『郊遊<ピクニック>』蔡明亮監督&李康生インタビュー:二人三脚で20年。決別望んだことも「しょっちゅう」?
近年、次々とヒット作が誕生し、台湾の映画市場で活力を取り戻した台湾映画。優れた作品が生まれていることは確かだが、どちらかといえば若手スターを起用した軽妙な青春映画や大掛かりな宣伝を打った商業映画が幅を利かせている。そうした潮流の中で、独自の芸術性を貫いた映像表現で異彩を放ち続けるのがマレーシア生まれの巨匠・蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)だ。
現代社会の孤独や哀しみを描きながらも、作り手の愛ある眼差しが同時に伝わる蔡明亮の作品群。その特徴は最新作『郊遊<ピクニック>』でも健在で、印象的に多用される長回し画面の引力も更に突き抜けた感がある。それは万人がたやすく理解できる世界ではないかもしれない。観る者に相当な咀嚼力を求める境地かもしれない。事実、蔡明亮の作品は興行的には苦戦してきた。それでもなお、作家としての感性を曲げない、観客に迎合しない確固たる自信と信念は、ここにきて、もはや凄みすら感じさせる。観ている側もその静かな熱さを感じているうち、それを劇場で享受することが格別の悦びに思えてくるのだから、蔡明亮はやはり特別なアーティストだ。
昨年9月のヴェネチア国際映画祭で、これを最後に蔡監督の引退が報じられたことでも話題になった『郊遊<ピクニック>』。9月6日からの日本公開を控え、蔡監督と、20年にわたり蔡作品で主演を務めてきた李康生(リー・カンション)さんが来日。作品について、2人のこれまでの軌跡とこれからについて、さらに引退発言の真意について、ざっくばらんに語ってくれた。
■「『河』を撮り終えた後、
もうゲイの役はやりたくない」って言ったんです
―まずは李さんに質問です。20年にわたり蔡監督の作品に主演し続け、文字通りいろいろなものをさらけ出して演じてこられました。正直、ほかの監督の作品に出たいと思ったことはありませんか?
李:ありますよ、しょっちゅう(笑)。監督はよく言うんです。僕がスターじゃないから興収が伸びないんだって。でも僕はよくこう思うんです。彼の撮るテーマや映画のスタイルが僕をスターにしないんだって。まあこれは冗談ですけど。
でも、『河』を撮り終えたあと、「もうゲイの役はやりたくない」って監督に言ったんです。だって、ゲイの役をやっていると彼女ができないじゃないですか。だから、そうした役を避けようとしていた時期がありました。でも、これはただの演技なんだと思い直すようになり、それからは監督が脚本に書いたとおりに演じています。
―蔡監督の作品で演じるということは、あなたにとってどんな作業だったのでしょう。
李:蔡監督は俳優に、芝居をしているように見えない出来る限り自然な演技を求めます。よく人から「あなた自身を演じているみたい」と言われるのですが、僕はそうは思いません。自然な演技は一番難しい。演技している跡を残してはいけないので、とても難しいです。『郊遊<ピクニック>』では、キャベツを食べるシーンや「満江紅」という詩歌を唄うシーンはほぼ一発OKでした。なぜなら多少演技をしてるから、僕にとっては比較的やりやすかったんです。逆に蔡監督の映画でよく登場する、食べたり、飲んだり、排尿したりといった日常的な行為はやりにくいです。
蔡:でも、「満江紅」のシーンや、キャベツや鶏モモをかじるシーンは、私にはすごく自然に見えましたよ。李康生の芝居は、訓練されて生まれる芝居じゃない。彼の人生経験の蓄積が反映された芝居です。だから、李康生がこの年齢じゃなければ、この20年の演技経験がなければ、私たちはああやってキャベツを食べる彼を見ることはできなかった。彼の芝居はいわゆる演技という概念ではなく、自然とこの境地に至ったものだと思っています。
■「満江紅」を唄うシーンは、
台湾の中年以上の人々の気持ちを代弁している
―李さん演じる小康(シャオカン)は、“人間立て看板”として不動産の広告を掲げながら詩歌「満江紅」を唄います。監督はなぜこれを唄わせようと思ったのですか?
