【FILMeX】最愛の子(特別招待作品)
観客の感情に訴えかけるエンタメ社会派映画の傑作
2015年11月28日(土)
社会派映画と括られるジャンルがある。この作品が社会派映画かと問われれば、そうとも言えるし、そうとも言えないところがある。確かに社会問題は扱ってはいるものの、エンターテインメント性の強い作品であるからだ。子供の誘拐と親の苦しみを描いたストーリーが実話に基づいており、メッセージ性を持っているという点では社会派映画的側面があるのだが、冒頭の父親と3歳の息子ポンポンとの会話は、ちょっとコメディ・タッチになっていて、いわゆる社会派映画的な作品とは一線を画している。そもそもコミカルな演技を得意とするホアン・ボーを父親役に持ってきたところに、ピーター・チャン監督の明確な意図が感じられるのだ。彼のコメディアン的資質、ストレートな感情表現が観客に親しみを覚えさせ、感情移入をよりしやすくしている。
本作が魅力的なのは、父親ホアン・ボーの子供を思う気持ちが、ストレートに観客に伝わってくるところにあるだろう。仕事も何も投げ打って、深圳の街を走り回る彼の姿に胸を打たれない人なんているだろうか。例え、それがいたずらとわかっていても、詐欺とわかっていても、藁をもすがる気持で出掛けて行ってしまうのを誰が否定できようか。一瞬息子を連れた誘拐犯と父親が、死角に入っていたために気が付かずにすれ違うシーンがある。『ラヴソング』を彷彿させる、ピーター・チャン監督十八番のこのシーンも、運命の皮肉を感じさせ、より感情に訴えかける効果を出している。
子供をさらわれた人たちが一様に抱く気持ち、すなわち同じ体験をした人以外にはこの気持ちは決して理解できないはずという気持ちを、感情に訴えかけることで、観客に伝える。それは疑似体験といったようなもので、体験談を聞いて同情を呼び醒ます行為とは、また違ったものである。離婚してポンポンとは別に暮らしていた母親が、今の夫が自分を理解できないことに対して苛立つ気持ちも、よく理解できる。その逆に、被害者の会の集まりでは、連帯感のようなものが生まれて行く。
この作品のユニークな点は、前半では子供を誘拐された両親が、必死に子供を探す中での苦しみを描いているのに対して、後半では誘拐した側の母親に焦点を当てているところである。ヴィッキー・チャオがすっぴんで、なりふり構わないといった体で好演している。貧しい農村に住むこの女性には子供ができないことから、夫は捨て子を拾ってきたとか言い訳を考えて、実は子供を誘拐してきている。妻はその事実を知らずに、子供を我が子のように可愛がり育てている。そんなところに実の親が現れて、警察が来て、子供が連れて行かれたのだから激しく動揺する。夫はすでに亡く、頼れるのは子供だけだった彼女にとっては、まさに青天の霹靂のような出来事であったはずだ。何とか子供を取り戻そうとする彼女の行為は許されるものではないが、その気持ちはよくわかる。子供もすでに誘拐される前の記憶がなく、彼女を実の親と思い込んでいるところが悲劇で、憐れである。
悪いのは、育てていた母ではない。彼女の無知であり、そんな環境を作りだした社会である。経済の格差が貧しい人たちを生みだし、中国の一人っ子政策が、子供の誘拐、人身売買事件を引き起こした。1年間に8000人もの人が誘拐事件に巻き込まれ、保護される社会というのは、異常である。映画は、そうした事実を挙げることではなく、両者の思いを観客にストレートに伝えることで、かえってそのことに思い至らせることに成功している。実際、本作は中国国内で大ヒット、さまざまな反響を巻き起こした。子供を取り戻す運動に参加する人が増え、誘拐された子供を買う親も重罪とするなどの刑法改正まで行われたという。もしこの作品が大ヒットとならなかったら、当然こうしたことは起こらなかったはずであり、そう考えるとこの作品の価値は社会的貢献という意味では、地味な社会派映画よりよっぽど高く、こうした映画のあり方ということまで考えさせられてしまう。
2016年1月16日(土)からシネスイッチ銀座他全国ロードショー
▼第16回東京フィルメックス▼
期間:2015年11月21日(土)〜11月29日(日)
場所:有楽町朝日ホール・TOHOシネマズ日劇・有楽町スバル座
公式サイト:http://filmex.net/2015/