『アクト・オブ・キリング』ジョシュア・オッペンハイマー監督インタビュー:「この映画は、嘘で塗り固められた勝者の歴史がもたらした有様を映している」
本年度の米アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞の大本命と言われた話題作『アクト・オブ・キリング』が現在公開中だ。本作について述べる前に、触れておきたい作品がある。昨年10月に公開され、単館系としては異例の大ヒットを記録した『ハンナ・アーレント』はご覧になっただろうか?元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、世界に衝撃を与えるレポートを発表したユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの闘いを描く。この作品を見た人なら、彼女が「悪の凡庸さ」について説く時、身に覚えのあるような薄ら寒い思いをするのではなかろうか。筆者が以前に見たアーカイヴ映像で、ユダヤ人収容所を管理するナチの将校が自分の子どもをそれは愛情を持って接している様子を流し、彼の非道なユダヤ人の扱いと対比させていた。
さて、『アクト・オブ・キリング』に話を戻す。本作は、1960年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺(※)の真実を、実際の虐殺者に自らの殺人を演じさせるという前代未聞の手法であぶりだして見せる。「主人公」である(元)殺人者、アンワル・コンゴは、今では孫の面倒見のいい好々爺の一面も見せる。しかしアヒルをいじめる孫たちに対して、「謝りなさい」とたしなめる様子には面食らった。
本作のジョシュア・オッペンハイマー監督は、「主人公」である殺人者たちに会った時のことを、「ホロコーストが起きてから40年経ったドイツに行ったら、まだナチスが政権を握っていたかのような」気味の悪さを感じたという。
『アクト・オブ・キリング』には、劇中劇の拷問シーンなどはあるが、暴力描写のある映画ではない。しかしどんなホラーより恐ろしいのは、この映画は現代の日本に住む私たちにも繋がりがあり、間接的な非があると思い知らされることである。
個人的な話になるが、父の転勤で幼少時に家族で引越たため、私の記憶は映画の舞台であるインドネシアのメダンから始まっている。女性たちが踊っているシーンの場所はトバ湖だな…シネマ・マジェスティックなんて映画館があったな… そんなことも思い出された。虐殺のことは当時一切知らないながらも、アンワルたちと同じ空気を吸って、彼らとすれ違っていたかもしれない。
(※:1965年のインドネシアで、スカルノ大統領(当時)親衛隊の一部がクーデター未遂事件を起こす。クーデターの収拾にあたった軍部のスハルト少将(後にインドネシア第二代大統領に)らは、事件の背後にいたのは共産党だとし、西側諸国の支援も得て65~66年にインドネシア各地で100万とも200万ともいわれる人々を“共産党関係者”だとして虐殺。以来彼らは権力の座についている)
以下、来日したオッペンハイマー監督とのインタビューをお届けする。
聞き手・松下由美(以下、松下):インドネシアの人たちって、愛嬌があってなんとも憎めないですよね。当時はまだ不便な面はあっても、幼い私には楽しかった思い出しかありません。それでもゆすりとたかりは日常生活の一部で、私の父はそれに日々直面しており、苦労があったと思います。監督はもともとインドネシアに興味があったんですか。それとも人権的観点から関わるようになったんでしょうか。
監督:実はまったくの偶然で、パームオイル(ヤシ油)農園の労働者コミュニティーに関する映画を撮ってほしいと友人に頼まれ、初めてインドネシアに行きました。でもインドネシアのことを何も知らない自分が撮るより、労働者自身で撮ることを提案しました。
労働者はベルギーの企業に雇われており、女性たちの中には除草剤を蒔く仕事をしている人もいました。それによって肝臓機能が冒され、四十代で亡くなっていました。なにか抗議をしようものなら、ベルギー企業はパンチャシラ青年団(大虐殺に加担した半軍事的ならず者集団)を使って脅しをかけるのです。労働者たちは、労働組合に属していた自分たちの親を殺されており、脅えていました。それをきっかけに、かつての虐殺の実行犯たちが未だに権力を握っており、恐怖で人々を屈服させていることを知ったのです。
同時に、日本でも世界中どこでもパームオイル入のスキン・クリームを買うことが、農園の労働者の死に加担する行為だと知りました。そしてこれはインドネシアだけではなく南半球の国々で、パンチャシラ青年団のような暴力団を使って労組や環境活動家を脅し、人々を立ち退かせて生産用地を確保する仕組みがあり、日本や西側諸国の繁栄は誰かの犠牲によって成り立っていると気付いたのです。
