【TIFF】一粒の麦(コンペティション部門)

不遇な民族、彼らの還る場所とは

(第23回東京国際映画祭・コンペティション部門)
「一粒の麦」とは「一粒の麦は地面に落ちて死んでこそ多くの実を結ぶ」という新約聖書の言葉からきているという。映画の舞台となるルーマニアとセルビア、古くよりオスマントルコ、ロシア、ドイツ、オーストリアと列強国にその周囲を囲まれ、困難な歴史に直面しつづけたこの地域には、いったいどれだけの麦が地面に落ちていったことか。このタイトルは、それでもなおしぶとく生き続けるこれらの地域の民にとって、なんとふさわしいものであることか。

一粒の麦 霊が宿るという教会のセットが素晴らしい。屋根は非常に高く、長く四角いとんがり帽子のようなカタチをしている。ルーマニアはこのような教会がいくつも残っていて、これを「マラムレシュ版ゴシック様式」というのだという。世界遺産にも登録されている。そんなに大きくはないのだが、いかにも農民たちの教会といった素朴な美しさがある。
ファースト・シーン、内部が水に浸かった教会にボーッと蝋燭の灯りがともり、そこに神父がひざまで水に浸かりながら祭壇に向かって歩いてくるシーンの美しいこと。幽玄な感じが漂い、なるほどのちにこの教会が現実のものではなくて、200年前に水に沈んだ霊の宿る幻の教会であることがわかり、納得がいった。その教会は、今でもドナウ河のあちらこちらを彷徨い続けているのだという。
 なぜそんなことになったのか。かつてハプスブルグの栄光の時代、新しい教会を建てることが禁じられた。ハプスブルグはカソリック、ルーマニアは東ローマ帝国、東方正教会の流れを汲むルーマニア正教会だったからだ。ルーマニア正教会は、民族のアイデンティティとも強く結び付いており、支配者にとっては、異端的で都合の悪いものだ。農民たちはそこで考えた。それでは使われなくなった古い教会を村に運べばよいではないかと。幸いこの様式の教会は、建物を支える基礎の石がないので、力を合わせれば不可能なものでないようにも思われたのだが…。
 この伝説が現代の物語と並行して描かれていく。コソボで売春を強いられている娘を探すルーマニア人の父親と、ルーマニアで自動車事故にあい亡くなった息子の遺体を探し、引き取りに行く父親の物語。
セルビア人の父親は、かつてユーゴ時代には一角の人物であったと思われる。彼はその時代が忘れ難く、今でもユーゴ時代の党員のバッチを有難そうに胸に付けている。その彼が、最後にはそのバッジを捨てる。ルーマニアで出会った男が、バッジを見て「あなたは自分と同類」と、チャウチェスクの肖像画を見せた。チャウチェスクとチトーでは、同じ共産主義の指導者とはいえ、まるで質が違うので一瞬困ったような顔を見せるのだが、今となっては、なるほど同類には違いなく空しいものを感じたのだろう。
ユーゴスラビアは永年紛争の絶えなかった南スラブ民族にとってはひとつの理想であった。それを失った今、心のよりどころはどこにあるのか。その答えは宗教である。色々な国に支配され続けてきたこの地域には、さまざまな宗教の人たちが混ざり合って住んでいる。イスラム教、カソリック、東方正教会。元々そうした宗教をもった人たちが移り住んできたというわけではない。その地に住んでいた人たちが、時の支配者が変わるたびに改宗した結果、こんにちの形になっていったのである。ユーゴが崩壊した今、南スラブ民族の血よりも頼るべきは宗教のつながりとなってしまう理由はそこにある。実際、この地域の東方正教会は別名民族教会とも呼ばれているほど、自分たちのアイデンティティと密接につながっている。この作品のラストで起きる美しい奇跡に、そのことを強く感じさせられる。旧ユーゴ圏よりもルーマニア人とセルビア人、東方正教会という近い関係にあるふたつの民族にむしろ国境はない。どちらも、最後はドナウ河の懐に抱かれ死んでいく。自分たちの身に何があっても還る場所はここにあり、そしてこの河からまた新しい命が育っていく。時の支配者に翻弄されつづけ不遇な歴史を辿ってきたふたつの民族のそんな力強い宣言がここに込められているように感じられた。
おススメ度:★★★★☆
Text by藤澤貞彦

原題:If the Seed Doesn’t Die
監督:シニツァ・ドラギン
制作:2010年/ルーマニア=セルビア=オーストリア/113分
出演:ムスタファ・ナダレヴィッチ、ダン・コンドゥラケ
公式サイト:第23回東京国際映画祭公式サイト
コピーライト:© MRAKONIA FILM, WEGA FILM

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