世界が注目するシンガポールの新鋭、『イロイロ ぬくもりの記憶』アンソニー・チェン監督インタビュー
2013年カンヌ映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞し、台湾のアカデミー賞と言われる金馬奨でも作品賞ほか4部門を制したアンソニー・チェン監督の『イロイロ ぬくもりの記憶』。中華圏でも栄誉ある同賞でシンガポール映画が最高賞に輝くのは初めての快挙で、チェン監督は洋の東西を問わず映画界において一躍注目の的となった。
『イロイロ~』は、アジア通貨危機の煽りを受けた1997年のシンガポールを舞台に、仕事で忙しい両親を持つ一人っ子の少年と、フィリピンからやって来たメイドの絆を描く。大事件が起こるわけではなく、日常の些細な出来事と感情の交感を積み重ねて展開する静かな作品。しかし、無駄のない編集と瑞々しい映像で、観る者を引きつけて離さない。
長編デビューとは思えない手腕を見せつけたチェン監督は、1984年生まれの30歳。本作の制作が本格的に始動したのは、東京フィルメックスの人材育成プロジェクト「ネクスト・マスターズ」(現タレンツ・トーキョー)で企画が最優秀企画賞を受賞した2010年だった。2度目の来日となった昨年の東京フィルメックスでは、世界に大きく羽ばたいた本作を引っさげて“凱旋上映”を実現。さらに今回、12月13日(土)からの日本公開が決定し、PRのため3度目の来日を果たした。今、将来が最も嘱望される若手監督にお話を聞いた。
-「ネクスト・マスターズ」への参加で初めて日本に来られてから4年経ちますが、監督を取り巻く環境も随分変わりましたね。
ネクスト・マスターズに参加した時は、とにかく心をこめて1本の映画を作りたいと思っていただけでした。それが思いがけずカンヌのカメラドールをはじめ世界各地で30以上の賞をいただき、フランスやシンガポールなどで興行的にも上手くいきました。ですから、4年前とは変化が大きいです。
フランスや台湾、そして日本など、僕が影響を受けてきた国や地域の興行成績はとても気になります。小津安二郎監督の映画が大好きで、是枝裕和監督の作品もずっと好きで観ています。だから日本のお客さんの反応が気になりますね。
-確かにあなたの作品からは小津監督、是枝監督の影響が感じられます。
そうなんです。このお二人のほか、台湾のホウ・シャオシェン監督、エドワード・ヤン監督、アン・リー監督らの映画は、映画の道に入ったばかりの頃の僕の栄養分になっています。
-本作の構想はいつ頃生まれたものなのですか?
4年前(2010年)の4月だったと思います。僕は英国国立映画テレビ学校(NFTS)の修士課程を修了したばかりでした。その時まで既に8本ほど短編を撮っていたので、そろそろ新たなチャレンジとして長編を1本撮りたいと思い始めたんです。
-その時浮んだのが子供の頃の思い出だったのですか?
そうですね。当時26歳でしたが、人って20歳前後になると幼い頃の事を思い返すんじゃないかと思うんです。大人になってから子供時代を振り返ると、当時見えなかったものが見えてきます。父と母の関係、両親と子供の関係、両親とメイドの関係、そしてその間に生まれる摩擦や対立。子供の頃見た世界はシンプルでしたが、今になって思い起こせば、人と人の関係はそれほど簡単なものではなかったと分かります。
-母親のメイド・テレサに対する嫉妬心が非常に細やかに描かれていたことが印象的でした。男性である監督が、あのような女同士の微妙な関係をよく理解していることに驚きました。子供の頃から感じ取られていたのですか?
