【TNLF】『風』:上映会&柳下美恵さんトークショー

「北欧からの贈り物」生演奏で楽しむサイレント映画の世界

北欧からの贈り物12014年2月2日、渋谷区総合文化センター大和田さくらホールにて、トーキョーノーザンライツフェスティバル(TNLF)特別企画「北欧からの贈り物」と題し、サイレント映画を生演奏で楽しもうというイヴェントが開催された。第1部は、ヴィクトル・シェストレム監督、リリアン・ギッシュ主演の『風』(28年)が、TNLFでもすっかりお馴染の柳下美恵さんのピアノ演奏により上映され、第2部では、アキ・カウリスマキ監督の『白い花びら』(99年)がノルウェーのバンド、ハンツヴィルの演奏によって上映された。700席余りのホールの大きなスクリーンに写しだされる映像と、音楽ホールならではの音の響きが融合し、どっぷりと映画の世界に浸りきれる至福の時を堪能した。ここでは、第1部『風』の模様をご紹介する。




『風』はスウェーデンの監督、ヴィクトル・シェストレムのハリウッド時代の代表作。「リリアン・ギッシュ自伝によれば、カリフォルニアの砂漠でロケをしたそう。日中は49℃にまで気温が上り、過酷な中での撮影だった。プロペラ機8台を回して風を起こし、暑い砂が洋服を焦がし目に入りそうになるなど、彼女自身、映画人生の中で最悪の撮影現場と言っている。彼女は、当時35歳、すでに脚本家、監督氏指名できる立場にあったため、スウーデンからきた大巨匠シエーストレム監督を指名して、どうしても自分を主役にとして撮ってほしいということで実現した映画である」(「」内は上映後のトークショーより)

タイトルどおり、砂漠を吹きすさぶ風が主役の映画である。映画の始まりから終わりまで、常に強い風が吹き荒れている。砂、砂そしてまた砂。家の中でも、食卓に、食器に、洗面器にも、砂が入り込んでくる。神経が参りそうな感覚。猛り狂う白馬の姿のイメージがそこに重なる。『霊魂の不滅』でも効果的に使われた二重露光、ここでも美しくも恐ろしい雰囲気を醸し出している。狂っているのは、自然=白馬だけではない。そこで暮らす人間たちも、荒んでいる。リリアン・ギッシュが訪ねて行く従兄の家、自分の夫を奪いにきたのではないかと嫉妬する妻の心。一見紳士そうに振る舞う近隣の男の、リリアンに対する不埒な欲望。真に怖いのは、自然ではなく、人間だったりするのである。家の中では心の嵐が吹き荒れ、屋外では砂嵐が吹き荒れる。リリアンは、その間を木の葉のようにもみくちゃになりながら、それでも吹き飛ばされまいと懸命に踏ん張るのだったが・・・。

柳下美恵さんは、その風の唸り、砂が窓に叩きつける音、家の軋み、ガラスの割れる音をピアノで表現し、また女の嫉妬、男の欲望、リリアンの不安な気持ちも、メロディーで表現する。夫と出かけたものの、落馬して家に引き返した時、彼女を送ってくれた隣人は、「♪淋しい草原に埋めてくれるな」を口ずさむのだが、このお馴染の曲も唄う人の優しさが伝わる編曲になっている。人のキャラクターまでが音楽で表現されていて、これはもはや伴奏ではなくピアノによる語りと言える。


柳下美恵さん

柳下美恵さん


作品上映後は、TNLFスタッフ雨宮さんの司会により柳下美恵さんのトークショーが行われた。

(司会) 柳下さんは、リリアン・ギッシュの作品はよく弾かれているのですが、この作品の印象はいかがでしたか。

(柳下美恵さん、以下柳下)
風の描写が本当に素晴らしいです。12月にシェーストレム監督のスウェーデン時代の映画『霊魂の不滅』を弾いたのですけれども、その中で死神がくるという描写がありました。死と密接にかかわっている感じがして、この監督の作品を観ると、逆に生きていることが本当に素敵なことなのだなと感じます。

リリアン・ギッシュは、グリフィス監督の元で育って、その監督の元を去ってからこれが、7作目か8作目で、この後トーキーになるのです。時代もサイレントからトーキーに移るのが27年くらいで、この作品は28年の作品です。リリアン・ギッシュも自分が時代に取り残されている存在であるということもわかりながら、これがサイレント最後の演技だと意識して演じていたような素晴らしさです。それでこの作品を観ていると、彼女の出演作の色々な場面が思い出されます。またそれらを連想してシェーストレム監督は作ったのかなと思うところがあります。

