【フランス映画祭】『バベルの学校』:ジュリー・ベルトゥチェリ監督Q&A

「本来の教育とはこういうものじゃないかと思いました」

10_La cour de Babel-main タイトルのバベルは、文字どおり旧約聖書「バベルの塔」、すなわち天にまで届く塔を建設しようとした人間たちを不快に思った神が、人々に別々の言葉を話させるようにし、結果人々が世界中に散らばっていったという話に基づいている。フランスのパリにある中学校、その適合クラス(フランス語を学ばせ一般クラスに入るたるめの準備をする)に世界中から集まってきた子供たちは、セネガル、ブラジル、モロッコ、アイルランド、中国、ウクライナなど、24の国籍にまたがっている。冒頭「こんにちは」という挨拶を黒板に書かせれば、黒板中がそれぞれの言葉で埋まってしまう。生徒たちの境遇もさまざまだ。住んでいた家をそのままに、友達に別れも告げず、着のみ着のまま移住してきたウクライナの少年。母国では女の子は教育を受けられず、初潮が始まればすぐに結婚させられることから、パリの親戚に預けられたアフリカの少女。父親の暴力から逃れ母と共に移住してきた少女。差別から逃れるために移住してきたユダヤ人の少年。「バベルの塔」で散らばって行った人たちが一同に集まって来た教室、この作品にはそんな趣がある。子供とはいえ、文化が違えば時に喧嘩になることも。果たして宗教や、民族、言葉の壁を超えて、人々は再びひとつになれるのか。言葉に語弊があるかもしれないが、この教室はそんなひとつの実験場のようにも思えてくる。これは、このクラスの1年間を追ったドキュメンタリーである。



6月28日、映画上映後には、ジュリー・ベルトゥチェリ監督、そしてクラスの受け持ちであるブリジット・セルヴォーニ先生によるQ&Aが行われた。(以下※は筆者注)


左ジュリー・ベルトゥチェリ監督、右ブリジット・セルヴォーニ先生

左ジュリー・ベルトゥチェリ監督、右ブリジット・セルヴォーニ先生

――この作品を撮るきっかけはなんだったのでしょう。
※ジュリー・ベルトゥチェリ監督のこれまで2本の劇場公開作品(『やさしい嘘』『パパの木』)はいずれもドラマであったが、実はテレビではドキュメンタリーを撮っている。

ジュリー・ベルトゥチェリ監督(以下ベルトゥチェリ監督):私は毎年中学生ドキュメンタリー映画フェスティバルの審査委員長を務めていまして、そこでブリッジットさんと偶然会ったのです。先生は、祖国を離れて暮らす生徒たちを15人連れてきていました。またその作品にも非常に感銘を受けたこともあり、その場で、20カ国以上の子供たちが1年間ひとつのクラスで過ごすという経験を撮ってみたいという気持ちになりました。

――子供たちがとても自然に振る舞っていたのですが。

ジュリー・ベルトゥチェリ監督ベルトゥチェリ監督:この作品の場合は1年間をかけて作りました。その過程において自己紹介を何回もしましたし、どういう仕事をしているかを充分に生徒たちに伝えていったのです。1年間にわたって毎週2~3回の割合で定期的に学校を訪れていましたね。そこで撮影する場合もカメラと録音スタッフ2人だけで行きました。私自身が肩にカメラを乗せて撮っていったのですよ。報道の場合は1週間なり非常に短い期間しか時間がありませんので、質問をしてそれに対して答えてもらうという形なのですけれども、ドキュメンタリーの場合は、向こうから出てくるものを聞きとるという立場にあるので、何をして欲しいということは一切言ってはいけないわけですね。子供たちに演技を付けるとかいうことは一切なく、ありのままの姿を、ある程度の距離を持って追っていったのです。こういう作品ができたのは、映画のスタッフと生徒たちとの信頼関係がよく出来上がっていたからこそだと思います。


※作品の中で生徒たちによってドキュメンタリー映画が作られている。その中でとても面白いシーンがある。カメラの前でそれぞれの生徒が自分の国のことや将来の夢を語るという場面を自分たちで撮影している時、一人の生徒が「カメラの前では緊張してしゃべれない」と言うのである。直前にジュリー・ベルトゥチェリ監督のカメラの前では自然に話していたというのに…。このことは、映画のカメラが彼らにとって、まったく意識されない存在になっていたということを何より示している。この映画の撮影方法は、羽仁進監督の『教室の子どもたち』によく似ている。休み時間、校庭に出た生徒たちの姿を遠くから捉えるところ、望遠レンズで離れて撮影していたところなど共通点が多い。当時助監督を務めていた羽田澄子著「私の記録映画人生」によれば、子供たちというのは、1週間くらいそこに居続けることで、カメラをまったく意識しなくなるものなのだという。