そこから今に続く恐怖の現状を撮ろうと決めました。農園労働者の撮影はインドネシア軍に妨害されたので、当時の加害者を撮ることにしました。加害者(=殺人者)たちは自慢げな態度で過去の話をします。それは罪に問われていない自分たちを正当化し、罪を免責された自分を、孫の前で見せたいように演じるパフォーマンスです。あなたの質問に答えるなら、こうしてこのまるでナチスが勝利を収めたかのような、免責の上に成り立つ世界に足を踏み入れてしまったのです。
松下:すべての社会に関連性がありますね。例えば日本軍によって慰安婦にされたインドネシア人女性たちを利用した日本人もいれば、戦争中に中国人の首を刎ねた日本刀を掲げて自慢げに写真に写っている日本人の軍人たちがいます。本作は、一部の野蛮なインドネシア人を映した映画ではなく普通の人が悪に染まる、そして私たちに混じって存在しているそら恐ろしさがあります。
監督:これは人間に関する映画で、見ていて一番心がざわつくのは、登場する殺人者たちは野蛮人じゃないという事実が明らかになること。彼らは怪物でもない、人間です。殺害を理解するには、それを犯した人の話に耳を傾ける必要があります。被害者や遺族は、殺人者が君臨する恐怖の中で長年生きるとはどういうことかは語れても、「殺しという行為= the act of killing」に関しては語れません。犯罪を遠巻きに見て非難することはできますが、殺人者たちが何十年も自分を偽り、犯した罪をどう正当化して生きてきたかは彼らに近寄らなければわかり得ません。彼らも根は善なので、罪を知りつつ嘘をついているのです。悪いことをしたと思っていなければ「俺は人を殺した。最悪だった」と言えばいい訳ですから。
松下:うわべを取り繕う必要があったんですね。
監督:そうしなければ生きていけなかった、罪の意識に負けてしまうからです。人間であるからには、彼らにも道徳はあります。善悪がわかっているが故に犯罪を正当化し、さらなる悪事と腐敗を重ねるのです。この映画は殺人者たちが社会に押し付けた、嘘で塗り固められた勝者の歴史がもたらした有様を映しているのです。被害者たちに非があり、彼らは当然の報いを受けた、彼らは言わば非人間だとしておけば、殺人者たちにとってずっと気が楽だからです。そして殺人者たちは、「以前と同じ理由で今度はこの特定の人々を殺せ」と軍からの命があれば、やらざるを得ないのです。やらなければ65年に彼らがしたことは罪となるからです。
松下:以前監督は別のインタビューで、「西側諸国はこの悪漢たちをハーグ(国際司法裁判所)で裁くことに関心がない」と言っていますが、私はこの映画自体がオッペンハイマー司法裁判所なのかと思いました。犠牲者に代わって、映画で殺人者たちを断罪できるのではないかと。
監督:私にとって映画作りとは模索です。面白い話(ストーリー)を見つけてきて伝えることではありません。フィクションの映画作りや、ジャーナリズムはそれをやっていますが、私の場合は切羽詰まった状況に問いを投げかけ、映画言語でそれに対する回答の模索をするのが映画です。
松下:ストーリーを探したのではなく、テーマの方からあなたのところにやってきたんですね。
監督:そもそも私がインドネシアの農園労働者の映画を撮ることに決めた時は、世界で人々がグローバリゼーションの実態と、それを下支えする暴力の構図を理解し始めた頃でした。そして私が訪れた地域では、暴力と切り離せない過去がありました。労働者はオランダ統治時代にジャワから奴隷同然に連れてこられ、オランダに輸出するための農作物を作らされていました。それこそグローバリゼーションの歴史で、とても興味を惹かれました。その時はストーリーを追っていたと言えますが、私はストーリーを伝えるために必要なシーンを撮るといったことはしません。『アクト・オブ・キリング』には、見ていくと徐々に話が展開して予想もしない形で何かが解き明かされる感覚があるはずです。映画の多くはだいたい展開が予測できるものですが、『アクト・オブ・キリング』は違います。次々に明らかになるものに魅了され、気持ちを掻き乱されながらも感情移入するでしょう。でもどこにどう進むかわからないままなのです。
松下:私の父は、インドネシアのコーヒー、エビや木材などの貿易に携わっていました。子どもの頃はわかりませんでしたが、私は高校から大学時代になると社会主義者気取りで、「メイドを雇うのはブルジョワのすることだ」、「質のいいエビは日本や外国に行って、インドネシア人にはゴミのようなエビしか残らない」なんて知ったような口をきいていました。でも実際は、私の学費も生活も、すべては父の働く日本の商社が払ってくれた訳です。大人になれば折り合いを付けたり納得できるようで、それは世界的に今でも継続している問題です。
