第86回米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート!『ザ・ミッシング・ピクチャー(英題)』のリティ・パニュ監督インタビュー

『消えた画 クメール・ルージュの真実』の邦題で、2014年7月5日(土)よりユーロスペースにて全国順次ロードショー!

RithyPANH 1975年以降、反植民地運動と紅衛兵運動に通ずる極端な毛沢東主義を掲げ、カンボジアを制圧していったクメール・ルージュ。やがて指導者となったポル・ポトのもと、都市住民の農村強制移住、インテリ層の弾圧、娯楽の禁止などの政策が行われ、多くの人々が虐殺された。『ザ・ミッシング・ピクチャー(英題)』の監督である1964年生まれのリティ・パニュも家族を失い、1979年命からがらカンボジアを脱出、フランスに渡ったという経歴を持つ。ドキュメンタリーと劇映画を手掛ける監督であるが、日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭で紹介されたポル・ポト時代を告発するドキュメンタリー『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』などで知られている。

『ザ・ミッシング・ピクチャー』は昨年のカンヌ映画祭ある視点部門最優秀賞を獲得、アメリカ・アカデミー賞の外国語映画賞にカンボジア映画代表として初めてノミネートされている。クメール・ルージュによって禁止され、廃棄された1975年代以前のカンボジア映画を探し出し、失われた1975年以前の文化や娯楽、そしてそれを楽しんでいた人々の生活の記憶を、さらに写真の一枚も探し出せなかったポル・ポト時代の記憶を、土人形を使って再現してみようという作品である。
東京フィルメックスのクロージング作品として同作が上映されたのに合わせて来日したリティ・パニュ(本人いわく「リティ・パンの方が正確なんだけどなぁ。どこでパニュになったんだろう…」)がインタビューにこたえてくれた。


人形を使って描こうというアプローチはいつごろ思いつかれたのでしょうか

リティ・パニュ監督(以下、パニュ監督):土人形のアイデアはリサーチを始めてから1年半後でした。最初は破壊されてしまった私の昔の家を再現してほしいとスタッフに頼んだのです。そしてそこにどんな暮らしがあったのかを再現するため人形を作ってと頼みました。泥人形を作ってくれたのはサリット・モンという若い職人さんで30代かな、虐殺以降に生まれた人です。私たちは建具を作っている村の人たちの中から映画の大道具を作る人を養成しようとしているのですが、サリットはその一人でした。たまたまなんですが、彼には彫刻の才能があることを発見して、その素養を生かしてもらおうと人形作りをしてもらったわけです。カンボジアの粘土を使い、水彩絵の具で色を付けたとても素朴なものです。水に濡れると溶けてしまうので糊を塗ったりしました。家の模型の中に人形を並べていくと、子どもの頃の人形遊びのような感じもしましたが、表情豊かな人形を見ていると、魂が宿っているのではないかと感じ、言葉では表現できないものを表すことに役立つのではないかと思いました。全部で100体以上作りました。展示するつもりはなかったのですが、江戸東京博物館で見たジオラマが面白かったので、ジオラマにしてみるのも面白いかなと思い始めました。

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カンヌ映画祭授賞式のパニュ監督

土人形で語るというアイデアですが、私はシネアストとして、毎回新しいアーティスティックな映画らしいアプローチで作品を創っていきたいのです。どうも虐殺についての証言をさせるドキュメンタリーを作る、ジェノサイドのスペシャリストだと思われているようですが、そんなことはない。劇映画も作る監督なのです。ただ共通しているのはどの作品もパーソナルなものであること。なぜ、いつもパーソナルなアプローチをするのかというと、「俺は死んでいない」ということだと思います。今でも人類を絶滅させようという動きがありますが、それに対して、私たちが生きている限り、私たちは自分たちのアイデンティティを再構築できるのです。生きている限り、愛し、笑い、泣く。そんなキャパシティを私たちは持っていると示したいのです。作品によってどんな手法で作るかは始めてみないとわかりません。フィクションの方がシナリオもあるし役者もいるのでもっとシンプルです。いずれにしろ、私にとっては撮影しながら模索し続け、どこかにたどり着くことが必要なんですね。

本作は映画と、そして記憶についての作品でもありますが、ポル・ポト時代に失われてしまったフィルムというのは現在どうなっているのでしょうか

パニュ監督:残念ながらほとんどの作品は失われてしまっています。クメール・ルージュ以前のものは特に見つからないですね。それでも奇跡的に見つかったフィルムを保存していくためボパナ視聴覚資料センターというフィルム・アーカイブを作りました。見つかったものはここに保存しています。けれどせっかく残っていたフィルムにも上映に耐えられる状態のものはあまりありません。『ザ・ミッシング・ピクチャー』の中で映されたフィルムのように、残っているものはデジタル化してアーカイブしています。フィルムは100年残せるはずなのに保存に問題がある国は多いのです。フィルムも、今はカセットテープだって、機械がなくなってしまうから再生できなくなってしまう。毎日記憶の映像や音がなくなっているのです。残そうとしなければ、国の、生きている遺産が、記憶や記録が失われてしまうのです。また、その保存されたアーカイブには誰でもがアクセスできるようにしなければいけない。記憶や歴史の情報へのアクセス権は基本的人権と同じです。

