鑑定士と顔のない依頼人

肖像画に魅入られた鑑定士、その愛 【映画の中のアート #5】

映画の結末に触れていますのでご注意ください

絵画がたくさん出てくる映画、しかも監督はイタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ。期待に胸を弾ませて公開初日に映画館に行ったのですが、3回連続満席完売……。2日目にしてようやく鑑賞にこぎつけました。

天才的な鑑定眼を持ち、凄腕のオークショニアでもあるヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)。仕事でも私生活でも徹底的なこだわりを持ち、携帯電話は持たず、極度の潔癖症で食事の時も手袋をはめ、行きつけのレストランにはマイグラスまである。そんな彼の至福の瞬間は、独り住まいの邸宅の隠し部屋で、自らが集めた選りすぐりの女性の肖像画の中に身を置いて独り悦楽にふけること。しかも彼は生まれてこの方女性と付き合ったこともなく、生身の女性が怖いと言う。平たい言葉でいえば、二次元の女しか愛せないオタクなコレクター。が、鑑定士としては一流だし財産も持っているのだから世間から文句を言われる筋合いはない。引く手あまたの鑑定人は、いつも多忙を極める。そんな彼にクレアと名乗る若い女から「両親の残した遺産の品々を鑑定してほしい」と依頼が入る。悉く理由をつけては顔を見せようとしない彼女に、プライドの高いヴァージルは怒りを感じながらも惹かれていく……と言う展開。

さて、やはり美術ファンとしては劇中にどんな作品がでてくるのか? と言うところが気になります。まずはヴァージルの隠し部屋に四方八方飾られた肖像画の数々。ティツィアーノ、ブロンズィーノ、クラナッハ、モディリアーニ、ロセッティ……タイトルまでは分からないまでも、どこかで見たことあるような絵がずらり。最近、「プーシキン美術館展」で来日していたルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」もありました。

で、ヴァージルが集める絵がほぼ「肖像画」と言うところもミソ。そもそも女性の肖像画はどんな目的で描かれるのか? 先述した「ジャンヌ・サマリーの肖像」のように、女優が肖像画を書いてもらうこともあるでしょう。レンブラントのように画家が自分の妻を描くこともある。王侯貴族が地位や美を誇るために依頼する場合もある。しかし、ある一定の年代までの肖像画と言えば、それは「お見合い写真」を意味しているのです。国家と国家が、家と家とが結ばれるための政略結婚の時代。見も知らぬ人と結婚する際に重要なアイテムとなったのが、肖像画なのです。公衆の面前に掲げられるのではなく、ごく私的な用途のために描かれる絵画。純粋な乙女が未来の結婚相手に向ける視線。それを一身に浴びる男 。彼が如何に「こじらせて」しまっているかってことが分かりますね。

また、新作と贋作を見極める鑑定人に持ち込まれる作品も興味深いです。そのひとつ、フランドルの画家ペトルス・クリストゥスの「若い女の肖像」のエピソード。 ヴァージル、普段は手袋してるのに絵を触るときに外しちゃったりするわけですが(ふつうは逆でしょ)、一目で真作と見抜き、贋作と偽ってオークションに出して安く手に入れようと企むんですね。「女」を観る目の確かさ、古今東西を問わない守備範囲の広さ、そしてこれぞと思った「女」を、少々汚い手を使ってでも手に入れる手腕。二次元の女ならこんなに強気。

しかし、そんな彼にも生身の女性を愛するときが来ます。「広場恐怖症」のために10年もの間、人前に出ることができなかった依頼人のクレア。ヴァージルが覗き見た彼女は、ドイツ・ルネサンス期の画家「デューラーが描いたような」繊細な美しい女性。どう接していいか戸惑いながら、何かが欠落した者同士、次第に惹かれあうふたり。ヴァージルにとっては、これまでの人生観を一変させてしまう初めての恋。しかし、その愛は果たして真実なのか? と言う疑問が突如提示される。「芸術作品の贋作が可能なように、愛も完璧に偽れる」。物語は急展開。幸福の絶頂から一転、ヴァージルは現実の女と過去の女たちの両方を失う。

本作の原題はLA MIGLIORE OFFERTA、英題にするとTHE BEST OFFER。オークションに出された作品が「最上の出品物」かどうか。ヴァージルの秘書が「結婚した相手が、最上の出品物かどうかを見極めるのは難しい」と語るくだりがある。美術品の真贋を見分ける鑑定士が、愛の真贋を見分けることができなかった皮肉。しかしながら、贋作の愛とは一体何であろうか? 男が女の愛を信じるのなら、男にとっては真実であり、女は自分にとってのTHE BEST OFFERなのだ。愛に鑑定書など付かないからこそ、彼もまた望みを捨てられない。美術界においては真贋がひっくり返ることも珍しくはない。現実世界の男女の愛なら尚更である。

愛する女を髣髴とさせる少女の絵を旅先にまで持ち運ぶヴァージル。その姿は、住む場所を転々と変えても「モナ・リザ」を手放さなかったレオナルド・ダ・ヴィンチを思い出させます。この結末に賛否は分かれると思いますが、私は、ヴァージルは彼女を知らなかった過去に戻りたいとは思わないのではないかと言う気がしています。

ところでこの物語はトルナトーレ監督のオリジナル脚本なんですね。「監督、どんだけ美術に関する造詣が深いんだ!」って思っちゃいます。原作本もぜひ読んでみたいものです。ちなみに音楽はトルナトーレ作品に同じみのエンニオ・モリコーネ。まさに眼福、耳福モノの映画です。

▼作品情報▼
『鑑定士と顔のない依頼人』
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ジェフリー・ラッシュ (『英国王のスピーチ』 『シャイン』)、ジム・スタージェス (『ワン・デイ 23年のラブストーリー』『クラウド アトラス』)、シルヴィア・ホークス、 ドナルド・サザーランド (『ハンガー・ゲーム』 『プライドと偏見』)
2013年/イタリア/131分
TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館他 上映中
(c)2012 Paco Cinematografica srl.
配給:ギャガ
公式サイト:http://kanteishi.gaga.ne.jp/

▼絵画▼
ペトルス・クリストゥス「若い女の肖像」(1470)
ベルリン美術館/ベルリン、ドイツ
Bildnis einer jungen Dame Petrus Christus

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