カフェ・ド・フロール
1960年代のパリと、現代のモントリオール。全く別々の男女の物語が、時代を超えて交叉する。パリでは、ダウン症の息子ローランを女手ひとりで育てるジャクリーヌの物語。彼を授かったことは、自分の運命であり、彼を神からの恩寵であると感じたひとりの女性が、彼の心を失いかけ、嫉妬に狂う。モントリオールでは、運命と信じ結婚した男女の物語。40代にさしかかったところ、アントワーヌに妻以上に心惹かれる女性が表れ、夫婦は離婚することになる。妻キャロルは、別れても夫のことが忘れられず、嫉妬から精神のバランスを崩していく。
映画のタイトルになっているカフェ・ド・フロールというのが、キー・ワードとなって、この二つの物語は結ばれる。これはマシュー・ハーバートの曲で、1960年代の場面には、アコーディオンで演奏されるバージョン、現代の場面では電子音のバージョンというように、アレンジを変えて演奏されている。それは、二つの愛の物語が、実は同じハートを持った変奏曲であることを示している。
もうひとつは、パリに実在するカフェ・ド・フロール。このカフェの名前は、サンジェルマン大通りにある女神フローラに由来している。かの有名なボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」で、風を吹き込み、生まれたばかりのヴィーナスを陸地へと送ろうとしているのが、フローラと夫である西風の神ゼフュロスである。この絵のゼフュロスは、成人として描かれているが、実は彼は、幼い子供のような姿で描かれることもあり(トロワ「ゼフュロスとフローラ」)、そういう意味では、モントリオールのアントワーヌとパリのダウン症の子供ローランは、ゼフュロスの化身といった存在になっている。いわば、彼らは同一人物なのだ。彼らが、ギリシャ神話の登場人物であるならば、フローラ=ジャクリーヌ=キャロルは、もはやその物語=運命に従うよりほかないということになる。
運命というのが、本作の重要なキー・ワードだ。アントワーヌとキャロルは、運命の人と思い結婚をしたはずだったし、ジャクリーヌは息子ローランが神に与えられた運命と感じて、世話をしていたはずだった。この作品では、運命は、ギリシャ神話を持ちださずとも、そこに存在するものとして描かれている。では、なぜそれが崩れるのか。それは、むしろ信じていたその運命こそが、間違っていたのだという立場をこの作品は取っている。しかし、本作は一方で、その世界が崩れた時、人がどう対処するのかをも丁寧に描く。現在、過去、大過去、未来と自由に飛びまわる彼らの記憶の映像は、過去を反芻し、自分を納得させる過程を示している。なかなか心の整理がつかないのは、不幸せに感じている今でも幸せな記憶が色褪せないからである。
そもそも何が運命かなんて、人はわからない。どこにもやり場のない気持ちを抱いた時すがりたくなるのが、運命という言葉とも言える。故に自身が思うことで、それは運命となる。ただ、モントリオールのキャロルが、過去を知ることで、自分の身に起こりえる未来の悲劇を予感したように、私たちは物語 (それはギリシャ神話、1960年代のパリ、現代のモントリオールへと綿々と続くもの) に共鳴し、それを学ぶことによって、自身の苦難を乗り切ることができる。すなわち運命は変えられるのだ。なぜ本作が、ふたつの時代と異なる場所の物語を繋げなければならなかったのか。その理由は、神秘的な運命論からというよりも、むしろそこにある。
P.S.とはいえ、ジャクリーヌ役ヴァネッサ・パラディが、2012年の破局の1年前、自分とジョニー・デップの未来を予言するかのような作品に出演してしまったことには、やっぱり運命の皮肉を感じざるを得ないのです。
▼作品情報▼
原題:Cafe de Flore
監督・脚本:ジャン=マルク・ヴァレ(『ダラス・バイヤーズクラブ』)
撮影:ピエール・コットロー
出演:ヴァネッサ・パラディ、ケビン・パラン
エブリーヌ・ブロシュ、エレーヌ・フローラン
公式サイト:http://www.finefilms.co.jp/cafe/
配給:ファインフィルムズ
(C)2011 Productions Cafe de Flore inc. / Monkey Pack Films
2011/カナダ・フランス/120分
3月28日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開