フリーダ・カーロの遺品 – 石内都、織るように

「被写体に話しかけていると、向こうも語りかけてくれる」写真家石内都の本質を映像化

frida_main石内都から多くの影響を受けたという小谷忠典監督は、いつか石内都本人を映画で描きたいと思っていたという。そして、その時は突然訪れた。彼女は、丁度フリーダ・カーロの遺品の写真を撮りにメキシコへ行くところだという。「でも2週間後よ」と。

2013年にも、リンダ・ホーグランド監督『ひろしま 石内都・遺されたものたち』という作品が公開されている。「被写体に話しかけていると、向こうも語りかけてくれる。だから美しく撮ってあげたい」原爆資料館に保存されていたもの憂げな日本人形が、彼女のカメラのファインダーを通すことによって、まるで悲しみから解放されたかのように、優しげで美しい姿に変化したことに、息を呑んだ。本作においても、その奇跡は捉えられている。フリーダ・カーロが愛用した民族衣装テワナ。左右の高さを変えて作られたハイ・ヒール。背骨の痛みを矯正するために使われた、重そうなコルセット。病気と事故の後遺症に苦しみながらも、女性らしくお洒落をし、人生を楽しもうとし、精いっぱい生きたフリーダ・カーロ本人の苦闘の日々。石内都の作品を見る前には、そういったものが滲み出てくるのかと思っていた。しかし意外なことに、彼女の写真から伝わって来たのは、死者の、生から解放された後の解放感、その後訪れたであろう魂の穏やかな安らぎだった。もちろん、写真から溢れだしてくる感情は「ひろしま」の時ともまるで違ったものである。

mexico11小谷忠典監督は、その不思議に導かれるようにして、写真撮影現場のロケ後、再びメキシコを訪れる。そこで写された映像は、死者の日(11月1日、2日)に、ガイコツのメークをして街を練り歩く人々。黄色いマリーゴールドの花をお墓に供え、死者と共に食べて飲んで過ごす家族の肖像。また、祖母から母へ、母から娘へと代々受け継がれていくテワナ(ドレス)を着て踊る女性。昔から受け継がれてきた伝統的な手法で、一針ずつ丁寧に刺繍が施されていくテワナの製作過程など。そこから見えてきたのは、メキシコの人たちにとって死が決して遠い存在ではないこと、代々受け継がれる女性達の伝統によって、死が決して無になることではないことであった。

石内都の写真に写されたフリーダ・カーロのドレスは、これらメキシコの伝統文化とは無関係ではない。そこに、フリーダ・カーロがユダヤ人の父とメキシコ人の母の元に生まれ、西洋社会で活躍しながらも、常に自分のメキシコ人としての血にこだわっていたことが滲み出るのと同時に、子供を授からなかったとはいえ数々の作品を残すことにより、一人のメキシコの女として生きた、その心を後世に伝えられたという安堵感が溢れだしているようにも見える。写真から感じられた解放感とは、このことだったのだ。

frida_sub3 この2度目のロケは、石内都本人が出てこないというのに、彼女の視点を感じさせるものとなっている。それは、彼女の仕事が本作にインスピレーションを与えたからなのであるが、それにしてもそのスピリッツは女性的である。いわば、彼女は、写真撮影を通じ遺品と対話することによって、フリーダ・カーロと小谷忠典監督とを繋ぐ仲介者になっていたのではなかろうか。それ故に、2度目のロケで写し撮られたものは、石内都を通じてフリーダ・カーロが語りたかったことそのもの、という気がしてくるのである。石内都の仕事の本質とは、まさにこれ。生と死は地続きであること。その体現として、写真を観る者と死者との間の橋渡しをすることである。そういう意味でこの作品は、石内都の作品の本質を、身をもって映像化した作品と言えるものになっている。



frida_sub1▼作品情報▼
監督:小谷忠典
プロデューサー: 大澤一生
制作:眞鍋弥生
撮影:小谷忠典
音楽:磯端伸一
出演:石内都
制作・配給:ノンデライコ
(2015/日本/89分)
公式サイト:http://legacy-frida.info/
(C)ノンデライコ2015
※2015年8月8日シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

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