『聖者たちの食卓』:フィリップ・ウィチュス監督インタビュー

これは料理でできることの最高の到達点です。

ウィチュス監督1

フィリップ・ウィチュス監督

 シク教の聖地インド黄金寺院では、1日10万食ともいわれる食事が無料で提供されている。本作は、その食事の舞台裏を、セリフやナレーションもなく、ただひたすら追ったドキュメンタリーである。それはまるで、旅をして実際にその地にいるかのような映像体験。食事の準備をする大勢のボランティアたち、ある者は玉ねぎの皮をひたすら剥き、ある者は、チャパティをひたすらこねる。ひとつひとつの作業パートは、雑然として見えるのに、全体としては、まるでオートメーション工場のように整然と機能している。食事を作ること、食べること。こんな当たり前のことも、このようなスケールで見せられると、ただただ圧倒されるばかりだ。人が食事をすること、その根源的な意味を問い直されているかのような作品である。9月27日の公開に先立ち、来日したフィリップ・ウィチュス監督(共同監督のお一人)に、お話しを伺った。




――制作の経緯、撮影の方法などを教えて下さい

 この作品製作のきっかけは2004年でした。(※)実際に撮影が始まったのは2011年で、構想から撮影までに長い年月がかかっています。とても資金集めに苦労し、それだけで5年もかかってしまいました。黄金寺院というのは、いつも非常に沢山の人で溢れていますので、最初から少人数のスタッフで撮影すると決めていました。カメラマン兼監督の私、他に録音、アシスタントで3人。あと役割があったわけではないですが、私の娘がいっしょに付いてきていました。共同監督であるヴァレリー・ベルトー監督(奥さん)のほうは、あまり現場にはいなかったのですけれども、実は他のほとんどの仕事をやっておりますので、彼女のほうが正式な監督というべきなんです。私のほうは共同監督となってはいますが、カメラマンと言った方が正しいことになります。カメラは出来るだけ小型でということでソニーのハンディカムを使いました。

※2010年制作『Sarega』の準備で初めて黄金寺院を訪れた。

main_s大きな鍋――この作品では、畑から作物を採るところから、食事の後片付けまで。それ自体が物語のように展開していきます。撮影プランは事前に綿密に組み立てられていたのですか。

 撮影の許可を取ったのは2008年なのですが、その段階でどういったものを撮るかといったことは大体決めていました。2011年に何日もそこで撮影をすることになるのですが、現場では、最初に決めていたことだけでなく文脈に応じて柔軟に撮影内容を変えていこうということで、自由度をもって撮影を進めていきました。自然光を使ったので、日光の状態にも応じて柔軟に対応しなくてはなりませんでしたし。

――冒頭のほうの朝の深い霧のシーンが印象に残りました。いつもあのような霧が出ているのでしょうか。またここには何か意味を込められていたのですか。

 冬の終わりだったのですが、霧が出やすい状態ではありました。撮る前日にも撮影こそできませんでしたが、霧が出ていたのですよ。実際には5時くらいから撮影しました。撮影当初はそんなに深い意味はなかったのです。ただ霧に包まれている方が美しく見えるということで、あのような映像を使いました。ただ実は、あの霧に包まれている寺院というのは、別の寺院なのですよ。無料で食事を提供しているのは、必ずしも黄金寺院だけではなくて、シク教の寺院はどこも同じことをやっているということ、それを見せる意味もあったのです。実際行ってみると、黄金寺院ほど近代化されていないし、食事の内容も劣るのですけれども、雰囲気や伝わってくるものは一緒だなと思いました。

――なるほど。実は、こういう質問をさせていただいたのは、シク教の創始者ナーナクの弟子が、彼を讃えた言葉にこんな一節があったからなのです。「真の法王ナーナクは沸きかえる烟霧のうちに生まれ給えり」と。それと何か関係があるのかと。(「インドの黄金寺院」那谷敏郎 平凡社カラー新書)

 それは知りませんでした。いいことを聞きました。撮影における偶然は、得てして必然になるのかなと思います。

――この作品ではナレーションやインタビューなど説明的なものがなく、ただ情景を切り取るだけになっています。随分思い切ったことをされていると思うのですが。

 2004年に『ゴールデンキッチン』という短い作品を作ったのですが、その時も一切コメントをつけませんでした。それが、言葉の壁がないということで、世界中の多くの人に受け入れられ成功したので、今回もそれで行こうと決めました。また、あの寺院というのは神聖な場所ですよね。そこでコメントするということは、失礼まではいかないでしょうけれども適切な行為とは思えなかったのです。その代わりにグールの言葉(シーク教の聖典)というのを冒頭で持ってきています。私たちが説明的なことを言うよりも、この場にはふさわしいし、シク教の人たちにとっても良いことだと思いました。作品のタイトル「Himself He Cooks」も直訳すると、神がご自身で調理なされたということですけれども、それも実際に寺院の中に書かれている文言なのですよ。

