『キューティー&ボクサー』篠原乃り子さんインタビュー:「離れ小島に2人だけいたら、どんなに酷い相手でも、そこで愛し合うしかないのよ」

 白髪をツンツン逆立て、顔料をふくませたグローブを大きなカンバスに叩きつける老人と、傍らで見守る豊かな銀髪を束ねた女性。ただならぬ気配の男女の、ただならぬ創作風景から、映画『キューティー&ボクサー』(12月21日公開)は幕を開ける。

 主人公は、現代芸術家の篠原有司男(しのはら・うしお)さん81歳と、彼を支えてきた21歳年下の妻・乃り子さんだ。有司男さん、通称“ギュウちゃん”が映画の冒頭で披露しているのは、彼の代表作といえる“ボクシング・ペインティング”のパフォーマンス。“日本で初めてモヒカン刈りにした男”と言われる暴れん坊のギュウちゃんは、1969年にニューヨークにわたり、以来、そのみなぎるパワーをボクシングよろしく、芸術一筋にぶつけてきた。同じくアーティストである乃り子さんは、19歳のときに美術を学ぶためやって来たニューヨークで有司男さんと出会い、恋におちる。学業を捨て、すぐに有司男さんと暮らし始めた乃り子さん。もともと裕福な家庭に生まれ育った彼女だが、怒った実家からの支援は打ち切られ、ほどなくして誕生した長男を抱えて赤貧に耐える生活に。乃り子さんの、破天荒な夫を支える闘いの日々が始まった…。

 40年間ニューヨークで奮闘してきた篠原夫婦。これが長編映画デビューとなる29歳のザッカリー・ハインザーリング監督が2人に約4年間密着し、ドキュメンタリー映画として紹介したのがこの『キューティー&ボクサー』だ。

 アーティストのただの記録映画と思うなかれ。常に主張するエネルギッシュなギュウちゃんの横で、妻として、母として果たす役割と、ひとりのアーティストとして自身の創作を犠牲にしてきた葛藤を抱える乃り子さんの姿をカメラは映し出す。乃り子さんの葛藤は、“キューティー&ブリー”(カワイコちゃんといじめっ子)というドローイング作品を描き始めたことで、自分の分身“キューティー”を媒体にアートへと昇華され、観る者の心をぐっと掴んでこのぶっ飛んだ夫婦の過去・現在・未来へと導いてくれる。この映画は、筆者のようにアートに対する造詣も結婚経験もない若輩者でも共感ポイントが尽きないという、どんな人が観ても心のフックにひっかかる珠玉の人生賛歌なのだ。

 本作は、今年のサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門の監督賞受賞を皮切りに、数々の映画祭で話題を呼び、つい先日発表された2014年米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補の対象作品15本にも選出された(ノミネート作品5本の発表は現地時間1月16日)。

 映画への関心が高まると同時に、改めてアーティストとしても注目を集めている篠原乃り子さんにお話を伺った。


―『キューティー&ボクサー』が大変好評ですが、この映画ができたことは、乃り子さんのアーティストとしての新たな一歩を大きく後押ししたのではありませんか?

 ええ、これからもどんどん押してくれると思ってるんですよ(笑)。何が何のきっかけになるかって、本当に起きてみないと分からない。海外のフィルム・フェスティバルのQ&Aですごくポピュラーな質問のひとつに、「“キューティー”のコミックはいつ出版されるんですか?」っていうのがあるの。もう期待されてるっていう感じだから、早く出版しなきゃ。もうブックの形は出来てるんですよ。あとは出版社を待ってる状況です。

―どうしても有司男さんがフォーカスされがちだと思うのですが、この映画は乃り子さんを主役にするという話を監督がされたのはいつ頃ですか?

 日本のフィルムメーカーやTVクルーが来るときって、だいたいウシオを撮りに来るの。私は存在してなかったんですよ。でも、ザック(ザッカリー・ハインザーリング監督)は最初からイーブンに撮り始めたの。ただ、どうしても展覧会があったりして、ウシオを撮る機会が多かったのよね。
 でも、“キューティー&ブリー”のドローイングを見せてから、随分ザックのアテンションが変わってきた。だから、乃り子が中心になったんじゃなくて、キューティーがドーンと入ってきたのね。キューティーはどうしても私のものだから、私が中心みたいになってるみたいだけど。私とウシオはだいたい、アートでも生活の色んなものでもイーブンになっていると思うの。
 私たちの40年の結婚生活は、最初はどうしてもウシオが中心だったんだけど、この15年くらいは私がだんだん自分のアートに目覚めてきた。ザックもそういう経過がだんだん分かってきたのね。私たちをカメラで捉えた過程こそが、まさにそのプロセスでもあったわけだから。

―お二人の比重が動いたときに、一緒にカメラもついてきたという感じでしょうか。

そう。それと、ザック自身の成長もあったのね。

―「15年くらい前に自分のアートに目覚めた」というのは、何かきっかけが?

