『ボヴァリー夫人とパン屋』アンヌ・フォンテーヌ監督インタビュー

ヒロインはモダンでありながらクラシックであることが必要だった

アンヌ・フォンテーヌ監督 もしも自分の隣家に好きなタレントや歴史上の有名人物と同姓同名の人物が引っ越してくると知ったらどうだろう?その名前を聞いたときに一瞬、ええっ!と思うに違いない。とはいえ、隣人は結局、そのタレントなどと無関係なのだから、とかく大騒ぎするほどのことでもない。

ところがこの『ボヴァリー夫人とパン屋』の主人公はそうはいかなかった。ノルマンディーでパン屋を営むマルタン(ファブリス・ルキーニ)は隣家に英国人夫婦、チャーリー(ジェイソン・フレミング)とジェマ(ジェマ・アータートン)というボヴァリー夫妻が引っ越してくることを知り、“ボヴァリー夫人”がやってくる!と動揺する。というのは、彼はフローベールの「ボヴァリー夫人」を本がボロボロになるほど愛読している。しかも“ボヴァリー夫人”のファーストネームはエンマで、隣人はジェマ。名前も限りなく似通っていることもあり、ジェマがボヴァリー夫人と同じく不倫に走り、最後は自殺するのではないか・・・という妄想に掻き立てられ、彼女から目が離せなくなってしまうのだ。

そんな現実と妄想が交錯した物語は、「ねこのぱんやさん」などで知られるポージー・シモンズのグラフィックノベル「Gemma Bovery」が原作で、『恍惚』(03)や『ココ・アヴァン・シャネル』(09)などで知られるアンヌ・フォンテーヌ監督が映画化したもの。官能的で、コミカルで、悲劇で、ブラックで、そして何ともあの秀逸なラストのオチときたら!フォンテーヌ監督の卓越したセンスに唸らされる。
今回、先月開催されたフランス映画祭の際に来日したフォンテーヌ監督に本作についてお話を伺ったので、以下にお届けする。

――フォンテーヌ監督が本作の原作を知り、映画化されたいと思ったきっかけを教えて下さい。

アンヌ・フォンテーヌ監督(以下AF):偶然だったのですが、知り合いのフランス人プロデューサーの机上に原作本が置いてありました。それは特に私に映画化してほしいというわけではなく、ただ単に置いてあったものでした。でもそれを見たときにタイトルの「Gemma Bovery」を見て、おっと思ったんです。また表紙の絵を見てミステリアスだなと興味を持ちました。読んでみたらファンタジーですが、面白い方法でフランス文学における伝説的人物をモチーフとしている、ポージー・シモンズの筆致に魅了されて映画にしたいと思いました。

――原作と映画で設定を変えたところはありますか?

AF:マルタンはパン屋ですし、ジェマは英国人で、物語の舞台はノルマンディーなどの設定は原作通りです。ただし、本にはなくて私が映画のために加えたシーンはいくつかあります。

bovery_メイン ――それは具体的にどんな場面でしょうか?

AF:マルタンがジェマにパンの練り方を教えるシーンや、ラストのオチです。原作のエスプリを尊重しつつ書き加えました。あのラスト、本当におかしいでしょう。

――マルタン役のファブリス・ルキーニさんの存在なくして成り立たない作品だったと思います。ルキーニさんへオファーした経緯、彼が役づくりに関して自分から意見をされたことはありますか?

AF:ルキーニのことは『キャスター 裸のマドンナ』(08)や舞台でも一緒に仕事をしていたし、昔からよく知っています。ですので原作を読んだとき、知的な文学狂のパン屋を演じられるのは、ルキーニだとすぐに思いました。彼自身もフローベールのファンで「ボヴァリー夫人」のことを普段からよく話しているんですよ。そういう点からも彼がマルタンにふさわしいと思いました。彼はいろいろなアイディアを出すことができるオリジナリティーがある人なので、撮影現場で様々な即興を繰り返しやっていました。とても面白い人です。

――また、ヒロインのジェマ・ボヴァリーを演じたジェマ・アータートンさんがとても魅力的でした。彼女の起用理由を教えて下さい。ジェマさんは本作の原作者でもあるシモンズの作品を、スティーヴン・フリアーズ監督が映画化された『タマラ・ドゥル~恋のさや当て~』(10/未公開)でも主人公を務めていますが、その影響もあったでしょうか?

AF:いいえ、むしろその逆でした。私はジェマを当初はヒロインのキャスティングから外していました。物語は違えど、同じ原作者の映画化作品に主演していたことで敢えて避けていたのです。他の英国人女優のオーディションをしていたのですが、どの女優もあまりピンとこなくて。そこでジェマがヒロインにふさわしいことは分かっていたので(名前も同じジェマですしね)、やはり彼女に会ってみようと思い、ロンドンで会いました。そして彼女が部屋に入ってきた一瞬で、彼女に決めました。彼女は官能的で親しみやすい人だし、この役には(「ボヴァリー夫人」のファーストネームである)「エンマ」と「ジェマ」を演じられるような、モダンでありながらクラシックであることが必要だったのですが、彼女はそれを持ち合わせていたからです。

bovery_サブ1 ――ジェマさんの他にも、ヒロインの夫役にはジェイソン・フレミングさんなど英国出身の俳優を起用されています。フォンテーヌ監督の前作『美しい絵の崩壊』(13)でもナオミ・ワッツさんやロビン・ライトさんなど英語圏の俳優を起用されていますが、フランス語圏以外の俳優を起用されるに当たって、監督のポリシーというか留意されている点は何かあるのでしょうか?

