【FILMeX】黒い雌鶏(コンペティション)

映画と。ライターによるクロスレビューです。

【作品解説】

(東京フィルメックス公式サイトより)
黒い雌鶏
2001年、内戦下のネパール北部の小さな村。カーストの差を越えて友情を育んでいるプラカシュとキランは、姿を消した雌鶏を探すために旅に出る。だがそこで彼らが目にしたものは…。ミン・バハドゥル・バムの長編デビュー作。ヴェネチア映画祭批評家週間の最優秀賞を受賞。

【クロスレビュー】

富田優子/友情の輝きと内戦の脅威の落差の暗澹たる余韻度:★★★★☆

映画とは知らない世界を教えてくれるツールだと改めて痛感した。というのは1996年から11年に及ぶ国王派と毛沢東主義者によるネパール内戦の詳細もよく知らず、そしてネパールにカースト制が存在していたことは、恥ずかしながら本作を見て初めて知った次第だ。中国とインドという大国に挟まれ翻弄されたネパール。毛沢東主義へ傾倒し兵士となる若者の姿も描かれているが、ミン・バハドゥル・バム監督は世界からあまり顧みられることがなかったネパール内戦を描くことで、今も昔もテロリストを生む構造は変わっていないと警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。カースト制の枠を超えて友情を育む少年たちの輝きが純粋な分、その穏やかな生活を破壊する脅威との落差に、暗澹たる余韻が胸を締め付ける。

藤澤貞彦/戦争を引き起こす原因の核心度:★★★★☆

この作品を観ていると、なぜネパールで内戦が起きたのか、毛沢東主義者が増えていったのかが、小さな村の素朴な子供たちの物語だからこそ、よくわかる。ひとことで言えば貧富の差。それを固定化させるカースト制度。村長の家には、鶏が何羽もいるというのに、主人公の男の子は、1羽の鶏のために奔走する。鶏1羽を遠くからわざわざ買いに来る、さらに貧しい仏教徒もいる。少年の父親は不可触民と蔑まれながらも、なお村長の家にお手伝いに行く。実は少年の親友は、村長の息子。彼らにはまだ偏見がない。そんな一見救いとなりそうな子供たちのエピソードにさえ、村長の息子が街の学校に行くことが決まっており、影を落としている。まもなく2人は別の世界で生きていくことだろう。ベルトルッチ『1900年』のデ・ニーロとドパルデューのように。これは、ネパールだけの話ではない。


ネパール、フランス、ドイツ / 2015 / 91分


▼第16回東京フィルメックス▼
期間:2015年11月21日(土)〜11月29日(日)
場所:有楽町朝日ホール・TOHOシネマズ日劇・有楽町スバル座
公式サイト:http://filmex.net/2015/

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