ブルージャスミン

欲望という名のジャスミン

『ブルージャスミン』メイン ジャスミン・フランシス、胡散臭い名前だ。ジャネットでは平凡だからと自ら名乗りだした名前のその花は、白く可憐なその見かけからか、花言葉も「可憐で素直で気立てが良い」である。彼女は、そのどれにも当てはまらない。姓のフランシスは、清貧を唱えた聖フランチェスコから来た名前。ところが、ジャスミンとハロルド夫婦は、人に財産を分け与えるどころか、詐欺まがいの投資でお金を稼ぎ、逆に人の財産を身ぐるみ剥がしている。彼女の虚飾にまみれた人生は、すでにその名前に収斂されているかのようだ。

もう、どこでも言われていることだが、やはりこの作品を観ていると『欲望という名の電車』を思い浮かべてしまう。そういえば、ブランチ・デュボアという名前もまた、彼女の体裁を皮肉に表していた。ブランチ(白い)どころかベットリと汚れが染みついたような心。かつては、『風と共に去りぬ』の南部の良家、ウィルクス家のような家柄だったことを示すデュボアという姓。私は「ただの庶民じゃないのよ」と妹の夫に言い放ったブランチの高慢と、ニューヨークでセレブ生活を送っていたジャスミンの鼻もちならなさは、やはり通じるところがある。その後の話の展開も然り。とはいえ単に焼き直し的な作品にはなってはいないところが、ウディ・アレンのウディ・アレンたる所以なのだ。かつて『道』が『ギター弾きの恋』に生まれ変わった時のように、本作のテイストもまた、それとは異なったものになっている。

『欲望という名の電車』のブランチがあくまでもアメリカ南部を出なかったのに対して、本作のジャスミンはニューヨークからサンフランシスコ(またもや聖フランチェスコ!) へと移動している点も、大きな違いである。東海岸と西海岸では、時の流れ方、そこに住む人が明らかに違う。かつて同じ環境で育っていたはずの姉と妹なのに、二人はニューヨークの神経質さとサンフランシスコのおおらかさをそのまま体現しているかのようだ。上品ぶった姉と下品な振る舞いをする妹、一度は豊かな生活を送った者と最初から何も持たなかった者の違いがそこに滲み出る。反面、すべてを失った時の姉のひ弱さと、男を失ってもあっけらかんとして次に進んでいける妹の逞しさ。こうしたギャップが、本来『欲望という名の電車』のようにトーンが暗くなってもおかしくはなかったこの作品に、笑いの要素をもたらした。

では、ジャスミンとは何者か。ちょっと乱暴なようではあるが、彼女はニューヨークそのものなのではないかと思う。もちろん、かつてウディ・アレンが愛着を籠めて描いてきたニューヨークではない。彼の作品世界の住人たちが住みにくくなった現代の街。虚栄と虚飾にまみれ、巨額の資金が動き、勝者はひたすら太り続け、敗者はひたすら貧しくなるばかりの街。勝者にしても、もしゲームに負ければ一夜にして無一文になる街、ニューヨーク。「金持ちは偉い」「競争に勝つ」というのが、現代のニューヨーク気質。彼女はそれらのすべてを体現した存在に思える。『ブルージャスミン』は初めてウディが西海岸で撮影した作品。けれどもジャスミンという人物のその裏に、彼が愛して止まないニューヨークへの失望の気持ちが隠されているのではなかろうか。社会問題とは無縁な作品ばかりを作り続けてきたウディ・アレンというのに、本作では妙に社会的な背景が透けて見えてくる。その理由はそんなところにありそうだ。



▼作品情報▼
原題:Blue Jasmine
監督・脚本:ウディ・アレン
出演:ケイト・ブランシェット(ジャスミン)
サリー・ホーキンス(ジンジャー)
アレック・ボールドウィン(ハル)
ピーター・サーズガード(ドワイト)
(2013年/アメリカ/1時間38分)
提供:KADOKAWA、ロングライド 
配給:ロングライド
Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.

※5/10(土)より、新宿ピカデリー&Bunkamuraル・シネマ&シネスイッチ銀座&シネ・リーブル池袋ほかにて全国ロードショー!
公式サイト:http://blue-jasmine.jp/

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