『シネマパラダイス★ピョンヤン』ジェイムス・ロン監督インタビュー:「隠し撮りせず、堂々と」―だからこそ見えた、北朝鮮のもうひとつの顔

ジェイムス・ロン監督 拉致問題や核・ミサイル開発、人権問題や深刻な貧困……北朝鮮という国に、ポジティブなイメージを持っている日本人がどれほどいるだろう。しかし当然のことながら、北朝鮮にも一般市民は暮らしている。それも、報道で目にするような貧困層だけではなく、特権階級として何不自由ない暮らしを享受する市民たちがいる。
 ドキュメンタリー映画『シネマパラダイス★ピョンヤン』は、北朝鮮唯一の映画学校、ピョンヤン演劇映画大学を舞台に、主体(チュチェ)思想を伝えるためのツールとして映画を学ぶ俳優の卵や監督の姿を追う。金正日(キム・ジョンイル)・前総書記が大の映画好きだったということで、映画が重用されている北朝鮮。彼らはいわば“将軍様”の教えを伝道する役割を担う“選ばれし者たち”だ。しかし、カメラが捉える学生たちの表情は、日本の若者たちと何ら変わりがない。本作はすべての映像が北朝鮮当局の“検閲済み”という点で異色だ。検閲が入るということは、つまり、北朝鮮が見せたい北朝鮮ばかりが映っているのだが、それによって思いがけず、私たちは今まで見ようとしなかった北朝鮮の人々の一面を見ることになるのである。
 ジェイムス・ロン監督は、8ヵ月に及ぶ北朝鮮当局とのやり取りの末、演劇映画大学を撮影することに成功。来日した監督に、なかなか知ることの出来ない、北朝鮮での貴重な体験談を訊いた。


‐‐2008年ピョンヤン国際映画祭に監督のドキュメンタリー映画『アキ・ラーの少年たち』が招待され、そこで北朝鮮の大女優ホン・ヨンヒさん(『花を売る乙女』)と言葉を交わしたことがきっかけでこの『シネマパラダイス★ピョンヤン』製作を決めたそうですね。当時はどんな映画を撮りたいという考えを持って、行動を起こされたのですか?

監督:特に最初から北朝鮮で映画を撮りたいという希望があったわけではないんです。私が持っていた北朝鮮の情報というのは、多分日本の皆さんがニュースなどで見ているものと同じくらいのレベルだったと思います。ただ、謎に満ちた国なので映画を撮れれば面白いだろうなとは思っていました。ピョンヤン国際映画祭でホン・ヨンヒさんと交わした会話というのは、ごく簡単なものだったんですよ。「次は何を撮るの?」「北朝鮮の映画界も面白そうですね」「じゃあ、やってみたら」という具合で。でも、それも面白いかもしれないと思い、映画祭主催者に相談したところ、じゃあ何が撮りたい?という話になり、8ヵ月間くらいメールのやり取りをして撮影にこぎつけたんです。

‐‐監督の方から積極的にアプローチして取材が実現したのかと思っていたのですが、意外と北朝鮮の方も乗り気だったということでしょうか。

監督:映画業界というトピックには賛同してくれて協力的だったのですが、こちらが撮りたいものに対して許可が出るかどうかというのはまた別の話で、演劇映画大学を撮影したいと希望を出したら、なかなか許可が下りなかった。何を撮るにしても許可なしにはあり得ないので、まず許可をもらえるかどうかについて、かなりやり取りをしましたね。
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‐‐演劇映画大学を撮ろうと思われた理由は?

監督:北朝鮮は映画界をとても誇りにしていますよね。向こうが乗り気であれば、いろいろと見せてもらえるのではないかと思いました。もうひとつの理由は、金正日は世界最大のフィルム・ライブラリーを個人で持っているという噂があり、興味深いと思いました。映画の中にも登場する博物館には、将軍様が“指導”した記録がすべて残されているんです。直々に撮影現場に赴き、女優に「当時はこんな靴を履いていなかった」と指摘した、といった内容です。映画というのは、教義を教えるプロパガンダのツールであって、結局、映画や劇の話はすべて、思想を浸透させるための手段であるということが興味をひきました。

‐‐学生たちにフォーカスした理由は?

