『デブ君の給仕』『デブの自動車屋』:新野敏也さん (喜劇映画研究会代表)トークショー(後編)
柳下美恵さん、新野敏也さん (喜劇映画研究会代表)トークショー(後編)
≪新野敏也(あらのとしや)さんプロフィール≫
喜劇映画研究会代表。喜劇映画に関する著作も多数。
最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」
著者:マック・セネット 訳者:石野たき子 監訳:新野敏也 好評発売中
Web:喜劇映画研究会ウェブサイトhttp://kigeki-eikenn.com/
【アーバックル作品のツボPART2】
(柳下)「今回驚いたのは、もっと長いんだろうなと思ってピアノを弾いていたら、すぐに終わってしまったことでした」
(新野)「その感想のとおりだと思います。この映画と同じ年代(1915~1920年代)、すべての映画会社にコメディアンとかコメディチームがいたのですけれども、特別アーバックルの映画は完成度が高いんですね。当時の99%以上の作品は、同じ20分でもひどく退屈に感じたり、長く感じたりしてしまう代物です。こじんまりと自分で脚本、監督をやり、かつよくまとまっているアーバックルの作風は、そのまんま弟子のキートンの作品に受け継がれていきました。ギャグの組み立て方とかメカニカルな部分がすごく似ていると思うんです」
(柳下)「高いところからすぐ落ちるんですよね。でも落ちても軽々としているというところが似ていると思いますね。スタントマンとかは使っているのですか」
(新野)「スタントマンは使っていないですね。もちろんマットとかは置いていると思います」
(柳下)「さっき、マットをずらされて落ちちゃった人とかは…」
(新野)「あれは人形だと思います。あれを本当にやったら、もうギャグにならないですよね(笑)」
(柳下)「ですよねー(笑)」
(新野)「スラップスティックやサーカスの道化師の基本は、観ている人に痛さを感じさせずに、いかに面白く見せるかということです。それを逆手に取って痛そうに見せたのが、後のハロルド・ロイドです。スラップスティックを排除しようということで、わざと怖く見せたり痛く見せたりしたんですね」
(柳下)「彼自身は、アクロバットができるんですよね」
(新野)「若干できますが、ロイドの場合は大掛かりなセットを組むので、ロング・ショットの場合はスタントマンの場合もありますね。スラップスティックっていうのは、流血はご法度なんですが、ロイドの場合ですと、痛いシーンで血が出るものもあります」
(柳下)「今道化師って話が出ましたが、エンジンオイルが顔に付くシーンのメイクが、ちょっと道化師に似てたかなって思いました」
(新野)「それはわざとやっていると思いますね。エンジンオイルで女の子の顔が真っ黒になるシーンでは、わざわざ一回カットを変えているので、意識してミンストレス・ショー(黒人の真似をして白人が顔を黒塗りし、歌い踊る)風のメイクにしたんだと思います」
(柳下)「元々、彼がサーカスや演芸の世界から来た人なので、そういうことがとても身近だった。また当時は、お客さんもそういうものに親しんでいたので、それがギャグになっていたんでしょうかね」
(新野)「それはあると思います。演芸場に行きたくても行けない貧しい人たちにとっては、断然映画のほうが入場料が安くて、映画館がその代わりとなりました。あるいは演芸場でやっていた彼らのモチネタを再現することが、その絶頂期を演芸場で観られなかった人たちのニーズに合致した、ということもあったかもしれません」
(観客からの質問)「『デブの自動車』で、ガソリンスタンドの洗車用ターンテーブルがくるくる回って、キートンがそこから脱出しようともがくシーンがあるのですが、どうやって撮影したのですか」
(新野)「アクションの際、カメラのスピードを早回しにしているんですね。このフィルムは、普通のシーンでは、おおよそ1秒に16コマで撮っています。ところがこのシーンは、1秒12コマくらいになっています。クランク(手回しハンドル)をゆっくり回すとその分コマが落っこちますので、それで早回し風になるんですね。当時は、雰囲気でクランクを手回ししていたのです。補足しますと、手回しですから、ペースが速くなったり遅くなったりしないように、横に演奏者がいたのですね。その音楽のテンポに合わせて演技をする。音楽のテンポに合わせてカメラを回す。それでリズム感、スピードを調整していたようです」