監督:それは辛い立場ですね。自分の人生は搾取に依存していたものだったのですから。でも西側諸国に住む人たちは誰でもそうですよね。あなたの場合は若くして強烈な実体験をしましたが、実態を知った私たちは皆、何らかのダメージを受けます。アンワルにも映画の終盤でダメージの影響が見えてきます。先ほどあなたが言ったように、彼にはこの映画が裁判の役割を果たします。ただ裁きを受ける訳ではありません。私は裁判官でもなければ、映画も裁判ではありません。でも映画を見ているうちに徐々に露呈されるのは、アンワルは裁きを免れたかもしれませんが、罰からは逃れてはいないということです。彼は「殺しという行為= the act of killing」によって破壊されています。「夜はぐっすり眠れる、罪悪感はない」と語るアディでさえ、自分の行為に折り合いをつけるために、抜け殻のような、うつろな人間にならざるを得なかったんです。
私たちだって抜け殻状態になっています。日頃から享受しているものが、誰かの犠牲の上に成り立っていることをわかっているから「そんな不快な気分になることは考えないようにしよう」と遮断してしまう訳です。
松下:「これってフェアトレードかな」っていつも考えていたら何も買うことはできませんね。
監督:すべての人がフェアトレード商品を購入したところで、世界を救うことはできませんよ。
松下:自己満足にはなるかもしれませんね。
監督:その通り。そしてそういった商品を購入することで、世界をよくしているような幻想を持つという意味では逆効果かもしれません。
松下:共同監督はじめ、この作品に「匿名」で参加している人々についてですが、私たちは彼らについて知る術が限られています。監督が、そしてこの映画が声なき人たちの声となりました。彼らが実名で登場できるようになるために、私たちには何ができるのでしょうか。
監督:(西側)政府はこの虐殺を支援し、加担してきました。武器、資金、そして記者や労組組合員の名前などを提供し、殺せと命令しました。そうしないと反体制派になるという可能性からです。(故スカルノ元大統領の)デヴィ夫人によると、日本の佐藤栄作元首相は、支援の証に個人的に殺人に関わった団体に金銭援助をしたそうです。私たちは、インドネシア政府に間違いを犯したことを認めさせ、インドネシアとの関係を見直さなければなりません。インドネシア軍は未だに拷問、殺しや拉致を続けながら、罪に問われていません。でも、自分たちの政府を棚に上げてインドネシアを糾弾するのは偽善です。ですから各国政府が自国の罪に向き合わねばなりません。国連安全保障理事会によって国際法廷を設置することが必要ですが、それには常任理事国である英国と米国が、この虐殺に加担したことを認めなくてはなりません。
<取材後記>
アーレントの言葉に再度触れたい。「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ」と言うアイヒマン。アーレントは説く。「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪推も悪魔的な意図もない。(アイヒマンのような犯罪者は)人間であることを拒絶した者なのです」
『アクト・オブ・キリング』は人間の複雑な心理、そして単純な滑稽さを捉えた希有な映画であり、ユーモアも考えて編集されたこの映画には、随所で笑える場面もある。
その問いに関して監督は多くを語らなかったが、本命と目されながらも本年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞をこの映画が受賞できなかったのは、間接的でもアメリカが「虐殺の加害者」だという不都合な真実があるからかもしれない。アメリカにもアカ狩りの過去はあるが、その実態を検証する映画はまだ十分作られていない。そして私たちの生活も、グローバリゼーションと搾取は気付かないほど日常の一部になっている。ただすべての事柄を同じ次元で考えることはできない。私は自給自足ができるとは思っていないし、しようとも思わない。例えば私の父が働いていた商社なども海外に進出することで、多くの現地に通じた人材やパイプを持ち、政府レベルでは不可能な外交に貢献もしていれば、見返りを伴わない奨学金制度で途上国の若者の支援もしている。
筆者の手の中のiPhoneも、自殺者を出した劣悪な条件の中国の工場で作られたものかもしれない。多分そうだろうが、都度それを考えないように「抜け殻状態」モードに自分を設定しているのだ。そうしなければ生きていけないと同時に、矛盾するようだが「考えることで人間は強くなれる」というアーレントの信条を、私たちも忘れないで生きていきたい。
本インタビュー全文を英語でお読みいただけます→English Ver.
