『薄氷の殺人』刁亦男(ディアオ・イーナン)監督インタビュー:作家性と商業主義のバランスは「永遠に解決できない矛盾」

DiaoYinan ベルトコンベアーで運ばれていく黒々とした石炭の山。そこへ不意に、人体の一部らしき白い物体が映り込む。その冒頭のシーンから、何やら尋常でない事が起こりそうな不穏な空気が一気に立ち上がる。
 『6才のボクが、大人になるまで。』や『グランド・ブダペスト・ホテル』といった強敵を押しのけ、2014年ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)と銀熊賞(主演男優賞)に輝いた『薄氷の殺人』。ともすればオーソドックスなサスペンスで終わりそうなストーリーを、力強い映像と凝った構成でみせる手腕に、類稀な作り手のセンスを感じさせる作品だ。監督は刁亦男(ディアオ・イーナン)。その名前を聞いたとき、中国映画に詳しい業界関係者すら「一体誰だ?」とネット検索に走ったほど、無名だったと言っていい監督である。
 それもそのはず、ディアオ・イーナン監督の作品が日本で公開されるのは今作が初めて。もともと脚本家としてそのキャリアをスタートさせ、『スパイシー・ラブスープ』(98)や『こころの湯』(99)といった日本の中国映画ファンにはお馴染みの作品で執筆してきた。脚本家として活躍する傍ら、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)作品の撮影監督として知られる余力為(ユー・リクウァイ)の監督作『明日天涯』(原題)に俳優としても出演。監督デビューは2003年の『制服』(原題)で、『薄氷の殺人』はまだ監督第3作品目である。
 1月10日(土)の公開を前に、今後の活躍が注目される新進監督にお話を訊いた。


薄氷の殺人 メイン
―今作のストーリーはどこから着想を得たのですか?

最初に思い描いたストーリーと、脚本の最終稿は、全く違う話になっています。
もともとは、米国の作家ナサニエル・ホーソーンの短編小説「ウェイクフィールド」の内容にインスピレーションを得て脚本を書き始めました。この小説の主人公は、理由もなく妻のもとを離れ、家の近くのモーテルに暮らしてこっそり妻の生活を覗き見ている男なんです。20年間にわたってですよ。15年目に妻と偶然地下鉄で顔を合わせますが、妻は気づかない。主人公は傷つきます。時間というのは本当に恐ろしい。彼は自分でもなぜそんな異常な行動をとっているのか分からないのです。
私は、この主人公は“死”への恐れを抱いていると感じました。ここで言う死とは、つまり自分が生きながら死人のような存在になることです。私自身も同じような恐れを抱いているので、この“死”への恐れの感覚に興味を持ちました。そこで物語の舞台を中国に移して脚本を書いたのですが、アート系映画の趣が強すぎたため、なかなか出資者が見つかりませんでした。観客は皆、『トランスフォーマー』や『007』のような映画が好きですからね。それで仕方なく、『夜車』(原題、2007年)を先に撮ることにしました。改めてこの『薄氷の殺人』の第1稿の手直しを始めたのは2008年です。2010年まで改稿を続けて、最終的には「ウェイクフィールド」とは全く別モノの脚本が出来ました。推理小説のエッセンスとフィルムノワール的な要素を加え、商業性を持たせて出資者を得たのです。バランスを持たせたということですね。

―脚本完成まで8年かかったと中国のニュースサイトで読みましたが…。

いえ、実際には2005年に第1稿を書いて、改めて手直しを始めたのが2008年ですから…2011年までかかったので、厳密には5年ですね。

―ご自身の撮りたいものに商業性を加えたというお話ですが、具体的にどのような調整をされたのですか?

さっきの「推理小説の要素を付け加えた」という話に戻るのですが、子供はオバケの話や怖い話が大好きですよね。あなたも好きでしたか?私も大好きでした。つまり、ジャンル映画として万人に好まれるストーリーにしたのです。善人が悪人を捕まえるという展開も好まれますね。人間の好奇心はとても強いので、ある事件が起きて、そこにある秘密が潜んでいるとなれば、みんなその結末を知りたいと思う。これがつまり商業性だと思うのです。同時にこの映画では、捜査の過程で観客は主人公と共に中国の地方都市の生活空間に入り込み、そこでの暮らしを垣間見ることもできます。さらに元刑事ジャンと疑惑の未亡人ウーのラブストーリーも盛り込んでいる。様々なエッセンスを一緒にすることで、ストーリーを豊かにしたのです。

―観客の好みに迎合することと、ご自身のスタイルを貫くこと。この矛盾する事柄に対して、どのようにバランスを取っていくべきだとお考えですか?

