レバノン

戦車の中で兵士たちと共に体験する、戦場の恐怖

1982年、イスラエルはレバノンに侵攻、レバノン戦争が始まる。この映画はその最初の日を描く。といっても、この映画の瞠目すべき点は、終盤に至るまで戦車の中からキャメラが出ない点にある。1時間45分、我々観客は、兵士たちと戦車の中から戦場を目撃することとなる。

最初に入る爆撃された後の街が生々しい。戦車の照準スコープが、舐めるように街の様子を映し出す。ハンドルを握ったまま、焼け焦げ息絶えてしまった男たち。カフェに座る男ふたり、ひとりは、頭から血を流してテーブルに突っ伏してしまっている。話し相手の突然の死に、なんの感情もないように呆然と空を見つめたままのもうひとりの男。お腹をえぐられたロバが道端に倒れている。息も絶え絶えで、目から涙が一滴流れ落ちる。彼らになんの罪があることだろう。瓦礫となったアパートの2階には、聖母子像の絵がかけられている。突然そこに住む母娘を盾に銃撃を仕掛けてくるアラブの兵士。戦車は子供ごと砲弾で建物を吹き飛ばしてしまう。戦場とはいえ、そこは元々普通の人々が暮らす街。戦場にしてしまったのは、イスラエル、他ならぬ彼ら自身である。

そもそもこの戦争でイスラエルが戦おうとした相手はレバノン人ではなく、そこにゲリラ活動の拠点として駐留していたPLOである。照準スコープから見えてくる世界の視野はせまいのだが、そこからもこの戦争の混沌は見えてくる。街で抵抗することもできず、殺されていく住民はアラブ人とキリスト教徒(マロン派)だ。しかし、彼らを盾に取って攻撃をしてくるのもアラブ人(PLO)、反対にイスラエル兵に協力してくるのもアラブ人(ドルーズ派)だ。レバノンは、元々ローマ時代以来のキリスト教徒たちが住む土地。しかし、オスマントルコ、フランスと時代によって、さまざまな国の支配を受け、いつしかイスラム5宗派、キリスト教12宗派、ユダヤ教の人々が住む宗教のモザイク国家となってしまった。そういう複雑な事情のため、イスラエル兵には、罪のない住民と敵と味方の区別がつかない。戦車で戦場に入った最初の朝、新米射撃手がゲリラ組織の車への砲撃をためらい、味方の犠牲を出してしまった後、今度は普通の農民の車に砲弾を浴びせてしまうのも致し方ない。

戦車に兵士は4名、隊長、運転士、砲撃手、砲弾運搬係が乗りこんでいる。射撃手にとっては初めての戦争だ。6月6日、侵攻の初日、最前線に入っていく戦車の乗組員として抜擢された彼は、おそらく成績優秀な訓練兵だったことだろう。それゆえに、かえって最初の失敗、あるいは街の現実を目の前に委縮してしまう。当然、砲撃手が頼りなければ、自分たちの命が危険にさらされることになる。さらには、狭い車内ゆえの閉塞感、自分たちの周りで何が起きているのか全貌がつかめない閉じられた空間の中で、男たちの統制は乱れていく。エゴとエゴがぶつかり合い、いつしか車内は疑心暗鬼と恐怖の渦に飲み込まれ、男たちの神経はズタズタにされる。のちに多数の兵士たちがトラウマに苦しんだというこの戦争の本質がここに凝縮されている。

ところで、戦車の中の兵士たちには、明確な指令が与えられていない。空爆の後の街を歩兵たちと共に進軍し、テロリストがいたら攻撃せよ。夜にはホテルで落ち合うこと。ただこれだけである。地図もなければ、情報もない。無線だけが頼りである。そんな状況下で戦車が故障し立ち往生、部隊からはぐれてしまった時の恐怖は、計り知れない。

また、この作品では通常の映画にあるような、主人公たちを遠くから捉えるようなショットがない。かなりリアリズムっぽかった『ハート・ロッカー』でさえ、主人公のいる場所が別の角度からも映されていて、観客には彼らが知りえないことを情報として与えられている。その点この作品では、情報が無いということにおいては、兵士たちも観客もまったく同じである。ただ、戦車の中から見た狭い世界だけが、わかることのすべて。それゆえ彼らの不安がそのままストレートにこちら側に伝わるという効果を生んでいる。感覚としては、レマルクの「西部戦線異常なし」に近い。塹壕の中で砲弾におびえ、進軍と退却を繰り返すだけの日々。主人公が見たことが物語のすべてであり、そのことで、より主人公の内面の葛藤が浮き彫りにされるという語り口。ドイツが始めた戦争、そういう政治的なことは関係なく、ただそこに、常軌を逸した戦場があるだけであるという点。細かいことは言えないのだが、この映画のラストも、まさに「西部戦線異常なし」を思わせる。また、予告編でもちらりと見えるひまわり畑は、ヴィットリオ・デシーカ監督の『ひまわり』へのオマージュ。すると、この作品は、イタリアン・ネオリアリスモの遠い子孫ということにもなるかもしれない。いずれにしても、ここには私たち日本人の知らない戦場の真実とも言えるべきものがある。その迫力たるや…それゆえぜひともこの作品を劇場で体験し、いま一度戦争について考えるきっかけにしていただければと思う。

オススメ度:★★★★★

Text by:藤澤 貞彦
配給:プライムウェーブ
12月11日(土)よりシアターN渋谷開館5周年記念ロードショー

【原題】LEBANON
【監督・脚本】サミュエル・マオス
【出演】ヨアフ・ドナ、イタイ・タイラン、オシュリ・コーエンほか
2009年/イスラエル・仏・英/1時間45分
オフィシャルサイト:プライムウェーブ「レバノン」

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