(柳下)「今撮影スピードの話が出てきたので、あまりサイレント映画に馴染みがない方のために、整理しておきますと、トーキーでは、1秒間にフィルムが24コマ流れていきます。映写機の光が出るところに回転する羽根のような形をしたシャッターがあって、シャッターが開いているときフィルムが止まり、シャッターが閉じている瞬間にフィルムを移動するという動作を繰り返しています。それで、目の錯覚で映像が流れているように見えるのですね。サイレントの時は、その動作を1秒間に16コマもしくは18コマでやっていました。そのためそれを現在の映写機にかけると、1秒間に18コマで普通のスピードで見えるところ24コマ動くということは、6コマ先に行っちゃうことになるので、ちょっと早く動いているように見えるのですね。だから今まで、こういう喜劇映画っていうのは、チャカチャカ動くというイメージがすごくあったと思うのですけれども、実はそれは本当の速度ではなかったかもしれないのです。単に正しい映写の仕方をしていなかっただけかもしれないということを少しだけ覚えておいていただきたいんです。最近は、その当時の速度に近い形で上映するようになってきてはおります。はい、すみません」
(新野)「このアーバックル作品のカメラマン、エルジン・レスリーは、そのままキートン作品のカメラマンになります。例えば先程話に出ていたアクションシーンのようなところで、1秒12コマの低速で、しかも安定して回せるということで、キートンが人間メトロノームって渾名をつけたほどだったんです。どれだけ定速でカッチリ回せるかは、『キートンの探偵学入門』(24)っていう映画を観るとよくわかります。映画館にいたキートンが、上映中のスクリーンの映像の中に飛びこむと、背景の画面がどんどん変わるというシーンがあるのですが、もしここで撮影のスピードが変わったりしたら、映像が繋がらなくなるんですね。まるっきり違和感がなく、背景だけバンバン変わっていく。その辺りの効果は、エルジン・レスリーが、みんなやっているんです」
(柳下)「そのときは全部手回しっていうことだったんですか」
(新野)「バンジョーでリズムを取っている人がそばにいた、ということらしいです。特別な時にはモーター製のもあったかもしれないですが」
【ロスコー・アーバックルの悲運】
(柳下)「アーバックルの経歴をちょっとお話いただけますか」
(新野)「マック・セネットから独立した1920年の年収が、今の物価に合わせて計算してみますと、26億4000万円で、1921年にはさらに3倍になっています。当時、チャップリンの年収が史上最高額って言われたのですが、すぐにその3倍の金額になったのです。それだけ払っても映画会社が成り立つのですから、どれくらい世界的に人気があったかですよね。ところがそれだけお金を稼いでいた人が、その年、殺人事件に巻き込まれてしまいます。パーティーで、新進女優が暴行され殺されてしまった。その容疑者にされてしまったんですね。それでパラマウントは弁護士を立て、裁判費用もものすごくかけ彼を助けようとしました。ちなみにアーバックルを助けるために立てた探偵は、後のハードボイルド小説の作家、ダシール・ハメットだったそうです。また、アーバックルがこの事件のため、映画界から干された時、地方巡業をしていたのですけれども、その際にはアル・カポネが彼を助けたそうです」
(柳下)「裁判の結果は、どうだったのですか」
(新野)「本当に殺人事件の犯人かどうかというのは、最終的にはわかってはいないんですね。ただ、本人が亡くなった後(1933年46才没)、1980年代以降に改めて裁判が行われ、完全無罪になりました。でも、結局犯人はわからないままになっています」
(柳下)「無罪になった根拠っていうのは何でしょう」
(新野)「まあ、結局証拠不十分ということと、色々な状況を考えてみても、アーバックルではなかっただろうということらしいです。実際は、アーバックルが生きている時に裁判が3回行われていて、その時にも無罪にはなっているのです」
(柳下)「それにしてもアーバックルは、どうして殺人事件なんかに巻き込まれたのでしょうか」
