビ小説「あさが来た」では主人公あさと姉はつの固い絆が描かれており、彼女達を羨ましく思ったりもする。反対に歴史上では、織田信長や徳川家光などが実の弟を死に追いやるなど悲劇も生まれている。もちろん今とは時代が違うことも考慮しなければならないが、同じ父母から生まれた兄弟と言えども敵であり、他人以上に憎く、脅威の存在だったのだろう。言うなれば兄弟とは最大最強の味方にも敵にもなりうるということかもしれない。
本作の主人公は、アイスランドの辺境の村で牧羊を生業としているグミーとキディーの老いた兄弟だ。この二人、隣同士に住んでいながら何と40年以上口をきいていないという絶縁状態にある。伝えなければならないことは犬にメモを持たせ(くわえさせ)、伝書鳩の役割をさせている始末。我々だって普通に社会人をやっていれば、嫌いな人も苦手な人もいる。それでも必要最低限の口をきく。所謂「仕事の話しかしません」というやつだが、それが常識的な大人の対応だ。だから“伝書犬”もどうかと思うが、怒ってそのメモを破り捨てるなど、彼らの子供っぽさや短慮さには呆れるしかない。
この兄弟、同じ血を引いていること以外の共通項は羊だ。彼らは羊のために全人生を捧げていると言っても過言ではない。だがそんなある日、キディーの羊が伝染病に冒されていることが確認され、村の全ての羊が殺処分されることが決まり、彼らの運命が一変する。
まるで地球の果てかのような荒涼とした大地を背景として、羊の殺処分や畜産を廃業していく村人など、過酷な物語が淡々と描かれていく。そんな状況下でも二人の不仲は相変わらず。というよりグミーがキディーの羊の異変に気付いたために殺処分の事態に陥ったことで、より険悪になっている。だが二人はある重大な出来事を契機に、歩み寄りをみせる。それは「敵の敵は味方」のセオリーに則ったかたちであり、愛する羊のための共闘だ。苦渋の選択だが、困難に立ち向かうには兄弟で力を合わせるしかないと悟り、不器用ながらも大人になっていく。
私は兄弟だからといって無条件に仲が良く、分かり合えるというのは幻想と考えているので、グミーとキディーがいがみ合うのは理解できる。ただ他人ならドライになれても、兄弟にはどうしても完全に断ち切れない何かもある。それは血のなせる業というか、宿命というべきなのか・・・。兄弟って何とまあ厄介で複雑な存在だろうか。本当に面倒くさくて腹立たしい。ただ彼らには羊がいた。羊への愛が、実は彼らにとっては兄弟愛を象徴するもの。バカみたいに反目していた兄弟が、羊を媒介として最大最強の味方へと変化し、ラストの彼らの冷え切った関係をも温めるかのような行為には、気高さすら覚えるのだ。
人間も羊も大自然の脅威の前では小さな存在だ。だがそれでも必死に抗う彼らの姿は、愚かしくもあり、おかしくもあり、そしていとおしい。本作はそんな生きとし生けるものの営みを寄り添うように見つめ、厳しさのなかにもささやかな祝福を与えている。
(C)2015 Netop Films, Hark Kvikmyndagerd, Profile Pictures
第68回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」グランプリ受賞
12月19日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
2015年12月15日
ひつじ村の兄弟/ほのぼのおじいちゃん映画と思いきや!
ひつじ村の兄弟Hrutar/RAMS/監督:グリームル・ハゥコーナルソン/2015年/アイスランド、デンマーク これでR指定は厳しすぎるのではないかな? マスコミ試写で鑑賞。ほのぼのタイトルでR15という謎に惹かれて見ました。おじいちゃんだしね。 あらすじ:ひつじが好きなおじいちゃん兄弟がいがみあいます。 ・兄弟、片方は社交的、片方は孤独 ・隣に住んでるのに何年も話してない、話さないだけでジェスチャーでのやり取りはある 、手紙を犬に運ばせるなども ・血の繋がりがあるか…