【TIFF】カランダールの雪(コンペティション)

絶望と夢の狭間に咲いた、希望という名の花

カランダールの雪

©Karafilm

貧しさから脱出するため、一攫千金を夢見て行動し、より家族を窮地に立たせるというストーリー自体は、古今東西を問わず、確かに珍しいものではない。いずれの作品でも言えるのは、所詮素人の思いつきに過ぎず、それが決してうまくいかないことである。本作の主人公メフメットもそんな一人で、ひと夏を金鉱探しに費やし、家族の生活をより窮地に追いやっている。ムスタファ・カラ監督は、上映後のQ&Aの中で、この作品は、エキゾチックなものを描きたかったわけではなくて、世界のどこであっても、街でも村でも、普遍的にある物語を描きたかったと、語っていた。しかし、観客としては、トルコの山岳地帯の雄大な風景と、そこで暮らす人々の日常生活の珍しさのほうに、どうしても目がいってしまう。まるでロバート・フラハティ監督の『極北のナヌーク』でも観ている時のように。

実際、大自然の中でわずかな家畜と共に生きる彼らの生活は、周りの自然とは切っても切り離せない関係にあるため、それらは物語の重要なメタファーにならざるをえないのである。突然どこからともなく霞が現れたかと思うと、間もなくそれが山全体を覆っていき降りだす雨。山の下のほうで鳴り響く雷。夏が終わると、秋を味わう時間もなく慌ただしく冬支度を始める、木々や草花。家が押しつぶされるのではないかと心配になるほどの大雪。雪が解け始めると突然、溜め込んでいたエネルギーを一気に放出するかのように山を覆っていき、人の背丈以上に伸びていく緑のベルト。ここでは、人もまた自然の一部であり、気持ちもこの自然に左右される。秋の訪れと共に、何事も成し遂げられなかった自分を呪い、何もできない冬に絶望を感じ、暖かくなり自然が豊かになるにつれて、再び見果てぬ夢を見始める。メフメットのこれまでの人生は、この繰り返しであったことだろう。

そんな夫に愛想を尽かす妻と、その家族。涙を流して、牛を闘牛に出したいと懇願する夫は、誠に情けない限りだが、その牛が家族に小さな希望をもたらす。牛の訓練をする時の、生き生きとしたメフメットの姿を見て、妻は彼を心から応援するようになる。子供も父親と過ごす時間が長くなり、彼を慕うようになる。子牛も生まれる。手を掛ければ掛けるほど、牛の毛並みは良くなり、家族は希望という名の儚い夢で、ようやく絆を取り戻す。結果はどうあれ、自然と共に生きる農家の人にとっては、出稼ぎや金鉱探しなどではなく、家族が集まり、家畜と共に生きることが、何より自然な姿であり、幸せを生む。人間は絶望だけでは生きていけない。夢だけでも生きていけないが、希望がなくては生きていけない。そんな人間の弱さと強さが、自然と共に生きざるをえないシンプルな暮らしゆえに、より一層鮮明に浮かび上がってきている。そういう意味では、確かにこの作品には普遍性がある。

映画製作自体もまた、この自然を前にしては、必ずしも思いどおりにはならなかったのではと、想像する。雪の風景を狙い、例えその季節に足を運んだとしても、その年が大雪になるか、少雪にとどまるかなどということは、予測もつかないし、ましてや雪の量を撮影のためコントロールすることなどは、不可能なことだからである。そういう意味で、彼らの生活同様、撮影もまた、自然と向き合わされざるをえない状況であり、それが、この作品によりリアルさを与えたと言えるだろう。



※第28回東京国際映画祭 最優秀監督賞(ムスタファ・カラ)、WOWOW賞

©Karafilm
139分 トルコ語 カラー|2015年 トルコ=ハンガリー|


【第28回東京国際映画祭】
開催期間:2015年10月22日(木)〜10月31日(土)
会場:TOHOシネマズ六本木ヒルズ、新宿バルト9、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ新宿、東京国立近代美術館フィルムセンター、歌舞伎座
公式サイト:http://2015.tiff-jp.net/ja/

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