(新野)「事件が起こった当時は、禁酒法の時代だったのと同時に、ハリウッドがバビロンと言われていて一番華やかな時期でもありました。日本円に換算すると年収何十億円も稼いでいる人たちが、酒を呑むは好き勝手放題にやっている。聖職者や婦人団体、教育者などが、それを戒めよう、見せしめにしようというところから、彼が吊るしあげられたんです。そんなわけで、裁判で無罪になっても、世間的には許されないという状況がずっと続いてしまいました。アーバックルの作品はその時ほとんど焼かれています。(セルロイドのフィルムなので可燃性がすごく高い)アーバックル関連の台本もすべて焼かれちゃっています。今日の『デブの自動車屋』は70年代に発見されたものです」
(柳下)「じゃ、完全版ではないのですか」
(新野)「その辺はスクリプトが残っていないので何とも言えないのですが、ひょっとするともう少し長かったかもしれないですね。いきなり最後、車で3人がフレームアウトしてエンドになっていますが、その後、ひょっとしたらストーリーの続きがあったかもしれませんね。『デブ君の給仕』も90年代に発見されています。いずれもアメリカ以外の国で発見されました。その多くはメキシコで発見されています」
(柳下) 「それはどうしてですか」
(新野)「メキシコは、たまたまアメリカと隣合わせの国で、かつアーバックルはそこで人気があったので、全然犯人扱いされていなかったのです。製作配給がパラマウントの『結婚年』は、歴代の興行収入がトップになった作品ですが、アメリカでは、公開直後に事件が起きてしまったためボツになり、その次の作品に至っては完全に公開されないまま終わってしまいました。でもこれなどもメキシコや、離れていて事件のことを知らなかった日本では、普通に公開されているんですね。発見された作品は、当時の記録が、断片的でもアメリカに残っていれば、それに沿って字幕をもう1回作り直しできるんですけれども、そうでない場合は、結局発見された国の字幕から英語字幕を起こすことになるんです。英語の字幕を、メキシコですとスペイン語に、フランスならフランス語に変えていたのを、逆コンバートして英語にしていますので、フィルムを買ったソフト販売会社によって、スポークンタイトルが若干違うことがあります。ニュアンスだけは画面に沿って作っているので、大体同じなのですけれども。極端な話、登場人物のキャラクター名が違っている場合もあります。ジムって悪者がビリーになったり、日本ですと、勝手に花子さんとか太郎君に変えていたりする場合もありますね(笑)」
(観客からの質問)「ルドルフ・ヌレーエフ主演の『バレンチノ』(77)の中で、ロスコー・アーバックルらしき人物が出てきますが、彼が酒場の中で威張りくさって暴れるのを、バレンチノがからかうシーンがあります。それに対してチャップリンの自伝では、アーバックルは殺人を犯す人間などではない。とても気の優しい男だった、という記述が出てくるのですが、実際のアーバックルの実像ってどんなだったのでしょうか」
(新野)「文献を見ますと、すごく紳士的で優しく、子供がサインを下さいって言えば、気軽にしてあげるような人だったみたいですね。『バレンチノ』が製作された当時は、まだ裁判で完全無罪が確定しておらず、実は親切な人気者だったという評価が出ていない頃だったので、アメリカでは、悪者扱いされていました。なので、アーバックルらしき人物をわざと誇張して、わかる人だけにわかるようなネタとして取り上げたということかもしれないですね。そういえば、その時代に作られた、世界中のコメディアンの似顔絵が描かれた2メートルくらいのアメリカ製のポスターがあるのですが、有名人ということで、アーバックルも入っています。ただそこでも、彼は殺人犯だったというようなイメージで描かれていますので、それを見ても、アメリカでは大体80年代半ばくらいまでは、アーバックルは悪者、という扱いだったということがわかります」
(柳下)「では、いつくらいからアーバックルは、再評価されるようになったのでしょうか」
(新野)「80年代無実が確定してから修復が始められ、改めて発掘しようということで、90年代には各国のアーカイヴが特集を組みます。ただ、20世紀の終わりまでは、一般的にはまだ悪者扱いされていて、本当に世界的に再評価されるのは、21世紀に入ってからですね。アーバックルが絶頂期の1910年代、映画が未熟な時代にあって彼の作品は、他のものと較べてフレーミングとか、小道具の使い方がとても上手くできています。で、それがそのままキートンに受け継がれていったのですね」
(柳下)「今日は、すごく濃い話をしていただいて、本当にありがとうございました」