『国際市場で逢いましょう』ユン・ジェギュン監督インタビュー
2014年末に公開され、韓国歴代2位の大ヒットを記録した映画『国際市場で逢いましょう』が5月16日より全国順次公開されている。
朝鮮戦争に始まり、激動の韓国現代史の荒波にもまれながらも、家族のために生き抜いた父親の姿を描いて本国で幅広い年齢層から支持を集めた。
メガホンをとったのは、2009年公開の大ヒット作『TSUNAMIーツナミー』に続き、2作連続の成功で韓国を代表するヒットメーカーとなったユン・ジェギュン。ひとつの家族、ひとりの男の真っ直ぐな生き様にスポットを当てることで、半世紀にわたる物語を消化不良にすることなく、観客を引き込んでいく手腕は見事だ。
来日したユン監督に、本作誕生のきっかけから大ヒットの理由、本作でスクリーンデビューを果たした東方神起ユンホにまつわるエピソードなどを語っていただいた。
本格的にこの映画を作ろうと考え始めたのは2004年でした。ちょうど1人目の子供が生まれ、自分が父親になった年です。他の人はどうか分かりませんが、私は子供を持ったことで、父親がとても恋しくなりました。子供の頃は父によく小言を言われて「うるさい」と思っていましたが、かつて父親に言われたことを自分も子供に言うように。それで父に対してこの映画を作りたいと思ったのです。この作品には100億ウォン(約11億円)の予算が必要でしたが、その時点では、私の作品は興行的に成功していなかったので、投資が得られませんでした。でも、前作『TSUNAMIーツナミー』がヒットして、投資を得ることが出来たのです。
―韓国が歩んできた激動の半世紀。辛い歴史を批判も肯定もせず、敢えて家族の物語として描いていますね。
父は私が大学生の時に亡くなりましたが、生涯を家族と子供のために費やした人でした。そんな父に「ありがとう」と言えずにいたのが「恨(ハン)」として心に残っており、苦労して亡くなった父への想いをこの映画で語りたいと思いました。
ただ、父の人生をたどるには韓国の現代史を描かざるを得なくなり、自然とスケールが大きくなったのですが、撮りたかったのは「一番平凡な父の、一番偉大な物語」。父親という存在を観客に共感してもらえるような映画にしたいと思いました
―主人公ドクスは、朝鮮戦争の最中に父と妹に生き別れた時の責任を感じ、それを一生背負って生きようとします。愚直なまでに家族への責任を果たそうとするその姿がとても特別に見えたのですが、韓国の方にとっては、あの時代の父親像としてイメージしやすいものなのでしょうか?
恐らく日本でも戦争を経験したくらいの世代は、ドクスと同じではないかと思います。自分の夢を実現するために家族を犠牲にするか、家族のために自分の夢を犠牲にするかと考えたときに、祖父母の世代ならば韓国でも日本でも、家族を優先しただろうと思います。特に長男であればなおさらです。
―長い歳月を描いているのに、2時間少しの尺でテンポ良く収めていますね。エピソードの取捨選択や演出で工夫されたことは?
私なりの基準を持って選びました。韓国の評論家の中には、「どうして政治的なものを描いていないのか」と指摘する人もいましたが、私はあくまで三世代で観られるような“家族映画”にしたかったのです。それで、まずは政治的なものは排除しようと決めました。
韓国の現代史を語るとき、1960年代から70年代にかけて「○○化」と言われるどういった流れがあったかと考えると、「産業化」が挙げられます。そして、その時期の一番大きな出来事と言えるのが、炭鉱労働者や看護師の西ドイツ(当時)派遣、そしてベトナム戦争への参戦でした。このようにエピソードを選択していったのです。
―取材を受けられる度に聞かれると思うので正直はばかられるのですが…ページビューのことを考えて(笑)、やはり本作でスクリーンデビューした東方神起ユンホさんについてもお伺いします。彼のような人気者だと、ラブストーリーやコメディなどで映画主演デビューも可能だと思うのですが、出番も決して長くない本作を選ばれた理由について、何か監督とお話されましたか?