――先生みたいな人に出会えたら良かったなと思いました。ああいう勉強自分もしてみたかったです。一体どういうことを心がけて生徒を指導しているのですか。

ブリジット・セルヴォーニ先生

ブリジット・セルヴォーニ先生

ブリジット・セルヴォーニ先生(以下セルヴォーニ先生):まず大切なのは、子供の声に耳を傾けるということ。常に生徒を励まし続け、生徒の心の中にあるものをひきだしてあげること。各生徒の価値を引き出してあげ、それによって自信を持たせてあげる。この3つが非常に大切なことだと思います。

ベルトゥチェリ監督:先生の素晴らしい点は、成績というものをあまり重要視しないところですね。成績の悪い子は良い子じゃないと考えがちなのですが、そうではなくて、もし点数が悪ければ、多分先生のほうの説明が悪かったのねということで、同じ問題をまた2~3週間後にテストをしてあげる。その結果がまた悪ければ3回目をしてあげて、そのうちの1番いいものをあなたの成績として記録してあげましょうと。そういうやり方をしていらっしゃるのですね。それに対して私は非常に感銘を受けました。本来教育とはこういうものじゃないかと。

――映画の中で、宗教について生徒たちが論争になる場面があります。こちらとしては、どうしていいか想像がつかないものなのですが、先生はそういう時どういった心構えなのでしょうか。

セルヴォーニ先生:先生から上から目線で講義をするということでは生徒には伝わらないと。そういった意味で子供たちの中からそういう問題をひきだして、自分と違う宗教を信じている子がいるということを理解するようさせています。時にはけんかになったりするんですけれども、けんかではなくて議論によって意見を交換させ、相手の立場を考えさせる。それによって同じ宗教じゃなくても一緒に暮らして生活していけるんだ、一緒に学んでいけるんだということを生徒たちに自ら分からせていくという方法を私は取りました。

――これは2年前に作った作品だそうですが、先生は今でも生徒たちとコンタクトがあるのですか。その後の生徒たちはどのように過ごしているのでしょうか。また監督がこれから同じような記録映画を作るつもりがあるのでしょうか。

セルヴォーニ先生:適合クラスというのは生徒と先生の絆が強いものですから、卒業後も常に連絡は取り合っております。その後もみなさん勉強を続けていて、楽しく暮らしているということです。中国の女の子が出てきましたけれども、あの子も最初の頃から較べると非常に社会に溶け込んで、幸せな生活を送っております。落第しかけた女の子がいましたけれども進級できまして、今はリセに行っています。全員が高校に進んで勉強を続けていますよ。

ベルトゥチェリ監督:生徒同士もずっと友達で、メールやフェイスブックを通じて常に連絡を取り合っているとのことです。3名だけはフランスを離れました。神様のことをしきりに話していた女の子、アイルランドの子、イギリスから来ていた子ですね。後の子たちはずっとフランスで暮らしています。映画を作りますと、皆さんとその後も交流を続けて行くというのが、私のこれまでのケースなので、今回の場合も、出来たら皆がその後どうなっているのかを撮ってみたいと考えております。



▼『バベルの学校』作品情報▼
原題:La Cour de Babel
監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
出演:ブリジット・セルブヴォー二
制作:2013/フランス/89分/ビスタ/5.1ch
配給:ユナイテッド・ピープル
© Pyramide Films
*2014年末から2015年年始公開予定


【フランス映画祭2014】
日程:6月27日(金)〜 30日(月)
場所:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)
団長:トニー・ガトリフ監督
*フランス映画祭2014は、プログラムの一部が、福岡、京都、大阪で6月27日(金)から7月11日(金)まで、巡回上映します。
公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2014/
Twitter:@UnifranceTokyo
Facebook::http://www.facebook.com/unifrance.tokyo/
主催:ユニフランスフィルムズ
共催:朝日新聞社
後援:フランス文化・コミュニケーション省-CNC/在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:ラコステ/バリラックス/ルノー/ELLE JAPON/LVT
運営:ユニフランス・フィルムズ/東京フィルメックス

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