没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭

ジャン=ピエール・レオー初日舞台挨拶に寄せて

「大人は判ってくれない」

(C)1959 LES FILMS DU CARROSSE

「アントワーヌ・ドワネルは、今も人生を歩みつづける」

 僕たちは、こんにちに至るまでジャン=ピエール・レオーの成長と老いを見守りながら、人生を歩んできた。いや、正確には、ジャン=ピエール・レオーではなくて、アントワーヌ・ドワネルのと、言った方がいいだろう。そもそも『大人は判ってくれない』でドワネルがスクリーンに現れた時、すでに彼の身体と心の半分は、レオー自身であり、もう半分はトリュフォー監督自身だったからだ。タイプライターを盗んで連れて行かれた、あの冷たい感化院でのインタビュー。「女と寝たことがあるか」と問われ、どう答えればいいか戸惑い笑ったのは、ドワネルではなくて、生身のジャン=ピエール・レオー自身、オフレコで質問していたのは、この作品の産みの親であるトリュフォー監督自身だった。この時もう、アントワーヌ・ドワネルは、ふたりの分身として歩み始めていたのである。ゆえに、彼をアントワーヌ・ドワネルと言い換えても構わないだろう。

 いや、そんな乱暴なことを言えば、ご本人はもちろんのこと、ファンの方たちからも怒られるだろう。彼は、ゴダール映画でもたくさん主演しているではないか、トリュフォー監督の他の作品『アメリカの夜』や『恋のエチュード』でも忘れ難い印象を残しているではないかと。しかし、やっぱり彼はアントワーヌ・ドワネルなのである。『男性・女性』のロベールは、その作品のみで生きているだけだし、『恋のエチュード』のクロードもそこで完結してしまっているのに対して、ドワネルはシリーズと共に成長し、トリュフォーの死後も生き続けることになるからである。

 実は本当のことを言うと、僕たちの年代は、物心ついた時にはすでに、『大人は判ってくれない』に始まるドワネルのシリーズは終わっており、それどころかフランソワ・トリュフォー監督も間もなく亡くなってしまった。1984年10月21日。もうあれから30年もの時が経っている。それならなぜ、「成長と老いを見守りながら、人生を歩んできた」などと理屈に合わないことを言ったのか。それはまさにドワネルがトリュフォーの死後も生き続けたことによる。

 僕が映画に夢中になり、アントワーヌ・ドワネルのシリーズをようやく観終えた丁度その頃、彼は、他の監督作品で何度となく蘇るのである。例えばアキ・カウリスマキ監督の『コントラクト・キラー』。ジャン=ピエール・レオーの役は、長年働いてきた仕事を首になり自殺を考える男。しかし、自殺する勇気がなくて、自分を殺すことを殺し屋に依頼するのだが、恋人が出来たことから急に命が惜しくなり殺し屋から逃げ回ることになる男。この彼の不器用で突発的な行動が、失恋した絶望から軍隊に突然入隊してしまうドワネルの姿と重なってくる。事実アキ・カウリスマキ監督は、この役をどう演じるかというジャン=ピエール・レオーの問いに対して、自らアントワーヌ・ドワネルの真似をし、こういう風に演じてくれと頼んだと言う。彼はその後もジャン=ピエール・レオーをドワネル的なキャラクターで度々登場させている。蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督もまた、ドワネルを愛する映画人のひとりで、『ふたつの時、ふたりの時間』では『大人は判ってくれない』を引用し、さらにはジャン=ピエール・レオー自身を劇中に登場させている。こうした作品に出演するたびに年を取って行くアントワーヌ・ドワネルことジャン=ピエール・レオー、それを見つめ続ける自分。何だか懐かしい友人に会ったような気持ちが湧いてくるのである。これこそが「成長と老いを見守りながら、人生を歩んできた」などという妄想を抱かせてしまう原因だったのだ。

 今回の「没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭」では、奇跡とも言えるジャン=ピエール・レオーの来日が実現した。実は僕自身は、残念なことに行くことができなかった。けれどももし実物を近くで見ていたら、抱いていた妄想が消えてしまうのではないかという複雑な思いもあった。でもやっぱり舞台挨拶は行きたかったなぁ…ということで、今回は映画宣伝会社さんより送られてきた、舞台挨拶のニュースをこちらでご紹介する。本映画祭は、フランソワ・トリュフォー監督の作品が初期作から遺作までが上映される貴重な機会である。当然アントワーヌ・ドワネル・シリーズのすべても一度に観られるのだ。この映画祭で、また新たなるトリュフォーファン、ドワネルファンそしてジャン=ピエール・レオーのファンが誕生することを願って止まない。



「没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭」ジャン=ピエール・レオー初日舞台挨拶

レオー氏10月11日(土)東京・角川シネマ有楽町にて「没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭」が初日を迎え、トリュフォー映画の顔とも言える俳優ジャン=ピエール・レオー氏(70歳)が舞台挨拶を行った。
自身のデビュー作『大人は判ってくれない』についてジャン=ピエール・レオー氏は、「この作品は私のプロビデンス(神の摂理)のようなものです。そのプロビデンスによって、私はフランソワ・トリュフォーに出会うことができました。また、この作品はアントワーヌ・ドワネルという一人の登場人物の誕生でもあります。」と力強く答えた。

劇中、夜のパリの街並みを見て涙を流すシーンの意味について、客席からの質問に対して、「素晴らしい仕事をしているとき、神の恩寵のようなものがある瞬間があります。撮影時期は冬でしたから、私は風邪をひいてしまいました。ですから自然に涙がでてきたのです。映画の現場では時として奇跡が起こります。後に傑作と呼ばれる作品は特にそうです。それが映画なのです。」と、会場の笑いを誘いながら、『大人は判ってくれない』の裏話について、大いに語っていた。



■全23作品上映!「没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭」
10月11日~10月31日3週間限定 角川シネマ有楽町にて開催
※「没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭」は10月31日まで開催後、全国順次公開予定。
主催:マーメイドフィルム、KADOKAWA、アンスティチュ・フランセ日本
配給:マーメイドフィルム
公式サイトhttp://mermaidfilms.co.jp/truffaut30/
『大人は判ってくれない』 ©1959 LES FILMS DU CARROSSE

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