それは永遠に解決できない矛盾だと思いますよ。例えば、コーエン兄弟やデヴィッド・リンチは作家性と商業主義に折り合いをつけています。アメリカ映画らしいテンポで展開しつつも、普通のハリウッド映画とは全く異なる匂いをまとっている。じゃあ、どうやってバランスを取っているのか?彼らもまた、完全にバランスを取っているわけではなく、ただ“追求”しているだけだと思います。映画というのは、作家性が加わると、とても個性的なものになりますよね。それが好きな人は、ものすごくハマるんですよ。でも、普通のお客さんは、これまで観ていたハリウッド映画とは違うので、わけが分からなくなるかもしれません。でも、それで構わないと思います。ゆっくり観客を育てていけば良い。その結果、やっぱり好きになれないと言われたら、それは仕方がないことです。例えば学校の授業でも、先生の話を全員が理解できるわけではありませんよね。私は、全員が分かる必要はないと思っています。それを映画に置き換えたとき、誰もが理解できるなんて逆に怖いことですよ。

―では、ディアオ監督が理想とするスタイルは?

やっぱり自分の撮りたい映画を撮ることですね。身勝手な言い方をすれば、まず自分が好きな作品かどうかを優先して、観客の好みはその後で考えます。そうあるべきだと思っています。

薄氷の殺人 サブB

―原題は『白日焰火』(白昼の花火)ですが、劇中この原題がナイトクラブの店名として登場します。タイトルを付けたのが先ですか?それとも、ナイトクラブの店名にした言葉をタイトルにしたのですか?

先に“白日焰火”という言葉を聞いたことがあって、ナイトクラブの名前にしました。いつだったかは忘れましたが、友人が言った言葉なんです。その漢字4文字を聞いて思い浮かんだイメージがとても美しく、まずそのイメージと結末が浮かんだところで、どうすれば映画とこの言葉を結び付けられるのか、事件と関連付けられるのかと考え、最終的にナイトクラブの名前にしたのです。

―“白日焰火”という言葉を聞いたのは、脚本の手直しをしている最中のことですか?

そうです。確か、ある朝、街で友人と会ってしゃべった時に耳にした言葉です。

―ウーはクリーニング店で働いています。アスガー・ファルハディの『ある過去の行方』や米国映画『ディス/コネクト』など、2014年に観た映画の中に、やはりクリーニング店が登場する印象深いサスペンスが複数ありました。偶然だとは思いますが、クリーニング店という設定にしたのは、物語の背景としてそこにどんな魅力を感じるからでしょうか?

ファルハディの映画は2013年の作品?きっと我々の作品の構想の方が先ですよね(笑)。それに、あれはフランスで撮ったものでしょう?『ディス/コネクト』もアメリカの。じゃあ大丈夫だ、私たちみたいなクリーニング店は撮れないはずだから!
クリーニング店にしたのは、服と関係する事件にする構想があったからです。それに、私はどうも本能的に服と関係する場所を選んでしまうようです。監督デビュー作『制服』も警察の制服の話で、クリーニング店ではないのですが、縫製店を登場させました。だから私の方が先ですよ(笑)、『制服』の脚本を書いたのは2002年ですから。
中国でクリーニング店というと、とても庶民的な場所なんです。しかも、撮影場所に選んだハルピンには、小さな食堂と同じくらいの数のクリーニング店がある。とても寒い地域なので、レザーの服を持っている人が多いためです。庶民の生活とは切り離せない存在になっているんですね。

―クリーニング店の多さが、撮影場所をハルピンにした理由の1つなのですか。

そうですね。それともう1つ、スケート靴のブレードを使うクライムシーンは、南方では実現不可能でしたから。スケート好きが多く、肩からスケート靴を下げた人々が歩いている街ということで、当然ハルピンが対象に上がったというわけです。
脚本の改稿を重ねていた時から、スケート靴を凶器にした強烈なイメージを思い浮かべていました。ナイフにしようか、銃にしようか…いろいろと考えましたが、ありきたりではない物を使う必要があったのです。観客は異様な光景を好みますからね。異様な暴力は、ノワール映画が追い求めるスタイルの1つです。日本の映画監督もそうだと思いますが、バイオレンスシーンには毎回違う演出を考えるでしょう。

―演出についてもう1つ。夜道を歩くウーの後をジャンが距離を置いて着いて歩くシーンと良く似た構図を、前作『夜車』でも使っていましたね。ああいった縦の構図がお好きなんですか?

被写界深度の深い構図は好きですね。画面内の情報を強調した奥行きのある構図は視覚的にも美しいです。あのようなパンフォーカスの縦の構図というと、『市民ケーン』が有名ですが、私にとっても特に印象に残っている映画ですし、とても美しいと思います。

薄氷の殺人 サブC

―物語の舞台は中国・東北地方ですが、なぜウー役に台湾の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)をキャスティングしたのですか?彼女は東北なまりの北京語を話せないですよね。

佇まいが役柄に相応しいと思ったからです。特に男性が同情し、面倒をみたくなるような雰囲気がありますよね。でも、実は非常に個性的で、何か大きな秘密を内に秘めている。強烈な自尊心があり、殺人犯の可能性だってあるのではと思わせる複雑なキャラクターを、グイ・ルンメイは表現することができるのです。でも、最大のポイントはさっき言った佇まいですね。確かに東北なまりは話せませんが、他の女優にあの雰囲気は出せません。

―彼女にはファンが多いですから、起用については市場を意識した部分もありますよね?

