家族の灯り

105歳の現役映画監督が問う、人生における幸福の在り方

家族の灯りメイン

※結末に触れている個所があります

ガス灯のオレンジ色の灯りが夕闇に灯る。家の中でも温かい灯りが家族を照らす。窓を見つめる二人の女性、ソフィアとその義母ドロテイア。そこへ会社の帳簿係の勤めを終えて、年老いたジェボが友人と共に帰ってくる。彼女たちが待っていたのは、彼ではない。ふたりは8年前に失踪したそれぞれの息子、夫であるジョアンを待ち続けていたのだ。それは、部屋に灯る温かい灯りとは裏腹の冷え切った不幸。一見穏やかに見える家族は、3人の人間関係の微妙なバランスの中で、何とか平穏を保っていた。

これは1923年のポルトガルの作家ラウル・ブランダンの戯曲が原作。けれどもガス灯を点ける場面がなければ、現代の話と錯覚しそうなところがある。お金の問題である。ジェボが預かっている現金が沢山入ったカバン、他人の物であるこのカバンが、この家に影を落としている。「他の人は出世したのに、あなたの給料は上がらず、うちは貧しいまま」という妻ドロティア。「何か悪い。誠実にやってきた結果だ」と夫ジェボ。その彼が帳簿を見ながら、なかなか儲かっていると、まるで自分のお金のように感心するのが皮肉だ。カバンはジェボの誠実さの証であり、他人のものゆえに彼の貧しさの象徴でもある。誠実であることが報われない社会。貧富の差が激しい社会。20世紀初頭と、新自由主義、金融資本主義の現代の姿がその部分で重なって見える。

家族の灯りサブ1「何も起こらない人生こそ幸福といえるのかも」ゆったりとした時間の流れに身を任せ、ジェボはそんなことを呟く。家族の古くからの友人たちとコーヒーを飲みながら好きなことをしゃべる時間は、確かに幸福なひとときである。その平和を、ある日突然帰って来た息子ジョアンが破る。「父さんは生まれた時から負け犬だ」と。彼が破壊したかったものは、いつ果てることもない日々の単調な暮らしである。彼が盗もうとするお金の入ったカバンは、世の中のルールであり、父親ジェボの愚直さであり、この家を不幸にし、自分を孤独に追いやっている元凶なのだ。あるいは、ジョアンは連帯の意味を知らなかったのかもしれない。お金がらみではない友情。誰かと時間を共有することの幸せ。それはジェボにあって、彼にはないものである。

家族の灯りサブ4しかし、単調な日々の暮らしだけでは、人は幸せにはなれないものだ。希望という名のスパイスが必要である。ジェボはいつも家族に希望を持たせようと腐心している。それが家族のバランスを保っていた。一方秩序を破壊しようとした息子ジョアンの行動も、希望を作りだすためだったとも取れる。とすると、彼は単純な犯罪者ではなく、マノエル・ド・オリヴェイラ監督が言うように革命家ということになる。ただし1923年の戯曲では、その彼の行動がハッピーエンドに繋がるのに対して、本作ではそうはならない。むしろ親子二人の行動によって、家族はバラバラになってしまう。

戯曲が書かれた時、ポルトガルは、革命とそれにつづく共和制の時代だった。そこに希望があったのだろう。けれども私たちは、歴史の結末を知っているがゆえにそう単純にはなれない。勿論、労せずお金を得ただけでは、隣人カンディニアが言うように「これだけのお金があれば人を顎で使えるのに」という結果しかもたらさないことだろう。では、現代人はどこに幸せを求めていったらよいのか。オリヴェイラ監督は、明確には答えを出さないものの、相対するジョアンの行動、ジェボの生き方を通して、むしろ観客にその問いかけをしている。現在105歳の監督、そこに重みを感じる。


▼作品データ▼
原題:GEBO ET L’OMBRE 英題:GEBO AND THE SHADOW
監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
原作:ラウル・ブランダン「ジェボと影」
出演:マイケル・ロンズデール=ジェボ
クラウディア・カルディナーレ=ドロテイア
ジャンヌ・モロー=カンディニア
レオノール・シルヴェイラ=ソフィア
リカルド・トレパ=ジョアン
(2012年/ポルトガル・フランス/91分)
© 2012 – O SOM E A FURIA / MACT PRODUCTIONS
■配給:アルシネテラン
※2月15日(土)より岩波ホールほか、全国順次公開
公式サイト:「家族の灯り」公式サイト

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