『KANO~1931海の向こうの甲子園~』、魏徳聖(ウェイ・ダーション)プロデューサー&馬志翔(マー・ジーシアン)監督インタビュー
今から80年以上前、日本統治時代の台湾から甲子園に出場した球児たちがいた。嘉義農林学校(通称「嘉農(KANO)」)野球部。1931年に初出場ながら決勝まで勝ち進んだ嘉農の選手たち。その活躍の裏には、“鬼”と言われた日本人監督・近藤兵太郎の厳しい指導があった……。
台湾映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』はこの嘉農野球部の活躍を描き、2014年2月に台湾で公開されるや大ヒットを記録。同年秋には再上映がされるほどのブームを巻き起こし、人口が日本のおよそ5分の1という台湾で3.4 億台湾ドル(約12.7億円)の興行収入を上げた。台湾人(漢人)、台湾原住民、日本人という3民族混合チームが結束し、快進撃に出る物語は、和を重んじるばかり排他的になりがちな現在の日本人にとっても示唆に富む内容だ。
本作の製作総指揮・脚本を務めたのは、台湾映画の歴史を動かした大ヒット作『海角七号 君想う、国境の南』や『セデック・バレ』を監督した魏徳聖(ウェイ・ダーション)。そんなヒットメーカーの彼が今回、野球経験があるということでメガホンを任せたのは、俳優・脚本家としても活躍し、『セデック・バレ』のタイモ・ワリス役でも強烈な印象を残した馬志翔(マー・ジーシアン)だ。1月24日(土)、映画のもう1つの舞台である日本に、終に嘉農の球児たちが“凱旋”上陸するのを前に、来日した魏プロデューサー、馬監督にお話を伺った。
-『セデック・バレ』の際もそうでしたが、魏プロデューサーは事前のプロモーションが非常にお上手だと感じています。今回もプレミア上映にあわせて台北から嘉義までスタッフ・キャストや関係者、ファンらを乗せた臨時列車を走らせたり、パレードを行ったりと公開前から大変盛り上がったと聞いていますが、そうしたアイディアはご自身が出されるのですか?
魏:企画は宣伝プロモーションのチームが行っています。私がコンセプトを提供して、それをチームが形にしていくという感じですね。『海角七号』『セデック・バレ』の2作品で、まずは台湾の観客の中に、私たちの会社が作る映画への期待感を植えつけることができたので、注目されているという点を活かしてプロモーションすることができました。
今回、コンセプトとして考えたのは、全島優勝した嘉農チームが当時パレードした同じ場所で、プレミアの時にもう一度パレードを再現したらどうだろう?ということです。嘉義駅の場所も、噴水のあるロータリーの場所も当時のままですし、嘉農の練習場は現在市営の野球場になっています。市のランドマークであるロータリーには呉明捷投手の銅像を建ててはどうかとも、嘉義市政府と話をしました。そうすれば、嘉義こそ“台湾野球の発祥の地”だとアピールできますからね。目抜き通りを野球場まで歩いて行き、そこでこの映画を上映すればみんな大興奮すると思いませんか?それに、嘉農の球児たちが汗と涙を流した同じ場所で上映すれば、既にこの世を去った当時の球児たちの魂を呼び戻し、当時の様子を一緒に観ているような感覚を味わえると思いました。大切なのは、感動を与えるということ。我々はなぜ映画を撮るのか?それは観客に感動を与えようとするからです。そんな気持ちで、プロモーションを行ってきました。
-野球シーンにはかなりこだわられたようですが、撮影のご苦労をお聞かせください。
魏:野球のシーンは『KANO』の撮影で一番大変でしたね。野球場というのは広くて、選手と選手の間に距離がある。それに、試合のリズムはとてもスローですが、いざバットにボールが当たると途端に動きが速くなります。このリズムをつかむのは本当に大変でした。それに、プレーのシーンは一度に1人しか撮れないんですよ。何かあったときのために、とにかくたくさんカットを撮りました。この映画全体の6~7割が野球場でのシーンなので、およそ5ヵ月間の撮影期間の3分の2以上はグラウンドで過ごしましたね。
-馬監督はいかがでしたか?