例えば、リリアン最初の作品『見えざる敵』悪漢に家に侵入され、リリアン、ドロシー姉妹が、ドアの中で震えている場面。ドアのこちら側で悪漢が中に入らないようにしているというのが、今日の映画に通じます。あるいは、19年の作品『散りゆく花』。この作品でリリアンは、25歳なのに確か15歳の設定になっています。少女がDVをするお父さんから逃れることができなくて、そしてもう最後抵抗ができなくて亡くなってしまうという話なのですが、その逃げまどうシーン。あるいは最後、彼女を好きだった中国人チェンハンが助けに来てお父さんを撃つ場面というのが、今日の作品では、まるでリリアンがチェンハンになったような、彼が乗り移ったような感じがしました。『散りゆく花』のお父さんはボクサーなので、ボクシングでノックアウトされるような感じで倒れて行くのですけれども、今日の作品の彼の倒れ方もそれを連想させましたね。『東への道』(21年)では、リリアンが氷の上に倒れたまま、氷ごと川を流されていく場面をスタント無しでやったのですけれども、今日のこの作品でもひどい熱風の中で撮影をしていますよね。

(司会)この作品でリリアンは、火傷をしたり、髪の毛もひどい状態になったりしたそうです。ひどい熱風の中で馬から落ちたりするのですが、そんな苦労をする中で、グリフィスが見たら、どんなにこのシーンを撮りたかっただろうと思いながら撮影をしていたそうです。

(柳下)グリフィスはもうその頃凋落していて、あんなに巨匠だったのに時代から取り残されちゃったみたいな感じでしたから、本当にそんな色々な思いがあったのだと思いますね。

それからこれはMGMの最初の作品で、あのライオンも最初だったのですよね。ライオンが出てきてその後タイトルがあって、普通の日常から始まります。そのうえ冒頭の部分が本当にちょっと貴族的な装飾で話の展開を知っているだけに、逆にどう弾いたらいいのかわからなかったのです。話がメロドラマになっていたので、そんな感じのテーマを作ったのですけれども、あれは、映画会社のサゼッションでこうしたらいいということだったのじゃないかなと思うのですけれども。

(司会)この作品も最初はハッピーエンドではなくて、気が狂ったリリアンがひとり砂漠の中を彷徨い、去っていくというラストだったらしいのですね。あまりにも暗いので会社側がハッピーエンドにしろと、で、最後の終わり方になったそうなのです。こういう話は今でもよくあって、ただ大概失敗するのですけれども、この映画は失敗していないと思いますね。柳下さんはいかがでしたか。

(柳下)私はさっきその話を聴いてびっくりしたんです。とても自然な終わり方だったので。リリアンが私も好きよと言って終わるのでなければ、ご主人ライチの立場がない。彼の存在意義がわからなくなってしまうということがありますよね。違うラストが残っていたらそれはそれで納得するのかもしれないのですが…。

(司会)原作は、すべての人が不幸になる話らしいですね。北欧の監督たちはそういう悲劇的な作品が好きな傾向があるので、当時、アメリカ人は、北欧映画というのは暗い、悲劇的というイメージでとらえていたそうです。でも芸術性がとても高かったので、それでもすごく人気があったそうですよ。

ちょっとここで柳下さんの伴奏についてのお話も伺いたいのですが、柳下さんはサイレント映画ピアニストというあまりいらっしゃらない職業をされているのですが、それを始めたきっかけとかをお教え下さい。

(柳下)バブルの頃だったのですが、当時西武百貨店は、堤清二会長が文化事業に熱心で、200席くらいのホール(西武百貨店スタジオ200)がありまして、そこで働いていたのです。有名無名に関らず、毎日色々な方が出演されていて、やりたいことをやっていた。それを観ているうちに、何やっていいんだなという心構えだけはできました。バブルが終わって経済が悪くなると、真っ先にスタジオはなくなってしまいました。ただ第2の就職、結婚をしまして食べるために働かなくてもいいということになったのです。連れ合いが好きなことをやったらいいんじゃないと言ってくれたので、何をしようかなと。スタジオ200で目覚めた映画に関ることをやりたいなと。ピアノを子供の頃から弾いてきたこともあって、映画とピアノを弾くということが重なったのがサイレント映画だったのです。