気がついたのは大人になって振り返った時ですね。見ていたはずの様々な事柄に、昔は気がついていなかったんです。
印象に残っているのは、カンヌでワールドプレミアのほかに観客とのQ&Aの場が用意された上映があり、上映後に僕が登場すると客席から「えっ?」という声が聞こえたことです。40~50代の女性監督が撮った映画だろうと思われていたみたいで(笑)、29歳の男性だったことに皆さん驚いたようです。
僕は女性の気持ちがよく分かるし、女性を細かなところまでよく観察してるんですよ。僕の妻は「女性が理解できると言うなら、どうして私のことが分からないの?」って否定しますけど(笑)。それで僕は言うんです。「分かりすぎてるから、君が求めることに応えないんだ」って。理解しすぎているので、謝ってほしがっているのが分かっても謝らないし、彼女がしてほしい事をわざとしないんです(笑)。
-なるほど(笑)。きっと記憶力も良いのですね。
僕は敏感なほうで、物事を観察するとき、いつもディテールに目が行きます。表情、リアクション、動作などのひとつひとつがすべて頭の中に残っているんです。監督によっては大局的な部分や戦争など大きな事件を注視する人もいるでしょうが、僕にとっては些細な事柄が大事なのです。
-本作の時代背景としてアジア経済危機がありますが、あなたの人生にどんな影響を及ぼしていると思いますか?
あの時期に受けた影響は大きいですね。多くの会社が倒産し、大勢の人が失業しました。僕の父もその一人です。父はそれまで米国企業の子会社に務めていて、地位と給料にも恵まれていたので、失業後の一家の生活は一変しました。小さい家に引越して、車も小さな車種に変えました。その頃の体験が僕にどんな影響を及ぼしたのか、具体的には分かりません。でも、何らかの大きな影響を受けたことは事実です。
―監督がこれまで撮ってきた短編も家族をテーマにした作品が多いですよね。そこには、あなたとご家族との関係性が現れているのではと感じたのですが、どうでしょう?
僕にも分かりません。なぜ僕の作品はいつも“家族”というテーマに帰結するのか、自分自身にずっと問いかけています。でもその答えは、今は出ないと思うんです。恐らく、20年くらい経ってみたときに、作品を振り返ることで自分に対する自己分析ができるのではと思います。でも、台湾に限らず、日本や台湾の僕の好きな監督の作品は、なぜか家族に関するものが多いですね。自分でもなぜだか分かりません。
―監督は英国で修士号を取られたそうですが、なぜ英国を選んだのですか?
僕は作家性のある映画が好きで、ハリウッドのようなシステム化された映画作りには関心がありません。英国を選んだのは、シンガポールの義安理工学院で映画を学んでいた時のベルギー人の恩師がNFTSを薦めてくれたからです。シンガポールでは既に3年間、監督、脚本、撮影、編集などまんべんなく総合的なプログラムで映画作りは学んでいました。でも、映画監督という仕事をもっと深めたいと思ったんです。世界でもそれだけを学べる学校というのは少ないんですよ。それでNFTSを選んで、2年間学びました。
―留学を終えて、ご自身の映画作りで一番変わったと思うところは?
脚本作りから演出、編集にいたるまで、成熟度が増したように感じます。教授陣の要求はとてもレベルの高いものでしたから。それ以前にシンガポールで短編を撮っていたときは、1本を1~2週間で完成させていましたが、英国では1本に2ヵ月ほど費やしたのではないでしょうか。シーンごとの編集に始まり、1カット1カット、さらに1フレーム1フレームずつ編集していきました。そのおかげで、より緻密な映画作りが出来るようになった気がします。
それに、英国は豊かな文化的土壌のある国です。多くの劇場や美術展に足を運び、異なる映画や音楽に触れて得た刺激も、成長を促してくれたと思います。
―確かに、『イロイロ~』は新人監督が撮った作品には見えないです。とても老成しています(笑)。
長編1作目には見えないとはよく言われますね。老人が撮ったように見えるらしく、29歳の若者の作品だと分かると驚かれます(笑)。でも、実際のところ、僕はスタートが早いんですよ。17歳で映画の勉強を始め、短編第1作を完成させたのは19歳の時でした。19歳から29歳の10年間、短編を撮ってきたので、その分の経験はあるんです。
―長編デビュー作がここまで評価されると、2本目はプレッシャーがかかるのでは?
