【TIFF】ナバット:エルチン・ムサオグル監督記者会見
第27回東京国際映画祭コンペティション部門出品作『ナバット』の公式会見が10月25日、行われ、エルチン・ムサオグル監督と主演のファテメ・モタメダリアが出席した。
『ナバット』はアルゼバイジャン共和国の作品で、1991年、ソ連崩壊後の混乱を背景にしている。それについてエルチン・ムサオグル監督は「そもそも過去に15カ国が統合されていた時も、血による統合であって、それが分解された時も血による分解だったと思っております」と解説した。
監督は、これまで主にドキュメンタリーを手掛けていたのだが、今回の作品では、ドキュメンタリーでは表現でないこと、すなわち自分が何を感じどう考えているのかということを作品に反映させたかったという。「ドキュメンタリーを制作している間なかなか自分がどういうことを感じているのかとか、どういうことを考えているのかを表現できないことがあります。フィクションであれば、そうしたものをもっと詳しく表現することができるのです」
そしてその思いとは、「この作品は、戦争についての映画ではなく、戦時における母親が直面する状況についての映画となっております。そしてそれはアルゼバイジャンのみにおいてのみではなく、戦争しているすべての国に当てはまるものと思っております。母親にとってのもっとも重要な願いというのは、自分の息子娘たちが成長して幸せに生きることです。ですが、戦争が始まってしまうことによって、この母の願いというのが、つぶされてしまうのです」と、この作品が戦争を直節描いたものではないこと、政治的なものではないことを強調した。
意外なことに、主演のナバット役には、アルゼバイジャンの人ではなく、イランの女優であるファテメ・モタメダリアが起用されている。彼女は、イラン映画史上もっとも映画賞の受賞が多い女優と言われ『ワンス・アポン・ア・タイム・シネマ』(1992)『テヘラン悪ガキ日記』(1998)などが日本でも公開されている。「日本は第2の故郷。日本にくると自分の家に戻ったような気がしています」との言葉どおり、トーキョーフィルメックスの審査員を務めたことがある女優さんだ。
エルチン・ムサオグル監督は最初から彼女の起用を考えていたわけではなく、イランの友人から紹介を受けてキャスティングしたという。一方彼女のほうは「金銭も名誉も気にしていない。ただ、木に例えれば、同じ木のひとつの枝には違う花を咲かせたい。若手の監督と仕事することは、私にとってひとつの咲いた花のようなものなのです。今まで53人のまったく違うキャラクターを演じてきた自分の経験を若手の監督に差し出します。そして彼らからは若い新しいエネルギーを映画には入れてもらう。彼らの新鮮なアイデアを自分の演技に足していく。そうした感じです。また、自分自身には、違う国で、言葉も違う、年齢も全然違う役を演じることは大きなチャレンジだったのですね」と本作に出演した理由を語った。ナバットについては「自分はとても強い女性が大好きです。自分を強く見せている女性ではないです。ナバットは自然、人々の傷みを受け容れて立ち上がれる人です。自分からすべてを差し出すのですが、何も返ってこなくてもいい人なのですね」とその役柄の魅力を語った。
▼『ナバット』短評▼
1991年ソ連崩壊直後のアルゼバイジャンの山奥、丘の上の一軒家に住むナバットが、街まで降りて行く長い長いシーンに、平和な村に忍び寄る戦争の空気が、少しずつ伝わってくる。いよいよ戦禍が迫り、村人が空っぽになった後の家、室内の日常の道具や、壁に掛けられた家族写真に、汚れた壁に、長い時間をかけて沁み込んだ、人々の人生が見える。ひとり村に取り残されたナバットは、家々に残されたランプに火を灯していく。丘には、ただ風が雲を運んでいくばかり。その冷たい夜に、彼女の灯した家々の灯が、砲火の音の中で瞬いて、微かに孤独を癒す。ただ一匹置いていかれた狼の遠吠え、この生き物も彼女と同じ母であった。戦争で一番人生が狂わされるのは母。美しく詩的な映像の中に、その残酷が静かに滲み出した。(★★★★★)
▼作品情報▼
原題:NABAT
監督:エルチン・ムサオグル
脚本:エルハン・ナビィエフ
出演:ファテメ・モタメダリア、ビダディ・アリエフ、サビル・ママドフ
106分 アゼルバイジャン語 Color | 2014年 アゼルバイジャン |
©2014 Azerbaijan Film
【第27回東京国際映画祭】
開催期間:2014年10月23日(木)〜10月31日(金)の9日間
会場:六本木ヒルズ、TOHOシネマズ日本橋、歌舞伎座など
公式サイト: http://www.tiff-jp.net