蔡:昨年の金馬奨(台湾版アカデミー賞、蔡監督は最優秀監督賞を獲得)で、審査委員長のアン・リーがあのシーンを特に評価してくれて非常に嬉しかったですね。彼には、あのシーンの重要性がわかったのです。小康はまるで台湾人が抱える鬱憤を吐き出しているようだと評価してくれました。とりわけ、さまざまな社会の変遷を経験してきた台湾の中年以上の人々の気持ちを代弁しているシーンだと思うのです。
―「満江紅」は、英雄と讃えられる中国・宋代の将軍・岳飛が詠んだ詩歌ですね。
蔡:岳飛というのは非常に愛国心の強い将軍でしたが、報われない運命を辿った人物です。台湾の観客は皆その歴史的背景を知っているので、この詩を聞けばその境遇が浮かびます。多くのものを追い求めながら、何も実現できなかったという感覚は、いつの時代も同じだと思うのです。ビジネスの成功であったり、円満な家庭であったり、求めるものは岳飛の時代も今も同じであり、現代社会ではよりあからさまになっています。しかし、人生の大半を費やして努力しても、経済状況が悪化すればすぐ消えてなくなってしまうのです。
あの“人間立て看板”のシーンを撮る前、実際あの仕事をしている人を取材しました。ほとんどが中高年の方で、話相手もなく、ウォークマンも持たず、じっと立ち続けているだけなのですが、中に何やら口を動かしている人がいました。何を喋っていたのかと聞くと、念仏を唱えていたと言うのです。大変な苦しみ、抑圧を感じます。言いたいこともたくさんあるのでしょう。その時、李康生に「満江紅」を唄わせようと決めました。
■引退発言の真意
「チケットを買って映画館で見てもらう最後の作品」
―蔡監督は昨年のヴェネチア国際映画祭で本作で引退と受け取れる発言をされましたが、李さんは事前にそれを聞いてらっしゃいましたか?
李:日本の宮崎駿監督もあの時、引退を表明したんですよね。でも、蔡監督が引退すると言ったのは、きっと身体的な理由で、疲れたからなんだろうなって思いました。『郊遊』を撮ってたときは、いつも具合が悪かったので。二度ほど、夜中に僕が車で監督を救急病院に送ったことがあります。だから体調のせいだろうと思いました。
―蔡監督、李さんはこうおっしゃっていますが。
蔡:あの時は、私から引退表明したわけではないですよ。記者に聞かれたから答えたんです。なぜそんな質問が出たのかというと、ヴェネチアのパンフレットに寄せた私の心境を書いた文を読んだからで、すべてのメディアがそれについて質問してきました。
実際私は、「この作品は、私が観客にチケットを買って映画館で観てもらうために撮る最後の作品となることを望みます」とはっきり書きました。それには目的がありました。皆さんに、現在の映画の興行システムについて考えてもらいたいということです。商業的に作られた映画以外は上映できないのでしょうか?映画館側としてはダメでしょう、かけたがりません。だから私は、この20年やってきたようなことはもうしたくないと言ったのです。つまり、興行側に映画をかけてくれるよう頼んだのに、結局観客の入りが少ないという状況に疲れたのです。
もう一つには、体調が悪いこともあります。今後何本も映画を撮るということはないでしょう。もしこれから撮るとすれば、上映するのはチケットを売るような劇場ではないと決めています。
―ヴェネチアでの発言は、台湾の観客に向けたものだったんですね。
蔡:私の映画は、私自身のお金で作ったものではありません。いろいろな国から資金を集めたものなので国際的な配給は私がコントロールできるものではないのですが、台湾におけるコピーライトは私が持っています。ですから台湾では、少なくとも私の映画をこれまでのような悲惨な目に遭わせたくない。自分の作品の活路は自分でコントロールしたいのです。例えば、私の作品を美術館で上映するといった話を進めています。
観客にあわせて作品を変えるのではなく、映画で観客を変えたいと言ってはばからない蔡監督。金馬奨でアン・リーに高く評価されたことをことさら嬉しそうに語ってくれた表情からは、これまで国際的に高い評価を受けながらも、どうも台湾では冷遇されてきた自分の作品がやっと“正当な評価”を受けことへの満足と自信が感じられた。
話題を呼んだ「引退宣言」は、台湾映画界に突きつけた芸術家としての誇り。それは映画との決別ではなく、蔡明亮の新たなステージの幕開けなのかもしれない。
