ダブリンの時計職人

ダブリンの片隅で~孤独な魂と魂、出逢いの物語

main 2007年『Once ダブリンの街角で』以来のアイルランド映画。しかもダブリンの街が舞台ということで期待が高まっていた。ところが、実際には一瞬だけリフィーリバーに架かるジェームズ・ジョイス・ブリッジが写るだけである。オコンネルストリートやお洒落なグラフトン通りは登場しない。夜、丘の上から見下ろすダブリンの街は星のようにキラキラと輝き美しいが、むしろその遠さが、主人公フレッドと世間を隔てる距離を思わせる。彼はホームレスなのだ。

 本作のダラ・バーン監督は、これまでの20年間ドキュメンタリー一筋で作品を製作してきた人である。敢えてフィクションという形で映画を製作した意図は、増え続けるホームレスの実態を描くという事よりも、むしろ彼らの心の内を描くことにあったようだ。その演出は、ドキュメンタリストとしての冷静で厳しい面を持つのと同時に、多くの詩人や文学者を生んだアイルランドの気風を受け継いで、どこか詩情を漂わす。

 フレッドは、英国で職業を転々として暮らしていたが失業し、50歳半ばも過ぎて故郷であるダブリンの街に戻ってきた。それにもかかわらず彼は、人がほとんど来ない、アイリッシュ海に臨むだだっ広い駐車場の端っこを選んで車を停め、寝泊まりしている。アイルランドの冬の空は重たく、海は時に激しく荒れ、冷え切った孤独が厳しく身に突き刺さる。フレッドにとって駐車場は、社会からの疎外感そのものを表す場所であり、パンクして動かない車は、人生を前に進めることができないこと象徴する。「迷いがあるというのは、惨めなことではない」冒頭の彼の言葉に、ホームレスの辛さが凝縮されている。前に進むことがなければ、迷いが生まれることさえないからだ。

sub3 フレッドの孤独のにおいに引き寄せられたかのようにふたりの人物が、彼と関りを持つ。青年カハルと未亡人ピアノ教師ジュールスである。母親を失い、父親から冷たくあたられ、家から逃げ出してきたカハルは、ドラッグをやり身も心もボロボロになっている。「枯葉が落ちる瞬間を見たことがあるかい。それはとても美しいものだよ」という彼の言葉。春の緑の息吹、アイリッシュカラーであるグリーンではなく、枯葉というところに彼の悲しみの深さがあり、また破滅志向が伺える。一方ジュールスは、フィンランド出身のピアニスト。世界中を公演して回っているうちにダブリンで恋に落ち、結婚したものの、今では夫も亡くなりひとり広い家に取り残されている。それぞれに自分の居場所がないという共通点があり、それが彼らを結びつけたのだ。

sub1 二人の境遇は、彼らが持つ時計に象徴されている。カハルのことを疎み邪険にする父親が愛用していた壊れた時計。夫が亡くなって以来、時を刻むのを止めてしまったジュールスの居間の時計。時計職人でもあったフレッドがそれらを直すという行為は、もちろん彼らの人生の時を再び動かすということに他ならない。埃を取ったり、部品を変えたりするだけで時計は再び動き始めるのだが、その術を知らない人にとっては、それは叶わないことである。まるで閉ざされてしまった人の心とよく似ている。それでも、社会からはみ出したフレッドだって、虫けらのように生きるカハルだって、人の和の中に入れないジュールスだって、人の心を開き癒すことができるのである。そこに、ひとりひとりの人間の大切さ、尊さが沁みだして、ホームレスの物語という枠を超えこの作品は、人間愛とでも言うべきものに昇華されている。



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sub_5▼作品データ▼
原題:Parked
監督:ダラ・バーン
プロデューサー:ドミニク・ライト、ジャクリーン・ケリン
脚本:キーラン・クレイ
撮影:ジョン・コンロイ
美術:オーウェン・パワー
出演:コルム・ミーニー、コリン・モーガン、ミルカ・アフロス
製作:Ripple World Pictures Limited, Ireland 
(2011年/アイルランド、フィンランド/90分)
※2014年3月29日より渋谷アップリンク、新宿K’s cinemaほか全国順次公開!
後援:アイルランド大使館
公式サイト:『ダブリンの時計職人』

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