あの日のように抱きしめて

ホロコーストがもたらした罪の深さ、そして70年後の現在にも連なる複雑さ

「あの日のように抱きしめて」main 戦後70年という節目の年である今年、ナチス絡みの作品が多く公開される。そのなかでも『東ベルリンから来た女』(12)のクリスティアン・ペッツォルト監督の新作『あの日のように抱きしめて』は、ドイツ人の夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)とユダヤ人の妻ネリー(ニーナ・ホス)を主人公として、戦争が終わっても、ユダヤ人が解放されても、ナチス暗黒の時代の傷跡はごく普通の人々の人生を狂わせていく悲劇を、ノワール風味で描いた作品だ。ペッツォルト監督が前作の主演コンビ、ホスとツェアフェルトを再起用した点も注目されている。

ナチス降伏後の1945年6月、ネリーは強制収容所で顔に大怪我を負いながらも生還。親友レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)とドイツに戻り、顔の再建手術を受ける。レネはパレスチナへの移住計画を立てているが、ネリーの望みは夫ジョニーを探し、戦前のような過去を取り戻すこと。やがて顔の傷が癒え、ネリーはついに夫と再会するが、彼は妻は収容所で死んだと思い込んでおり、容貌の変わったネリーを妻だと気づかない。しかも、「君は妻に似ている」と亡くなった妻になりすまし遺産を山分けしようとネリーに持ちかけるが・・・。

普通に考えれば、ジョニーが妻に気づくきっかけは多々ありそうなものだ。彼はネリーに妻の歩き方や癖を覚えるようにと教えるが(妻本人に教えていることになり、あまりにも滑稽で哀しい)、その際に彼女の手を取ったり、頬に触れたりしているのだから、肌感覚で分かってもよさそうなものだが・・・。それに声は?眼差しは?筆跡だって完全に一致しているじゃん!・・・とジョニーの態度にどうして?と不可解な思いが頭のなかをぐるぐる回る。しかもネリーが逮捕されたのが1944年10月で、わずか8か月で妻を忘れてしまうものなのか。

ジョニーの忘却の原因は映画で直接言及されているわけではない。ただ“普通”という言葉はここでは通用しないのだろう。なぜなら夫が妻に気づかないことも、妻が自分自身になりすますことも、異常なことだからだ。幸せだった夫婦を引き裂いた大元の原因はナチスであり、戦争だ。そして彼らは戦後も戦時中の狂った状況を引きずっている。戦争が終結し、ユダヤ人が解放されたから“めでたしめでたし”で終わるのではなく、戦争やホロコーストがもたらしたものの罪深さを考えさせられる。

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  1. ここなつ映画レビュー

    「あの日のように抱きしめて」

    「SPEAK LOW」…この曲だったんだ…。全編通して狂おしい程に響いてくるコントラバスの旋律の正体は。そこに全て繋がる、凄い、素晴らしいラスト。その余韻。見応えのある濃厚なサスペンスと哀しみの籠ったラブストーリー。第二次世界大戦終了直後、ユダヤ人収容所生活から永らえたものの、顔に修復のきかないほどの傷を負ったネリー(ニーナ・ホス)は、ユダヤ人活動家のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に助けられ、ドイツに戻って顔の整形手術を受ける。元の自分の顔に戻して欲しかったネリーだったが、それは叶わず、別人のよう…

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