<取材後記>
「立て板に水」の如く饒舌で、特に“小康”(シャオカン=役名と同じ李の愛称)こと李康生の話となると賞賛の言葉が止まらない蔡監督。かたやマイペースで、ゆったりインタビュアーや蔡監督からの言葉に応じる李康生。唯一無二の存在感を放つ者同士が醸し出す雰囲気もまた、作品と同様、一種独特のものだった。
昨年秋の東京フィルメックスで本作が上映された際、ティーチインで「この映画には、李康生以外に何もないのです」とまで語っていた蔡監督。惚れ抜いた主演俳優との二人三脚は本作の後も続いており、映像アート“Walker”シリーズや、今年8月に台北アートフェスティバルで上演された舞台「玄奘」などでコラボレーションを続けている。気になるのは、蔡監督が劇場用映画から離れた後、李康生のファンは彼をまたスクリーンで観られるのか?ということかもしれないが、すでに日本のAV女優・波多野結衣と共演した新作映画『沙西米』も待機中。蔡監督も来日時のトークイベントで、「私以外の監督の下で小康がどんな表現をするのか楽しみ」と不敵(?)な笑みを浮かべながらも、楽しみにしている様子だった。まだまだ2人は映画ファンを楽しませてくれる。そう信じて疑わない。
Profile of Tsai MingLiang
1957年マレーシア生まれ。77年に台湾に移り、大学在学中からその才能で注目を集める。91年、テレビ映画『小孩』で李康生を見出し、92年長編映画第一作『青春神話』で主役に起用。続く第二作『愛情萬歳』はヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞する。97年『河』はベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、98年『Hole』はカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、2001年『ふたつの時、ふたつの時間』はカンヌ国際映画祭芸術貢献賞、03年『楽日』はヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞、05年『西瓜』はベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞)ほか同アルフレッド・バウアー賞、同国際批評家連盟賞など世界三大映画祭をはじめ、国際的に高い評価を得る。06年には『黒い眼のオペラ』を発表。09年にはルーヴル美術館の招待で『ヴィザージュ』を製作し、アート・フィールドにも進出。12年以降、李康生が世界の都市をゆっくり歩くパフォーマンスを撮影したシリーズ“Walker”を製作している。
Profile of Lee KangSheng
1968年台北生まれ。ゲームセンターにいたところを『小孩』を撮っていた蔡明亮に見出され、92年『青春神話』で映画デビュー。94年『愛情萬歳』ではナント三大陸映画祭で主演男優賞を受賞。以降、本人の愛称でもある小康(シャオカン)という役名で、蔡監督の全作品で主演を務めている。
蔡監督作品以外でも95年『浮草人生』、97年『台北ソリチュード』(2作とも林正盛監督)、99年『千言萬語』、2002年『自由門神』(2作ともアン・ホイ監督)に出演。また、監督業にも進出し、03年『迷子』、07年『ヘルプ・ミー・エロス』、09年『台北24時』(オムニバス)を発表している。
▼作品情報▼
『郊遊<ピクニック>』
原題:郊遊
英題:Stray Dogs
監督・脚本:蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)
出演:李康生(リー・カンション)、楊貴媚(ヤン・クイメイ)、陸奕静(ルー・イーチン)、陳湘琪(チェン・シャンチー)、李奕䫆 (リー・イーチェン)、李奕婕(リー・イージェ)
配給:ムヴィオラ
2013年/台湾、フランス/136分
(C)2013 Homegreen Films & JBA Production
9月6日(土)、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
公式HP http://www.moviola.jp/jiaoyou/