text by 松下由美/Matsushita Yumi
映画祭や映画宣伝の司会・英語通訳のほか「中華電影データブック」「アジア映画の森」などへの執筆を行う。外国映画・メディアの製作や映画祭のキュレーターも担当している。https://twitter.com/MatsushitaYumi
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ジョシュア・オッペンハイマー監督来日中、東京都内では同監督およびデヴィ・スカルノ インドネシア元大統領夫人を招いた特別試写会が行われた。デヴィ夫人自身、1965年にスカルノ大統領(当時)を失脚させ、大量虐殺の引き金となった軍事クーデターを生き延びるという経験をされている。
舞台挨拶に登場したデヴィ夫人は、「1965年暮れから66~67年にかけまして、100万人とも200万人とも言われるインドネシアの人たち、共産党とされた人、ないし、まったく無関係の人がただスカルノ信奉者であるというだけで罪を着せられて殺されていったという事件がありました。この度、この映画で初めてそれが事実だということが証明されて、私は大変嬉しく思っております」と挨拶。当時、それほどの虐殺が行われていたのに国連が一切動かなかったことに触れ、国連が米国の影響下にあったことを指摘。次のように訴えた。
「スカルノ大統領は別に共産主義者ではありませんし、共産国とそんなに親しくしていたわけではないのです。1950~60年当時は米ソが世界を牛耳っていました。スカルノ大統領は中立国と社会主義国、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々で第3勢力を作ろうと頑張っていたため、ホワイトハウスから大変にらまれた。また、太平洋にある国々でアメリカの基地を拒否したのはスカルノ大統領だけです。そのこともあって、ペンタゴンからも憎まれていました。アメリカを敵に回すというのはどういうことか、説明しなくともお分かりになっていただけるかと思います」
クーデター時はジャカルタの宮殿に潜んでいたというデヴィ夫人。「1965年10月1日から2週間ぐらい、睡眠もなく、いつ誰に襲われるか分からないという大変緊迫した状態で生きていました。ああいう緊迫したときに睡眠をとれないと、体に赤い斑点みたいなのが出来るんですね。人間って食べ物も食べない、眠らないでこれだけ生きられるんだってことを思いました」と当時を振り返った。(取材・撮影=新田理恵)
▼作品情報▼
『アクト・オブ・キリング』
原題:The Act of Killing
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督:クリスティーヌ・シン / 匿名希望
撮影:カルロス・マリアノ・アランゴ=デ・モンティス / ラース・スクリー
編集:ニルス・ペー・アンデルセン / ヤーヌス・ビレスコウ・ヤンセン / マリコ・モンペティ/チャーロッテ・ムンク・ベンツン / アリアナ・ファチョ=ヴィラス・メストル
製作:シーネ・ビュレ・ソーレンセン
製作総指揮:エロール・モリス / ヴェルナー・ヘルツォーク / アンドレ・シンガー/ヨラム・テン・ブリンク / トシュタイン・グルーデ / ビャッテ・モルネル・トゥヴァイト
配給:トランスフォーマー 宣伝協力:ムヴィオラ
2012年/デンマーク・ノルウェー・イギリス合作/121分
(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012
シアター・イメージフォーラムにて公開中 全国順次公開