そうですね、やっぱりプレッシャーは感じます。たくさんの賞をいただき、欧米、アジア問わず評論家の方々にも高く評価してもらったことは、作り手にとっては確かにプレッシャーです。昨年、台湾の金馬奨で最優秀作品賞をいただきましたが、その時に審査委員長を務めたアン・リー監督からは「スタート地点が高いと、続く道は険しいよ」と言われました。作品が成功すると、どんどん作りやすくなると人は言います。例えば資金集めだったり、撮りたいものが撮れるようになったり。でも、僕は反対にどんどん難しくなると思っています。とはいえ、僕は永遠に1作目のように、シンプルに、純粋に、心をこめて良い映画を撮っていきたいとしか考えていません。
―『イロイロ~』の成功は、シンガポールの映画産業の発展の起爆剤になると思いますか?
転換点になればいいとは思いますね。これまでのシンガポール映画は、コメディやホラーが多く、アートフィルムは年間1~2本撮られるかどうかという状況でした。小さな国ですから映画の製作本数自体が少なくて、以前は年間10本程度、現在でも15本ぐらいしか製作されません。ですから、『イロイロ~』のような作品を見て、若い監督が、必ずしも商業性の高い映画を撮らなくてもいいんだ、心をこめて良い映画を撮ろうとすればいいんだ、と思ってもらえるといいですね。それはそれで可能性があるんです。海外に市場があるかもしれないし、興行的にも成功するかもしれない。『イロイロ~』は昨年のシンガポールの映画興収ランキングで、国産映画としては第3位になりました。誰もこんなアートフィルムにここまでお客さんが入るとは予想していなかったんじゃないでしょうか。
―監督のように中国語も英語も話し、英国留学の経験もあれば、国・地域を問わず活躍の場があると思います。自身の今後についてはどう考えていますか?
映画を撮り続けたいということ以外、自分でもよく分からないんです。でも、留学中に妻と出会い、今は英国で暮らしています。次回作については、シンガポールの物語も準備はしているのですが、目下、取り組んでいるのは英国が舞台の脚本です。英国のプロデューサーや編集たちと共同で進めているプロジェクトで、これから先の何本かは英語作品になると思います。
映画というのは、国境や言語の垣根を越えた芸術です。自分へのチャレンジを忘れず、違った試みを続けていきたいですね。
Profile of Anthony Chen
1984年シンガポール生まれ。義安理工学院で映画を学び、卒業制作として監督した短編「G-23」(04)は多くの国際映画祭で上映される。「Ah Ma」(07)はカンヌ映画祭短編コンペティションでスペシャルメンションを授与され、「Haze」(08)はベルリン国際映画祭短編コンペティションに選出。その後、英国国立映画テレビ学校で学ぶ。その他の短編作品に「Disatance」(10)、「Lighthouse」(10)、「The Reunion Dinner」(11)がある。
<取材後記>
笑顔が爽やかで、柔らかく響くシンガポール訛りの北京語を話すチェン監督。生み出す作品に似て優しそうな好青年だが、発せられる言葉は自信に溢れたものだった。それは、度々口にした「心をこめて良い映画を作りたい」という思いに忠実に、精進を重ねている自覚に裏打ちされたものだろう。余談だが、英会話力を伸ばしたい中国出身の奥様はチェン監督と英語で話したがっているそうだが、ご自宅でも北京語で通しているそう。もしかして、ちょっとツンデレでもあったりして…?そんな一面も垣間見たインタビューだった。
『イロイロ ぬくもりの記憶』
原題:爸媽不在家
監督・脚本:アンソニー・チェン
出演:コー・ジャールー、アンジェリ・バヤ二、ヤオ・ヤンヤン、チェン・ティエンウェン
配給:日活/Playtime
2013年/シンガポール/99分
(C)2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE (S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD
公式HP http://iloilo-movie.com/
12月13日(土)よりK’s Cinemaほか全国順次公開