最初は、澤登翠さんなど弁士に、時に楽団がつく形を拝見していました。また、外国からピアニストが来てドイツ文化センターなどでサイレント映画に伴奏付きの上映をしているのも観ていたのですけれども、日本人でピアノだけでやっている人がいなかったので、どうやってやったらいいのかわからなかったのです。当時、相模原にあったフィルムセンターに調べに行って、そうしたら1924年に書かれたピアニストとオルガニストのための“Motion Picture Moods”という本がありまして、それをコピーさせてもらい勉強し始めました。

旅行でロンドンの大英博物館へ行った時に図書館があるのがわかって、ここだったらきっと何かあるのではと思って「私はこういうことをやっているので調査させてください」と片言の英語で聞いてみましたら、グリフィスの『国民の創生』の一部とか、グリフィスのお抱えの『国民の創生』を作ったカール・ブレイルによる、こういう場面にはこういう音楽をつけたらいいというサゼッションをする楽譜があったのです。けれどもここは限られたコピーしか出来ないのです。写譜ならさせてもらえるということでしたので、その時は時間がなかったので、もう一度行って2週間ひたすら写譜をして過ごしました。

帰ってきてからクラシック映画の同好会に入って時々弾かせてもらったのですけれど、それををフィルムセンターの方が聴きつけて、観に来てくださった。95年は映画生誕100年という年なんですね。その年、朝日新聞が全国的に展開していた「光の誕生 リュミエール!」っていうプロジェクトがあって、山形国際ドキュメンタリー映画祭のオープニングがそれだったのです。フィルムセンターの方がその映画祭に推薦してくださり、私のキャリアは始まりました。私は運が良すぎみたいな。映画100年の年にリュミエールから始めさせていただくなんて、計算していたなんてよく言われるのですが、そうではなくて本当に流れなんです。

(司会)そのあと20年近くやってこられたのですね。

(柳下)来年20年です。

(司会)昔はサイレント映画を静かな中で緊張して観ていて、シーンと静まり返った中、時々お腹なんか鳴ってしまうと、映画に集中できなくなってしまって、映画が面白かったのかどうかわからないなんてことがありましたが、その時代に較べると、柳下さんの伴奏によって、私は映画の中にスーと入って行けるようになりました。本来サイレント時代、映画ってこういうものだったんだなと思いました。最近では国内でも、他にも演奏をつける方が出てきていて、盛り上がっているなあと思います。柳下さんが始められたから今の状況があるのかなとおもうのですけれども。

(柳下)神保町シアターというところで、正月とゴ―ルデンウイークにサイレント映画の特集をやっていただいています。最初は私だけが弾く予定だったのですけれど、他のピアニストにもお願いしたらすごい盛り上がりになったんです。私の弾き方は、基本的に即興で、黒子でなるべく見えないようにやっていまして、翻訳者みたいな感じのスタンスでいまして、画を観てそれを翻訳して音にしていくみたいなことで考えています。

(司会)即興で、いつも画を観て弾かれているって聴いたので、最初びっくりしたのですけれども。いつも映画にぴったりの演奏をされるので。

(柳下)逆にスコアがあって、それをすべて覚えていても、ものすごく細かいのでなかなか難しいです。

(司会)今日は本当に素晴らしい演奏をありがとうございました。

※トーキョーノーザンライツフェスティバル 2014では、柳下美恵さん伴奏により『復讐の夜』(15年) ベンヤミン・クリステンセン監督の上映もあります。上映後には、まつかわゆまさん(シネマアナリスト)と柳下美恵さんによるトークショーも予定されています。
日程:2月9日(日)13時30分~、2月12日(水)19時~




tnlf2014-キービジュアル※「北欧映画の一週間」
トーキョーノーザンライツフェスティバル 2014
2014年2月8日(土)〜14日(金)渋谷ユーロスペースにて開催

JAPAN PREMERE6本を含む14作品上映!今年も内容盛りだくさん、魅力いっぱいの「トーキョーノーザンライツフェスティバル2014」の詳細、イベント、最新ニュースについては、下記公式サイトでぜひご確認ください。

公式ページhttp://www.tnlf.jp/

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