おみおくりの作法
市の民生委員であるジョン・メイの仕事は、孤独死した人の調査、葬儀を執り行う事。彼には、密かに行っていることがあった。それは、身寄りが見つからなかった人の写真を、ファイルから抜き取り、自分のアルバムに貼りつけることだった。アルバムにはさまざまな人の生の証が確かに存在している。軍服を着てすましている人、旅行先で友達と微笑んでいる人、子供を抱いて笑っている人などなど。写真が存在するということは、かつてその人にも、友人があり、家族があり、楽しい時間、誇らしく思える時間が存在していたことを意味している。人は人との関りの中でこそ、自己を認識し、生を実感する。ネタを明かせば、これらの写真は、実際に孤独死した人たちの家に残されていた写真だという。それだけにより一層、こんなにも大勢の人たちが、なぜ最期はひとりぼっちになってしまったのか…といった思いが湧いてくる。
ジョン・メイを演じるのは、エディ・マーサン。彼は『思秋期』の暴力夫など、これまではどちらかというと、エキセントリックな役が多かった人。知る限り初めての主演作、その彼が良い。神経質で、物静か、真面目な感じがよく出ている。道具や食器を正確な位置に揃えなければ気がすまない。いつも同じ格好をし、職場を決まった時間に退庁し、同じ夕飯を食べ、同じ時間に寝る。親しい友人もいない。実は彼こそ、将来の孤独死予備軍となっていくわけなのだが、本人はまったくそんなことを意識していない。ただし、彼がコレクションしたアルバムには、そうした人たちへの共感の気持ちが隠されていたとも考えられる。そういう意味では、彼が孤独をまったく意識していなかったわけではない。
ジョン・メイのアパートの真向かいに住む老人が孤独死し、誰も気がつかれずに長い間そのままになっていた。この事件が彼の生活を一変させる。「葬儀に出てくれる人を見つけたい」彼は休暇を取り、故人の生の足跡を求める旅をするのだった。何より彼を突き動かしたのは、毎朝見ていた窓の向こうの住人が亡くなってしばらく経っているというのに、まるで気がつかなかったことである。そもそもこの事件自体が、孤独死が起きる環境の典型になっている。隣の人が誰だかもわからないような集合住宅での死。彼の旅を通じて浮かび上がってくるのは、一人の男が、失業や家庭不和などの度重なる不運で、ひとつひとつ社会とのつながりを失い、孤独になり死んでいく過程だ。一旦つながりを失うと、それはもはや回復することはない。また、ジョン・メイ自体が孤独死予備軍でもあることによって、彼の旅は、彼自身、人とのつながりを作っていくという意味で、その防止対策のような意味をも持ってくる。
日本でも、無縁社会ということがしばしば話題になり、それに関する本も多数出版されているが、この作品にはそうした本1冊分の情報量が詰め込まれている。入念なリサーチによって作られた物語ゆえ、かなり深刻ではあるのだが、それでもこの作品が感動的なのは、彼の旅が、ひとりの人間の尊厳を取り戻すことになるからだ。しかし、ジョン・メイの仕事は、役所の合理化、効率化によって、おざなりなものに変えられていく。それは、弱い立場の人からますます人間としての尊厳を奪うことを意味している。「私たちの社会の質は、最も弱い者に対して社会が置く価値によって測られると思います」(ウベルト・パゾリーニ監督)この作品は、質がますます下がっていく昨今の社会への問題提起となっている。
▼作品データ▼
原題:Still Life
監督・脚本: ウベルト・パゾリーニ
製作:ウベルト・パゾリーニ
フェリックス・ボッセン クリストファー・サイモン
キャスト:エディ・マーサン
ジョアンヌ・フロガット、カレン・ドルーリー
アンドリュー・バカン
(2013年/イギリス・イタリア/91分)
配給:ビターズエンド
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/omiokuri/
(C)Exponential (Still Life) Limited 2012
※1月24日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー