『そこのみにて光輝く』呉美保監督インタビュー
映画にもなった『海炭市叙景』の原作者・佐藤泰志。1990年に自死を遂げ、21世紀になってから再発見され評価を高めている佐藤の唯一の長編『そこのみにて光輝く』は、前年に発表され三島由紀夫賞候補となった作品である。『海炭市…』と同じく函館を舞台に、誰からも顧みられることなくひっそりと生きる男女と家族の物語を描いている。
24年前に発表されたこの作品を映画化したいと動き出したのは『海炭市…』のプロデューサーたち。自らも函館と深い関係があり、佐藤作品に魅かれる男たちが監督として選んだのは、『酒井家のしあわせ』『オカンの嫁入り』で高い評価を受けている女性監督の呉美保だった。
「この作品は三本目ですが初めて脚本を自分で書いていないんです。出てくる人は多くないのですが、それぞれに多面的なキャラクターで、その一面づつを掘り下げていくために話し合いをたくさんしました。脚本家だけでなくプロデューサーも、さらにスタッフも含めて、一人づつのキャラを深める作業に時間をかけました。構成を考えるよりもたっぷりと。
主人公の達夫は年齢的には大人なんだけれどまだ精神的には成長しきっていない、逆に言えば可能性がある、そんな人なんです。仕事を辞めたばかりで“ロマンと現実”の間にいるという感じ。原作は24年前のバブルの時期にかかれていて、達夫は会社のストライキで仕事を辞めたという設定ですが、今はストライキ自体ほぼないですものね」。
達夫は採石会社の社員で、山を発破で崩し土砂を採掘することを仕事にしていたが、事故をきっかけに仕事を辞め、函館の小さなアパートで酒とパチンコの日々を送っている。ある日パチンコ屋でライターを貸した相手が拓児だった。「飯おごるから」と連れていかれた拓児の家で、達夫は拓児の姉千夏に出会う。千夏は家族を養うため、昼はイカの加工場、夜はスナックで客をとるという生活を送り、植木会社の社長とも関係している。この会社社長は仮釈放中の拓児の保証人でもあり、千夏はこの腐れ縁を切ることはできない。そんな千夏に達夫は魅かれていく。
映画『そこのみにて光輝く』は達夫と千夏のラブ・ストーリーである。
「これは、情熱的な男女の物語なんです。もともとわたしは泥臭い映画が好きなんですが、今回はまさに、人間の情を描くチャンスでした。男女の背景が見えてこないラブストーリーにはしたくありませんでした。原作からは、達夫の仕事を変え、千夏の境遇もやや変えました。出会い・結びつき・問題が起こる。それをどう組み合わせるかが悩みどころでしたね。そこを失敗したら独りよがりのものになって、『勝手にやってろよ』と思われてしまいそうでしたから。特に千夏のキャラクターについてはプロデューサーや脚本家と意見を戦わせました。もちろん達夫についてもです。
達夫は“じっとした”男で、夢を抱いている。自分はこうありたいとか、男の人ってとにかく夢を語るのが好きなんですよ。そういうところって、私にはわからないけれど色気も感じる。例えば私の父は今だに学生時代の話をするんです。大人なのに少年のところがあって夢を語りたがる。
達夫って原作ではよくしゃべるんですよ。千夏の父親のこととかも直球で聞いてしまうくらい。でも、映画だと口数の多い男って媚びている感じになってしまう。映画で描くべき達夫は口数が多い男だとは思わなかったんです。自分の感情を言葉にしてぶつけるとか昔の映画なんかではよくありましたが今では古いと感じてしまうんです。極力会話を省くことで、目線で語ってもらおう、その交わり方とか、すれ違いとか、やりとりで感じてもらおうと。脚本にあったせりふを編集では省いたりもしました。もう、ここは目が合うだけで十分だと思うと、せりふを思い切って切りました。特に千夏ですね。せりふをしゃべりすぎると人の気を引く感じの子に見えてしまうので、そこは気をつけました。
ただ、24年前の話を今に持ってくるに当たって、千夏について気になったのは“今もこんな女がいるのか”というところでした。自分を犠牲にして家族を養うとか、今の時代、もっとうまいやり方があるだろうって思いますよね。それで函館にシナリオハンティングに行ったとき実際にそういう方に出会う機会があり、話を聞かせてもらいました。その上でどう千夏の設定を成り立たせるかは考えました」。
達夫を演じるのは綾野剛、千夏を演じるのは池脇千鶴。こだわりの強い演技で日本映画を支える若手俳優である。
「今回、綾野さんと池脇さんが引き受けてくれて本当によかったと思います。二人ともとても難しい役なのに、前向きに引き受けてくれました。綾野さんは『三行読んで直感的に』と言ってくれましたね。池脇さんとは脚本を読んでもらった上で2人きりで話したんですね。『千夏は特別な人だとは思わない。どんな女の人にもある感情だと思うので違和感はありません』っていうのが池脇さんの考えでした。独りよがりにならないよう、どんどんよけいなものをぬぐい去るように演じてくれました。印象的なのは高橋和也さんが演じた植木会社の社長中島とのシーンですね。腐れ縁の関係で切るに切れない情とか、とにかくひとつひとつの演技で千夏が生きている、生身の人間だというところを積み重ねていってくれました」。
“身体は売っても心は売らない〈ゴールデン・ハートの娼婦〉”は男性にとって夢の女であり、数々の映画に登場する存在だ。千夏をそんな女として描くこともできただろう。しかし、そこに女性監督としての引っ掛かりが生まれた。
「原作の千夏は男の人にとってのファンタジーなところがありましたから、現実の女の人はそうじゃないってことはよくいいましたね。例えば、初めて達夫と会うシーンに千夏が着ているのはどんなものか。原作には“スリップ”って書いてあって、男の人にとってはただの“スリップ”かもしれませんが、でもそれは違うと。今のリアルだと若い女の人はスリップって着ないですよね。上下分かれているキャミソールとキュロットだろうと。質感にはこだわったんですよ。キュロットはスルッとした生地だけれど、キャミソールは綿などで少し毛羽立った感じ。何回も洗濯しているから。千夏は、弟が連れてくる友達だからろくな奴ではないだろうと思って出てくるけれど、達夫をみたとたんドキッとする。そして、とりつくろうようにキャミソールに付いているボタンを留める。だらしはないけれど、男に対してギリギリな衿持がある女であることを表現できるんじゃないかと池脇さんと話しながら作っていきましたね。ただ、こういうこだわりって男の人にはいまいちわからないことなので、スタッフにはひとつひとつこうなんですと説明し続けました」。
新人監督は三本目が勝負といわれている。今まで自らの脚本で家族の物語をリアルに、いくぶんユーモラスに描いてきた呉監督にとって『そこのみにて光輝く』は様々な意味でチャレンジであったし、転換点になる作品となったのではないか。
「今回三本目になりますが、改めて感じたのは、生理として納得できない映画は作りたくないんだなと。生理的に気持ちよくやりたい。それが今回脚本を他の方に書いていただくことで広がったという感じです。特にラストシーンはその瞬間の“救い”を表現することで、見る人に“人生捨てたもんじゃないな”って思ってもらえたらと、そう願いを込めて描きました」。
北の国らしい薄光のなか、どん底の暮らしで押しつぶされてしまいそうな女と漂っていたい男が出会い、少しづつ未来を信じようという気になって行くが、それを壊そうとするような事件が次々に起こっていく。そんな人生に翻弄される二人の姿を描く『そこのみにて光輝く』。薄光から変わり、朝日に照らされた浜辺で対峙する二人が光り輝く、その時まで映画は深く沈降し続けるのだ。光は闇が深いほど強く感じられる。そんな光の瞬間まで、呉監督は観客を牽引していく。
text by まつかわゆま
profile of Yuma Matsukawa
映画から時代を読むシネマアナリスト。雑誌編集者を経て映画ライターになり、雑誌・テレビ・ラジオ・ネットなどメディアを横断しつつ四半世紀。『DVD Vision』『百味』『花恋』『スクリーン』等に連載・寄稿。著書に『映画ライターになる方法』(青弓社)『シネマでごちそうさま』(近代映画社)など。司会・講師なども手掛ける。
▼『そこのみにて光輝く』作品データ
監督:呉美保
出演:綾野剛 池脇千鶴 菅田将暉 高橋和也 火野正平
脚本:高田亮
原作:佐藤泰志(河出書房新社刊)
製作:2014年/日本/120分
配給:東京テアトル+函館シネマアイリス(北海道地区)
公式サイト:http://hikarikagayaku.jp/
©2014 佐藤泰志/「そこのみにて光輝く」製作委員会
4月19日(土)よりテアトル新宿・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開