アルゲリッチ 私こそ、音楽!

孝行娘のカメラによる“母親マルタ”の観察記録

BLOODY DAUGHTER_Main クラシック音楽ファンなら世界屈指のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの名を知らぬ人はおるまい。かくいう私もクラシックファンのはしくれだが(自称)、ミーハー心ゆえに「いつか絶対に生のアルゲリッチを見る(=演奏を聴く)!」と思っていたものだ。しかし人気ピアニストだけにチケット代が高い。ところが今年のGWに開催された「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日音楽祭」に彼女が初降臨! 比較的手頃な価格のチケットが売りの一つの音楽祭だ。彼女の出演プログラムのチケット販売初日は、会場の東京国際フォーラムの特設チケット売り場でしか販売しておらず、ひたすら並んだ。幸いにもチケットを入手でき、生まれて初めてアルゲリッチの演奏を聴くことができたが、演奏もさることながらその神々しい存在感に感慨ひとしおだった。

本作は、そのアルゲリッチの三女ステファニー・アルゲリッチ監督による、“母親マルタ”のドキュメンタリーだ。映像作家が自分の家族のドキュメンタリーを手がけることは珍しくない。『エンディングノート』(砂田麻美監督)や『妻の貌』(川本昭人監督)などがそれに該当する。彼らが家族のドキュメンタリーを撮るメリットは何か・・・と考えると、やはり作家と取材対象者の近さゆえに発生する親密さだろう。本作でもクラシック界の女神と呼ばれるマルタのパジャマ姿も映されているが、家族以外の人間が向けるカメラに、インタビュー嫌い、演奏会の突然のキャンセルとミステリアスなことでも有名な彼女が寝起きの姿を映すことを許すとは思えない。家族だからこそ収められるショット、引き出せる言葉がある。極端な話、娘であれば母親を24時間観察できるのだ。本作はそのメリットが最大限に生かされている。

ただ、マルタの演奏シーンもがっつり見られるのか?と期待していたのだが、それは少し違った。もちろん音楽シーンが皆無というわけではないし、彼女がショパンコンクールで優勝した時の貴重な映像も収められている(当時24歳)。だが本作の目的は、ステファニーが自分自身を見つめつつ、母親マルタとは何者なのかを追う作業にフォーカスされている。舞台に立つマルタを熱く見つめたり、彼女のCDを愛聴したりするファンからすれば、彼女は素晴らしい音楽家として崇拝の対象だが、ステファニーにとってマルタは、ピアニストである以上に母親としての存在のほうが勝るのだろう。

マルタには2度の離婚歴がある。そして3人の娘はそれぞれ父親が違う(以前、私の好きな指揮者シャルル・デュトワと結婚していたことを知った時には驚愕した)。その影響もあり、娘たちが育った環境は異なる。ステファニーは自分自身と異父姉2人にもカメラを向ける。彼女たちの言葉から浮かび上がる母親との関係性、そして母親像が面白い。何ともまあ、複雑な家族の物語であることか。そこにはそれぞれが家族の関係に悩み、確執もあれば絆も感じられる。そして“女神”もまた、私のような凡人と同様に迷いを持っていることに一種の親近感も湧いてくる。ステファニーのカメラはそんな母親を実直に観察し、近寄りがたいイメージのあるマルタと観客の距離を縮める。作品に使用されている映像は正直なところホームビデオに毛の生えた域ではあるが、それがかえって観客のマルタへの親しみを増すのに一役買っている。

マルタは「音楽は感じるもの、言葉を超越するもの」と語っている。ステファニーの母親観察の成果は、「マルタは◯◯な人間だ」という結論はなく、見る人の感性に委ねられている。ドキュメンタリーとしては作家の主張が乏しくて歯痒い感もあるが、ステファニーはマルタのこの言葉を映像で体現したと言えるのではないか。ステファニー、母親の意図をしっかりと受け止めた孝行娘だ。

いつかまたマルタの生演奏に触れる機会があれば、この映画を思い起こすだろう。「私はあなたのパジャマ姿を目撃しているのよ」的な、さも秘密を握っているかのような優越感に浸ってしまうかも。彼女の演奏を聴いたとき、自分のなかでどういう感慨が湧くのか楽しみにしておきたい。あぁ、それにしてもチケット代が高すぎる!(涙)

▼作品情報▼
監督:ステファニー・アルゲリッチ
出演:マルタ・アルゲリッチ、スティーヴン・コヴァセヴィッチ、シャルル・デュトワ、リダ・チェン、アニー・デュトワ、ステファニー・アルゲリッチ
原題:BLOODY DAUGHTER
配給:ショウゲート
2012年/フランス・スイス/96分
© Idéale Audience & Intermezzo Films
公式サイト:http://www.argerich-movie.jp/
2014年9月27日(土)より、Bunkamuraル・シネマ他にて公開!

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