監督:彼らは演技を学んでいるだけではなく、将軍様に喜びを与えるために俳優という仕事をしている。社会主義の前進のために、イデオロギーを伝える道に進んでいる という自覚があるんです。まさに北朝鮮のあり方を目撃する非常に生々しい現場だと思いました。また、映画を観ていただくと分かるように、彼らには日本の若者にとても似ているところもある。まだあまり思想に心酔しすぎておらず、柔軟性もあり、オープンな視点で接してくれるのではという期待もありました。

‐‐4回にわたって北朝鮮を訪れたそうですが、実際に学生たちに密着して取材した時間はどのくらいだったのですか?

監督:具体的な撮影時間は分からないのですが、最初の渡航は2008年の映画祭参加でした。その後、撮影で3回訪れました。1回目の撮影は2009年秋に2日間、2回目は2010年夏に7日間、そして3回目が同年の冬に10日間でした。

‐‐登場する学生たちは、北朝鮮では特権階級のお子さんたちですよね。映画を学ぶ上で外国の作品にも接しているのではと思うのですが、取材の過程で彼らが外国の作品から影響を受けているように感じることはなかったですか?

sub-4監督:(俳優の卵の)ウンボムくんの一番好きな映画は『レオン』でした(笑)。あと、映画祭に参加したときに映画監督の方から聞いたのですが、監督を目指す人には1ヵ月ほど缶詰状態で外国映画を観る授業があるそうです。そこで観た作品のなかで『プライベート・ライアン』が好きだと言っている人がいましたね。

‐‐缶詰状態で観せられる作品も、もちろん当局の上層部がセレクトしているんですよね?

監督:他にもタイトルが上がったかもしれませんが、『プライベート・ライアン』を鮮明に覚えている以外、よく覚えていないんです。映画に携わる人たちは自分たちを「映画労働者」と呼んでいたのですが、話を聞いた監督が「映画労働者たちと一緒に観た」と仰っていたので、映画演劇大学の人はみな観ているのかもしれないですね。ただ、彼らにとって映画というのは、基本的に社会主義を前進させるためのツールなので、捉え方からして違う。私たちは芸術的なもの、娯楽的なものとして捉えるけれども、その時点で根本的に違うんです。

‐‐金正日が映画好きで、北朝鮮で映画産業が盛んだという話は私たちもよく聞くのですが、一般的な北朝鮮の国民にとって、映画というのは娯楽としてどんな位置づけなのだと感じられましたか?

監督:北朝鮮映画を観てる北朝鮮の観客と居合わせる機会はなかったのですが、映画祭で一緒に外国映画を観ました。中国映画『戦場のレクイエム』(フォン・シャオガン監督)がその年のピョンヤン国際映画祭で最高賞を受賞したので人気がありました。あと、タイトルは忘れましたが、イタリアの映画も満席でしたね。並んでいたのに満席で入場できなかった人々の間で小競り合いが起きたりして、皆さんが楽しみにしていた様子が分かりました。でもやっぱり、映画祭に来て映画を観られるというのはエリート層に限られるのだと思います。
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‐‐素材はすべて検閲を受けるということで、いわば“撮れ高次第”というか、どの映像にOKが出るかによって作品の構成が変わってしまいますよね。編集作業の上でこだわられた部分や、映像の取捨選択についてお伺いします。

監督:検閲の方法というのは、その日撮り終えた内容をハードディスクにすべて落とし、随行してくれる通訳ガイドに手渡すと彼らが検閲局に持っていくというものでした。翌日、「ここは使わないのが望ましい」と書かれたリストが戻ってきます。でも、本当のファイナル・カットの権限は、あくまで私たちにありました。「望ましくないもの」の例を挙げると、自転車に乗っているシーンや、暑い最中に映画の看板を塗っている人のシャツの前がはだけているシーン。これらは特に無くなっても作品の本筋と関わりがないので削除したのですが、中には残したくて戦った部分もあります。それは“停電”ですね。首都ピョンヤンでも1日中電気を安定して供給するのは難しいので、停電が起こります。本作の撮影中も4~5回停電に遭い、そのうち3回のシーンは絶対残したいということで、交渉して残しました。やはり、キャラクターや生活にかかわる部分ですから。また、「使わないのが望ましい」ではなく、「こうしなさい」と“指導”があったのは、博物館にあった金正日の写真の映し方です。金正日は、カメラがなめてはいけない、半分切れてはいけない、また、カメラを固定してズームして撮ることも冒涜に当たるというような制約で、それについては映画の中でも触れています。でも、私たちが一番気をつけたのは、北朝鮮での撮影を可能にし、間に入って尽力してくれた通訳ガイドさんたちに危害が及ぶことを避けること。リスクをとって私たちを呼んでくれた人に迷惑がかからないように、当局からの指示は忠実に守りました。