一緒に仕事をしてみて、ユノさん以上にあの役を上手くやれる人はいなかったんじゃないかと思っています(※ユノ:ハングル表記の発音)。もちろん、彼に会う前は何人も別の候補がいました。日本だと誰に相当するかは分かりませんが、彼が演じたナム・ジンは、1960〜1970年代に国民的歌手と言われた人で、キャスティングの基準というのが、実際に有名な歌手であることだったんです。そしてもう1つの基準は、ナム・ジンさんの出身地である全羅道(チョルラド)の方言をちゃんと使えること。全羅道は韓国の西側にある地域です。一方、彼に窮地を救われるドクスは、全羅道との地域対立が深刻な慶尚道(キョンサンド)の出身であり、実際に双方の出身の俳優に演じてほしいと思っていました。
3つめの基準は、人間性の良い人にやってもらいたいということ。実は私もユノさんに会うまではアイドルに対してちょっと偏見を持っていたのですが、お会いしてみたら人間的にも優しい人で、演技に対する情熱も素晴らしかった。面会後は、むしろ私の方からユノさんにお願いしたいと頼みました。
―韓国で大ヒットした要因を監督自身、どう解釈していますか?また、年齢層によって観客の反応に違いは?
興行的な成功の理由は、やはり観客の共感を得られたことが一番大きいと思います。私の親世代は、この映画に描かれていることがあたかも自分のことのようだと、泣かれた方が多かったようです。また、若い世代は、今まで知らなかったことや、おぼろげに知っていたことを新たに映像で目の当たりにしたことで衝撃を受け、両親や祖父母に感謝の気持ちを持つようになった。このように世代によって違うので、家族の中での対話のきっかけにもなり、世間の話題になったのだと思います。
あと、とても感動的だったのは、「20〜30年ぶりに映画館に行った」という年配の人から「ありがとう」と言われたことですね。珍しいことなのですが、40代ぐらいの人が両親と子供たちを連れて、家族三世代で一緒に劇場に足を運ぶ光景が見られました。それらが興行にもつながったのだと思います。
―若い世代が認識を新たにしたとおっしゃいましたが、具体的に歴史のどの部分ですか?
朝鮮戦争や1983年から始まった離散家族捜しのプログラムについては、若い人ももちろん知識として学んでいますが、あまり実感はしていなかった。朝鮮戦争の最中に興南(フンナム)から撤収してくる場面は出来るだけ事実に基づいて再現してあり、この映画で映像として見たことで、激しい銃撃戦がなくても戦争がいかに残酷かということを知り、衝撃を受けていました。
―日本の映画興行では、シニアの方々が劇場に足を運ぶ貴重なファン層となっていますが、韓国の観客構成は若者が中心なのですか?
そうです。だから、この『国際市場で逢いましょう』は、高い年齢層をターゲットにしても興行が成り立つという認識を植えられたという意味で、韓国の映画産業のなかである役割を果たしたと言えます。
profile of JK Youn
1969年生まれ。高麗大学経済学科卒業後、広告会社でコピーライターとして活躍、シナリオコンクールで『身魂旅行(原題)』(02)の脚本が大賞を受賞したのをきっかけに映画の世界へ。2009年、『TSUNAMI-ツナミ-』が韓国映画歴代9位の動員を樹立する大ヒット。その他の作品に、『ダンシング・クィーン』(12、制作・脚色)、『第7鉱区』(11、企画)、『ハーモニー 心をつなぐ歌』(10、制作・脚本)などがある。
〈取材後記〉
ベトナム戦争のシーンを撮影したタイでは、夕食に向かう監督とユンホの乗った車を、ファンの車約50台が追いかけるという、大名行列の如き光景が繰り広げられたらしい。「アイドルと仕事をするのは初めてでしたが、タイはもちろん、日本や中国でも、こうやってファンがついてくるものなんだなと初めて知りました(笑)」とユン監督。きっと毎度毎度取材で聞かれるであろうユンホの出演について、嫌な顔1つせず、ニコニコ様々なエピソードを明かしてくれた。
入りは東方神起でもいい。映画が始まればドクスの波瀾万丈の人生に泣き笑いし、あっという間に2時間たっていることは請け合い。映画館を出る時には、韓国という国に対する見方も変わっているかもしれない。
▼作品紹介▼
『国際市場で逢いましょう』
監督:ユン・ジェギュン『TSUNAMI-ツナミ-』
出演:ファン・ジョンミン、キム・ユンジン、オ・ダルス、チョン・ジニョン、チャン・ヨンナム、ラ・ミラン、 キム・スルギ、ユンホ(東方神起)
配給:CJ Entertainment Japan
2014年/韓国/127分
(c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
5月16日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国順次公開
公式HP:kokusaiichiba.jp