――監督自身がこの寺院で一番感銘を受けたのはどの部分ですか。

 1989年にシク教の弾圧ということがありましたけれども、総じてあの寺院は、歴史的にも地理的にも平和で、信仰の地とずっとみなされてきたところです。本当にあそこには、観光客でも、シク教徒でない人でも感じることができる穏やかさというものがあります。ランガル(無料食堂)に関しましては、食べる場所であり、心を休ませる場所でもあり、そういう意味では癒しの場所なのですけれども、誰でもそんな風に感じるのではないかと思います。

――実際に黄金寺院で食事をされたのですか。

 毎日食べていました。一日どっぷり撮影していて、外に出て食べるという時間がなかったので。そもそも私はとても身体が固いので、最初は床に坐って食べるということが、とてもしんどかったのですけれどもね。それでも、実際にあそこに来ている人たちと打ち解け、近付くためにも、一緒に食べるということは必要なことであったと思います。

ウィチュス監督2――ランガル(無料食堂)は、宗教と密接に結びついているのですが、その思想の体現として富める者も貧しい者も誰でも平等に食事が出来るというところがすごいと思いました。これは、キリスト教にはないものですよね。

 ベルギーのクリスチャンのコミュニティでは、どうしても食事を提供するということになると、チャリティということと結びついてしまうのです。色々な背景をもつ人たちに平等に食事を振る舞うということは、料理人としての立場で言うと、料理にできることの最高の到達点だと思います。色々な種類の人たち、階級も超えて、交流をもってもらうためにも、そういった壁を取り除いた状態で食事を提供したいというのが私の理想です。

――シク教のこの伝統は16世紀から続いているといいます。世界中どこでもこうした様々な食文化が何百年もの間受け継がれてきているわけですが、今モンサントを始めとする世界企業がこれを画一化しようと動いているように見えるのですが。

 黄金寺院そのものは、例えば遺伝子組換え作物とか、そういうものは一切受け付けないというスタンスを取っています。インドでは、学歴のない農民でさえも、モンサントのやっていることを受け入れないという姿勢を取っています。バンダナ・シーバという人が農民たちと一緒になってタネを守り、かつタネを貯蔵するという活動をしています。彼らは、モンサントなどの産業から独立した姿勢を貫いている人たちなのですね。

――監督自身は、このことについてどう思われ、また何かされていることがありますか。

 私自身は家庭菜園をやっているわけではないですが、自然に手に入るもの、例えば水にしてもタネにしても、そういうものに商業的な価値を付け加える、自然でないことをするということに、そもそも反対をしています。私が具体的にしている活動は、できるだけオーガニックなものを使うということ、あとは出来る限り安上がりで自然の物を使うということ、できるだけシンプルな料理をするということです。それと周囲の人たちにそうした産業化された作物を使わないようにしてほしいと訴えたりしています。実は、今それに関して、作品を企画しているのですよ。自給自足で作物を育てたり、自分で洋服を縫ったりすることを推進し、なおかつ産業化された作物に頼らずに生きていくこと。「そういうものから解放されよう」という啓蒙的な作品なのですが、今年から関り始めています。マジョルカ島の幼稚園でそういうことをすでにやっているのですね。バンダナ・シーバらがマジョルカに行き、そういう教育を推進するための指導をしています。

――とても興味深く、楽しみですね。元来、世界が画一化していく中で、食文化だけは、その国の文化を一番よく理解するための重要な手段であり、また変わらないものだと思うのですが、監督自身、今後も食から文化を伝えていくというような作品を作っていこうと考えられていますか。

 機会さえあれば、世界の食事文化の紹介、そういうことをしていきたいと思っております。そもそも私はあちこち旅をするのが好きですし、他の文化を知ることに非常に興味があります。ベルギーでも、家から僅か数キロのところでも、別の文化に出会うということもあるにはあるのですが、ただ実際に他の国に行けたほうが、異国情緒とかも味わえるので、それはやっていきたいと考えています。



▼フィリップ・ウィチュス監督プロフィール▼
66年ベルギー生まれ。映像作家兼フリーの料理人、料理評論家としても活躍中。食に関連した様々なプロジェクトに関り、世界各地でボランティアもしている。共同監督のヴァレリー・ベルトー監督は彼の妻で、他に短編ドキュメンタリー『Golden kitchen』(06年)『Sarega』(10年)などを共同で監督している。



▼作品情報▼
『聖者たちの食卓』
原題:Himself He Cooks
監督:ヴァレリー・ベルトー 、フィリップ・ウィチュス
音楽:ファブリス・コレ
配給:アップリンク
2011年/ベルギー/65分
(C)Polymorfilms
9月27日(土)、渋谷アップリンクほか全国順次公開
公式HPhttp://www.uplink.co.jp/seijya/ 

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