馬:もう魏プロデューサーが全部言ってくださいましたが、野球のシーンを撮るのは本当に難しく、魏さんが現場にいらっしゃると、早く撮れ…という圧を感じました(笑)。
馬:この映画のキャスティングについては、まず第一に近藤監督を誰に演じてもらうか決める必要がありました。日本のほぼすべての俳優さんを対象にリサーチし、最終的に永瀬さんにと決めました。演技はもちろん、永瀬さんの持つ雰囲気が私たちが求める近藤監督にぴったりだと思ったからです。永瀬さんは仕事選びに非常に厳しい方で、納得しないと出演されません。ですから、交渉にも時間をかけて、ついにデビュー30周年という記念すべき年の作品として『KANO』に出演いただけるということになりました。とても光栄です。映画を観ると永瀬さんが素晴らしいお芝居をされているのが分かると思います。それまで、台湾の観客の間でまだあまり知られた存在ではなかったのですが、素晴らしい人というのは必ず認知されていくのだと今回感じました。
-坂井さんについては?
馬:台湾では「成功者の陰には賢妻あり」という言い方をします。その言葉のイメージでキャスティングを考えたときに、魏プロデューサーの奥さんみたいな人が良いと思ったんです。
魏:そういわれると、坂井さんにいろいろ幻想を抱いてしまいます(笑)。
馬:それで坂井さんの写真を魏さんに見せたら、(うなずく魏プロデューサーの真似をしてみせて)「うん」って(笑)。映画の中では、近藤夫妻の間の細やかな感情をうまく表現してくれました。坂井さんの出番は多くないですが、演技は光っていますよね。プライベートでも、永瀬さんはあったかくて良い兄貴という感じですし、坂井さんも優しいお姉さんという感覚です。
-今回、セリフのかなりの部分が日本語ということで、球児役の若い役者さんたちも一生懸命練習して日本語を話されています。日本統治時代の台湾の方は本当に流暢な日本語を話されるという認識があるのですが、リアリティを追求するという意味で、セリフをネイティブによる吹き替えにしようというお考えは一切なかったのでしょうか?
馬:1930年代はまだそれほど日本語が普及していなかったんですよ。本当の意味で日本語教育が進んでいったのは皇民化(※)が進められた1940年代以降ではないかと思います。
私の祖父母は皇民化の教育を受けているのですが、彼らが話す日本語はあなた方も分からないかもしれません。とても昔風の日本語をしゃべるからです。
この映画はさまざまな民族の生徒が集まった学校の野球チームの話です。そうすると、彼らがコミュニケーションを取るために使っていた公用語は日本語でした。
(※)統治下の台湾で日本が行った強制的な日本化政策
魏:ちょっとなまっていても可愛らしくないですか(笑)?
馬:当時、日本語は学校で使うだけの第二言語なので、皆あまり流暢ではなかったと思います。でも、日本統治時代も後期に入ると、だいぶ日本語が普及していきます。
-李登輝氏(元台湾総統)の話す日本語の印象が強いので、あのくらい流暢に話される方が多かったのかと思いました。
馬:彼の日本語も格調が高いというか、昔の話し方をするので、ところどころ聞き取れないでしょう?私は子どもの頃、日本語を話していた祖父母には(背筋を伸ばして日本語で)「阿媽(おばあさん)、5円ください!10円ください!」みたいな話し方をしていました(笑)。
-この映画を観て嘉義に行こうという日本人も増えるのではと思います。現地で一番美味しかった食べ物やお薦めの場所があれば教えてください。
魏:嘉義には美味しいものがたくさんありますが、現地の人のガイドがないと、なかなか本当に美味しいものには出会えません。あと、いわゆる老舗に行くと朝からもう満席で、夜は遅くまで営業しています。あとは、昔ながらの方法で淹れられた杏仁茶(アーモンド茶)のお店なんかもあります。
馬:大通りではなく、ちょっと横丁に入ったあたりに面白い店がたくさんありますよ。嘉義と言えば鶏肉飯が有名ですが、美味しいお店は、やはり観光客がよく行くところではなくて、横丁に入ったところにあります。鶏肉飯を食べ歩くのもいいかもしれません。毎日違うお店で食べて比較するんです(笑)。