‐‐渡航を重ねるにつれて撮影日数が増えていますが、皆さんのそうした態度が信頼を得たという側面もあるのでしょうか?

sub-2監督:信頼を得られたとするならば、私たちは隠し撮りをせず、堂々と真摯に取り組んだからだと思うんです。他の外国の撮影クルーにありがちなのが、好戦的で、敵対心を露にした態度。そうすると北朝鮮側も閉じてしまい、結局こちらも学ぶことができません。もちろん、ルールや制約は映画を作る者にとってフラストレーションの種以外の何者でもないのですが、今回の場合は、次の撮影のチャンスがあるかどうかまったく分からない。例えば、川べりの景勝地で学生たちが必死にノートをとっているシーンがありますね。まるで絵のようで、これはどうかなぁ…と思いながらも、彼らが「大学が改修中だ」と言うので、それを受け入れて撮影した。もし、こちらが「やらせだ」と嫌がったら、その後の大学での撮影はできなかったかもしれません。実は、演劇映画大学を撮影できた外国のクルーは私たちが初めてなんだそうです。

‐‐最近、日本でも原発事故後の福島を扱った作品など、ドキュメンタリー以上に真実を語っているかのようなフィクションが出てきています。ドキュメンタリーとはいえ、どうしても作り手の意識が入り、撮られているほうも、ある意味カメラの前で何かを演じようとしていることもある。それでもなお、ドキュメンタリーが果たせる役割を監督はどう考えていらっしゃいますか?

監督:確かに、ドキュメンタリーがよりフィクションっぽくなったり、その逆もあると思います。やはり、視点が何なのかということと、正直さ、誠意を持って撮ることができるかということでしょうね。ドキュメンタリー作家というのは、カメラを持って、対象と近くで直に接します。その直接性というのは、役者がいて、リハーサルをして…というフィクションとは、やはり違う何かをもたらしてくれると思うのです。あと、ドキュメンタリーは、変化する状況に柔軟に対応することのできる撮影スタイルですよね。フィクションだと脚本ありきで、特に大所帯の撮影隊だと、どんなに変えたいと思っても、スケジュールやスタッフ管理の方が大変になってしまう場合もありますよね。この話については、何時間話しても終わりません(笑)。

ジェイムス・ロン監督1profile of James Leong
香港生まれ。英国で教育を受ける。日本のプロダクションでプロモーションビデオのプロデューサーを務めた後、2001年よりインディペンデントでドキュメンタリー映像等の監督、撮影、編集を行っている。『アキ・ラーの少年たち』(06)は2007年山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された。


<取材後記>
東京で2年ほど働いていたご経験があり、こちらの質問の大部分は日本語のまま分かるというロン監督。俳優マイケル・ウォン似(と、筆者が勝手に思っている)の爽やかなハンサムで、取材現場でスタッフの方々(女性)とご挨拶した時、皆さん口々に「いい男ですよ」とご紹介くださったのが可笑しい。現在は中国で新しい作品の撮影中とのこと。今後のご活躍が楽しみだ。


▼作品情報▼
『シネマパラダイス★ピョンヤン』
原題:The Great North Korean Picture Show
監督:ジョイムス・ロン、リン・リー
撮影・編集:ジェイムス・ロン
編集:ジュヌヴィエヴ・タン
プロデューサー:リン・リー、シャロン・ルーボル
配給:33 BLOCKS
2012年/シンガポール/93分
(C)Lianain Films

3月8日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

公式HP http://cinepara-pyongyang.com/


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