AF:これといったポリシーがあるわけではありません。映画はテーマありきのものです。『美しい絵』は舞台が豪州、そこでフランス人女優を使うのは不自然なので、英語圏の人を選びました。常にテーマとキャラクターがぴったり合う俳優を選んでいます。それは言葉の問題ではなく、芸術的な理由ですね。『美しい絵』のナオミとロビンはセクシーで演技が上手いので決めました。本作のジェマもノルマンディーにやってくる英国人でないといけないので、英国人俳優から決めました。

――マルタンの独白から映画が始まる狙いは何でしょうか?

AF:マルタンが「私はこれこれこういう者で、こんな考えを持っていて~」などと観客に語りかけているのは、マルタンが映画作家であるかのような印象を与えたかったので、あのような撮り方をしました。映画においてキャラクターがカメラ(と観客)に語りかけるのはそんなに使われているわけではありませんが、1つのスタイルとして選択しました。

――不倫を観察するというテーマは『恍惚』でも使われていましたが、不倫を観察するような人物を描くことは、監督にとってどんな魅力があるのでしょうか?

AF:観察者に興味がなかったら、私はそういう映画は撮らないでしょう。なので興味はあります。私にとって興味深くて、親しみを感じることが映画を撮るための鍵になります。あるいは複雑な愛を描くことは、私にとって映画の実験場だと思っています。

――女性的視点で見ると、本作は『美しい絵』と同様に大自然のなかで女の隠れた欲望がオープンになり、自由に描いているように感じましたが、そのことは監督にとってどういう意味があるのでしょうか?

AF:欲望という点では、本作ではジェマというよりはマルタンの欲望を描いています。これはプロジェクション(投影)による愛だと思うのですが、“ボヴァリー夫人”はフィクションで彼の妄想の人物でありながら、同時に現実に存在している人物で、その現実と虚構の間、心理学でいうところのトランスファー(転移)の状況にあるわけです。それでありながら投影による愛はプラトニック。それが本作におけるマルタンの欲望の構造だと思います。『美しい絵』はいわゆるドラマツルギー(作劇術)として、互いの親友の息子と恋に落ちるというあり得ない状況の愛の実現、欲望の実現が描かれたと思います。だから強いて共通のテーマを挙げるなら、人間がコントロールできない、影の部分を描いていることだと思います。

bovery_2 ――本作のなかで日本式の部屋の内装の話題や「わさび」「芸者」など日本語も出てきます。「芸者」は『ココ・アヴァン・シャネル』でも使われていましたが、監督は日本文化には関心がおありでしょうか?

AF:日本料理や文化は好きです。今回はユーモアのリファレンスとして使ってみました。これまで日本をテーマにした作品を撮ったことはないですが、東京は映画作家にとってインスピレーションを与える街だと思います。

――フランス本国で4週連続興行成績ナンバー1を記録し、大ヒットした本作ですが、どのようなところがフランスの観客の心をつかんだと思われますか?

AF:コメディだけど、それが洗練されたコメディであること、笑いの質としてはベタに笑うだけではなく、少し残酷だったり、ブラックなところやアングロサクソン的なユーモアという点で、観客から良い映画だと認定されたということではないでしょうか。

――次回作の構想はありますか?

AF:すでに1本撮影を終えて、編集中です。第2次世界大戦末期の1945年のポーランドの修道院が舞台で32人の修道女が登場します。赤十字で働く女性が主人公ですが、彼女が修道院の女性たちと関わっていく物語です。(今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した)『イーダ』でヒロインの叔母を演じた女優(アガタ・クレシャ)も出演しています。

<後記>
フォンテーヌ監督はこちらの質問に、落ち着いた声で理知的に答えてくださったが、その佇まいもクールだけどエレガント。そのうえクレバーと、まさにパーフェクトな女性でした。取材中は、監督の洗練されたオーラに気圧されてしまい、終始緊張しっぱなし。あの気品は同性として憧れます。どうしたら身につけることができるのか聞きたかった!

<プロフィール>
アンヌ・フォンテーヌ Anne Fontaine
1959年7月15日、ルクセンブルク生まれ。1980年に女優としてデビュー。第46回カンヌ国際映画祭批評家週間でも上映された「Les histoires d’amour finissent mal… engénéral」(93)で監督デビューを果たしジャン・ヴィゴ賞を受賞。監督・脚本を務めた『ドライ・クリーニング』(97)は、第54回ヴェネチア国際映画祭最優秀脚本賞を受賞した他、セザール賞に5部門ノミネートされるなど高く評価された。2009年には『ココ・アヴァン・シャネル』で第82回アカデミー賞®衣装デザイン賞にノミネートされた他、第63回英国アカデミー賞複数部門ノミネート(衣装デザイン賞、外国語映画賞、主演女優賞、メイクアップ&ヘア賞)、第35回セザール賞衣装デザイン賞受賞他複数部門ノミネート(主演女優賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、助演男優賞)など、世界的な評価を得た。

▼作品情報▼
監督:アンヌ・フォンテーヌ
原作:ポージー・シモンズ「Gemma Bovery」
脚本:パスカル・ボニゼール、アンヌ・フォンテーヌ
出演:ファブリス・ルキーニ、ジェマ・アータートン、ジェイソン・フレミング、ニール・シュナイダー
製作:2014年/フランス/99分
原題:Gemma Bovery
配給:コムストック・グループ/配給協力:クロックワークス
公式サイト:http://www.boverytopanya.com/
© 2014 – Albertine Productions – Ciné-@ – Gaumont – Cinéfrance 1888 – France 2 Cinéma – British Film Institute
7月11日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国公開

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