魏:あと付け加えるなら、台湾南部の食べ物で一番素晴らしいのが朝ごはんですね。
馬:台湾では今、サイクリングがとても流行っているので、いろいろな場所でレンタルできます。自分の足でその土地を探っていくのもお薦めですね。
嘉義市では、日本の統治時代の建築物がいまでも上手く保存されています。『KANO』はロケのほとんどを嘉義市内で行ったのですが、残されたそうした建物を少し当時の様子に戻して撮影を行いました。また、嘉義からでも、台南からでも、八田與一が残した水利施設「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」はしっかり見えます。
この映画が公開されてから、大勢のファンが嘉義を訪れています。ロケ地をめぐるルートが整備されているので、旅行者には便利なのではないでしょうか。
Profile
魏徳聖 Wei Desheng
1969年生まれ。故エドワード・ヤン監督の『カップルズ』(96)の助監督や、陳國富(チェン・グォフー)監督の『ダブル・ビジョン』(02)の企画を担当するなど、1993年~2002年までの間、多数の映画やテレビ番組に携わる。2008年に監督した『海角七号 君想う、国境の南』が台湾映画史上最大のヒットを記録。台湾映画隆盛の火付け役となり、第45回台湾金馬獎で最優秀助演男優賞など6部門で受賞。同作の大成功により、2011年、最初に映画化を希望していた『セデック・バレ』製作が実現。霧社事件を題材とした本作は、第48回金馬奨で作品賞、観客賞ほか数多くの賞に輝いた。
馬志翔 Ma Zhixiang
1978年生まれ。2000年にテレビドラマで俳優デビュー。2001年に『鹹豆漿』で映画デビュー。以降、『20 30 40』(04)、『ORZboyz』(08)、『セデック・バレ』(11)、『甜・秘密』(12)などに出演。2007年からはテレビドラマの監督・脚本を手がけ、「十歳笛娜的願望」(07)、「生命關懐系列-説好不准哭」(08)で台湾版エミー賞と言われる電視金鐘獎で脚本賞を受賞。本作『KANO~1931海の向こうの甲子園~』で劇場用映画監督デビューを果たした。
<取材後記>
小柄で温和そうな風貌とは裏腹に映画作りへの強いポリシーと統率力を感じさせる魏プロデューサーと、ユーモアを交えつつ終始にこやかに語ってくれた馬監督。昨年2月に台湾で『KANO~』が公開されてからおよそ1年。きっと何度も何度も聞かれているであろう質問にも熱心に応えてくれたお二人からは、台湾に続き、日本でも本作が受け入れられることへの強い願いが感じられた。
ちなみに、俳優の顔を持つだけあって、キャストが勢揃いする舞台挨拶等の場でもおのずと一番目立ってしまうイケメンの馬監督。子供のころから野球とバスケットボールに打ち込んでいたスポーツマンだという。さぞ現場でも球児たちの頼もしい兄貴分だっに違いない。
▼作品情報▼
『KANO~1931海の向こうの甲子園~』
原題:KANO
製作総指揮・脚本:魏徳聖(ウェイ・ダーション)
監督:馬志翔(マー・ジーシアン)
出演:永瀬正敏、坂井真紀、曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)/大沢たかお
配給:ショウゲート
2014年/台湾映画/185分
(c)果子電影
1月24日(土)より新宿バルト9ほか全国公開
公式HP http://kano1931.com/
2015年5月18日
[…] 『セデック・バレ』 (Wikipediaより) 1930年、日本統治下の台湾で起こった先住民セデック族による抗日暴動・霧社事件を描いている。2011年第48回金馬獎で最多5部門を受賞。 この映画でタイモ・ワリスを演じている馬志翔(下写真右)は、2014年に台湾で大ヒットした映画『KANO』では監督を努めている。『KANO』は1931年日本統治時代の台湾から甲子園に出場した嘉義農林学校(通称「嘉農(KANO)」)野球部を描いた作品。詳しい内容はこちら→http://eigato.com/?p=20881 […]