ありましたね。もちろん商業性や予算も考慮した俳優の候補者リストが出資者側から提示されました。幸いその中にグイ・ルンメイの名前があったのですが、名前が無くても私は出資者を説得し、彼女を起用したと思います。

―グイ・ルンメイはオファーを快諾しましたか?

脚本を読むなり、気に入ってすぐに出演を決めてくれました。理解力やセンサーが優れた女優ですね。俳優の中には、脚本を読んでも、どんな役柄を演じるのかイメージできない人がいますから。

「撮影です」と言うとこのポーズ。意外とお茶目。

「撮影です」と言うとこのポーズ。意外とお茶目。

―数多くの有名俳優を輩出した中央戯劇学院の戯劇文学科を卒業されていますが、文学を専攻したのはなぜですか?もともと映画に興味はあったのですか?

文学科に進んだのは、数学がどうしても苦手だったからです。本当に、ただそれだけなんですよ。もし数学ができたなら、科学者になりたかったです(笑)。でも、昔から映画や文学は好きで、国語や歴史はよくできました。

―脚本家としてキャリアをスタートされましたが、そもそも映画監督になりたいとは思っていなかったのですか?

監督をやるつもりはありませんでした。友人から「監督はやらない方がいい」と忠告されていたので。映画監督をやると悪人になるって言うんですよ(笑)。チンピラみたいに仲間を引き連れて毎日仕事をするというのは、私の性格に合わないと言われました。

―それで脚本家になったんですね。

そうですね。友人が「監督さえやらなければいい」とあんまり真剣に言うので、私もその忠告をしっかり頭に留めていたんですよ。でも後に監督になったのは、新しいチャレンジをしたくなったからです。映画監督になった後も、別に悪い人間にはなりませんでしたけど(笑)。当時は皆お金がなくて、ただ仲間たちと理想を実現するために映画を撮っていましたし、何か衝突が起きたとしても、すべては創作のためであって、道徳や人としてどうこうという問題とは全く無関係でしたから。
でも、将来的にバジェットの大きな作品を撮れることになった時、出資者との間で意見が食い違うこともあるでしょう。その時は、有利な条件を勝ち取るために、あらゆる方法を考えなければいけなくなるとは思います。

―次回作のご予定は?

具体的にはまだありません。構想を練っているところです。

薄氷の殺人 サブA


Profile of Diao Yinan
1969年、中国・西安生まれ。北京・中央戯劇学院で文学を専攻。卒業後は張楊監督の『スパイシー・ラブスープ』(98)『こころの湯』(99)、張一白監督の『将愛情進行到底』(11)などの脚本を手がける。2003年に脚本も担当した『制服』で監督デビューを果たし、同年のバンクーバー国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。監督第2作目の『夜車』(07)はカンヌ国際映画祭・ある視点部門に出品される。また俳優としても、余力為の監督作品『明日天涯』(02)に出演。同作は2003年カンヌ国際映画祭・ある視点部門に出品されている。


<取材後記>
話の端々から、古今東西、相当な数の映画や文学に触れていることが分かるディアオ監督。中国の監督にはまるで原稿を読むかのようにPRの上手い人も多いが、ディアオ監督はどこか飄々としていて、インタビューだからと特に取り繕う様子がない。時折冗談か本気か分からないような話しぶりになるところも、作品同様、ミステリアスな魅力になっている人だ。
なるほど、お友達が「監督には向いていない」と心配したのも分かる気がする。現場を引っ張る映画監督というよりも、大量の書物に囲まれた部屋で創作に没頭する作家という雰囲気。ならば余計に、自分が撮りたいものに、市場を意識して商業性を加えるというのは簡単ではなかったろうと推察するが、ディアオ監督はそれらを上手く融合させ、「中国では国際映画祭で受賞するアート系映画はあたらない」というジンクスを覆して興収1億元(約19億円)を超える作品を撮ってみせた。まだ次回作は構想中とのことだが、次はどんな作品を練り上げてくるのか。今から楽しみでならない。


▼作品情報▼
『薄氷の殺人』
原題:白日焰火  英題:BLACK COAL, THIN ICE
監督・脚本:刁亦男(ディアオ・イーナン)
出演:廖凡(リャオ・ファン)、桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、王学兵(ワン・シュエビン)、王景春(ワン・ジンチュン)
配給:ブロードメディア・スタジオ
2014年/中国・香港/109分
©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.

1月10日(土)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
公式HP http://www.thin-ice-murder.com/

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