パニュ監督はなぜ映画という方法を選ばれたのでしょうか

パニュ監督:『ザ・ミッシング・ピクチャー』の中に出てきた隣の家の映画監督の影響もあると思います。チェ・ヌンという人でした。二人の娘さんは生き残ったと聞いています。彼の映画は見たことがありません。残っているかどうか…。ポスターだけは一回見たことがあります。
私がなぜ映画という手段を選んだのかというと、一番快く、これだというメディアだったのだと思いますね。好きだと思えて、情熱を傾けたいと思ったメディアだったのです。私には映画しかなかった、とも言えます。私たちには大変つらい過去があります。そのつらい過去を直視し、記憶しておく作業が必要なのです。それは歴史学者や作家、小説家など、それぞれの方法で行うべきことです。私はそれを映画でやろうと決めたのですね。映画も小説や絵画と同じくクリエイトする言語なのです。人は自分の得意とする言語を知って枠を超えていく勇気を持たねばなりません。

つらい過去を直視しなければならないとおっしゃいましたが、それを忘れるという方法もあるのではないでしょうか

パニュ監督:忘れられるといいと思うこともありますが、忘れられないものなんですよ。いや、健忘症にはなれません。なってはいけないと思います。忘れることにしてしまったら、前進できない。もう一度人生や社会、思考や生き方を再構築することができなくなってしまうと思うし、他者との関係も築けなくなってしまうと思います。記憶の作業をきちんとしてからつらい過去に直面しなければ、ずっと罪悪感に付きまとわれると思うのです。
つらい体験を反芻することになるかもしれないし、必ずしも楽になる方法ではありません。けれどそれをしなければ、後に続く若い世代が伝達されなくて学べず、罪悪感を引きずることになってしまいます。自分たちの歴史を直視するのは怖いことでしょう、けれど間違いをおかしたと思いながら歴史と向き合うことが国に威厳を回復させる方法なのです。

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東京フィルメックスのQAにて

罪悪感、というのはカンボジア人同士が殺し合ってしまったということについてではありません。それはイデオロギーが殺したのです。なぜ殺したのかを分析し、理解して、それはイデオロギーがさせたのであると知ることが大切ではないかと思います。もちろん、個人的には自分は助かったのになぜ家族を救えなかったかという罪の意識を持ちます。父は教師でしたが、現実に抵抗して与えられる食べ物を拒否して亡くなりました。それを思い出すと、本当にシンプルに、自分がもっとクメール・ルージュに従うフリがうまかったらとか、畑仕事が上手だったら、家族も飢えなかったろうにと、父や家族を救えたかもしれない可能性を考えてしまうのです。

人間は一方で虐殺者で一方では天使という存在ではありません。生まれながらに何もなくても虐殺者になれるのです。政治的な責任はもちろん虐殺をしている側にあります。例えば、13歳で自分の生死を、支配している人にゆだねてしまうということは、子どもにとってネガティブな効果をもたらします。彼らは他に何も知らないので、彼らにとっての栄光は、支配している人たちの命ずるままに暴力を行使することになるのです。彼らには暴力性が刻印されてしまう。クメール・ルージュ時代はそういう時代でした。今でもあちこちに子ども兵士がいますが、彼らは一様に哀しそうな眼をしています。彼らは人間性を失わされた被害者、犠牲者です。イデオロギーは、一方だけの人間性を奪うのではなく、被害者も加害者もどちらについても人間性を奪います。人間としての威厳を奪い、生命の威厳を奪い、死者の威厳も奪います。人間性の重みを奪うと殺すのは簡単な行為になります。

クメール・ルージュからの解放から2~30年たちますが昔の虐殺者たちと会うと彼らの目が悲しみをたたえていると感じます。けれど『S21』で描いたように彼らの体は虐殺の日々を記憶しているのです。かっての虐殺行為をかれらは再現してみせます。即興ではありません。こういうことをこうしてやるのだと、身にしみているので、順序正しく、機械的に再現できるのです。

最後に、もしクメール・ルージュ時代がなかったとしたら、あなたはどんな人生を送っていたと思いますか

パニュ監督:そうですね。天文学者か、父のような教師になっていたのではないでしょうか。教えるという仕事は美しい仕事だと思います。

text by まつかわゆま

profile of Yuma Matsukawa
映画から時代を読むシネマアナリスト。雑誌編集者を経て映画ライターになり、雑誌・テレビ・ラジオ・ネットなどメディアを横断しつつ四半世紀。『DVD Vision』『百味』『花恋』『スクリーン』等に連載・寄稿。著書に『映画ライターになる方法』(青弓社)『シネマでごちそうさま』(近代映画社)など。司会・講師なども手掛ける。


▼『ザ・ミッシング・ピクチャー(英題)』作品情報▼
the missing picture THE MISSING PICTURE / L’Image Manquante
カンボジア、フランス / 2013 / 95分
監督:リティ・パニュ(Rithy PANH)

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