 一番のきっかけは、私がエッチングを始めたことなんです。それまではペインティングばかりで、スタジオがひとつしかなかったから、ウシオと同じところで描いていた。そうするとウシオに丸見えだから、私が描いてるところへ、しょっちゅうあーだこうだって言いにくるわけ(笑)。だから自分の頭で考えるってことが麻痺しちゃうような状態だった。だけど、エッチングをはじめるチャンスがあってね。エッチングっていうのは、もっと小さい世界でこちょこちょやるから、ウシオにはまったく見えない。だから、同じ部屋で制作していても、違うスタジオでやるのと同じ意味があったの。ウシオに何も言われないで、最初から最後まで自分の世界で作るようになっていった。それがやっぱり転機でしたね。

―映画の中で、まさに「女性のアーティストが何かしようと思ったら、少しばかりのお金と、鍵のついた部屋がいる」というヴァージニア・ウルフの言葉を引用されていましたね。

 というかね、ウシオが自分以外のアーティストを育てる気持ちのある優しい人だったら、私もそういう風に思う必要がなかったんだけど、やっぱりMe!Me!Me!の人だからすべてを自分で支配したいの。英語じゃコントロール・フリークって言うんだけど。私も若くてコントロールされてることに気がついてない時はよかったんだけど、だんだん自分自身も成長していく。それで、彼のやっていることは100%正しいわけではなくて、非常にぶっ壊れてるってことがどんどん見えてきたんです。

―子供は親は完璧だと思って育つけれども、ある時から親も人間だと分かってくる。そんな感覚に似ている気がします。

 そういうのもあったかもしれない。最初から21も年が違うので、どうしてもウシオがリードしてたわけなんだけど、だんだん見えてくるわけじゃない。私は育っていくんだけど、彼はもうそんなに育っていかないから。

―有司男さんと出会われた時の乃り子さんは19歳で、まだとっても初心ですものね。映画の2人の馴れ初めを紹介する部分で、出会って1ヵ月で「お金貸して」と言われたくだりを観ながら、心の中で“早く逃げて!”と思いました(笑)。

 とっても初心でしたよ、世間知らずで(笑)。ウシオはお金を返すあてなんか無かったのよ。
 そのうちどんどん貧しくなっていったけど、妊娠しちゃったから、もう逃げられないわけ。離婚っていうのは2つ場所が要ることになるから、お金も2倍必要。自分に稼ぐ能力がないから、離婚もできない。
 アーティストっていうのはすごく自我が強いから、その分一人じゃなきゃいけない。だけど、アーティストだからこそ、稼ぐ力もないのよね。それに、アメリカに移民として居るということは親兄弟も誰もいないわけでしょ。離れ小島に2人だけがいて、そして子供がいるようなものなの。そしたら、どんなに酷い相手でも、そこで愛し合うしかないのよ。

―映画では苦しい生活を乃り子さんがやり繰りしてこられた様子も紹介されます。ぶっちゃけ、お子さんを連れてご実家に帰ろうと考えられたことはなかったのですか?

 親にしてみれば、私は既婚の男性と一緒になって子供を作り、未婚の母になった。古い人たちだから、これはもう重犯罪なのよ。だから、「子供を相手の奥さんのところに渡して戻ってらっしゃい」って言ったの。そしたらお見合いの相手を探すって。自分の子供を人にあげてくるなんてできないじゃない?だから帰るわけにもいかなかったの。でも、そういう厳しさがあったから、私は耐えることができたのかもしれない。

―有司男さんと40年間歩んでこられて、大変なご苦労もあったと思いますが、そこにあったのはやっぱり愛情だったのでしょうか?

 結婚生活を長く続けてきた人にはよく分かるんだけど、愛情イコール憎しみでもあるの。なぜ、ラブ、イコール、ヘイトなのか、結婚してない人にはなかなか分からないんだけど、どんなに平和そうな夫婦でも、お互いに憎しみあったり、愛し合ったりするプロセスが必ずある。だからこそ、『キューティー&ボクサー』を観て「同感」って言ってくださる人が多いのよ。それはもう、貧しいとか、金持ちであるとか、若いとか、有名とか関係無く、みんなが持っている問題なのよね。2人の人間が一緒に暮らすってからには、そんな簡単なことじゃないの。

―これからもお2人でハッピーにやっていくために、“キューティー”シリーズ、つまり乃り子さんの創作の充実がもたらす影響って大きい思われますか?

 私、映画の中では一応、「今までの生活がなければ“キューティー”シリーズは出来てなかった」って言ってるけど、今後もっと創作していかなければいけないってなった時に、やっぱり重荷よ(笑)。

―ご主人がですか(笑)?

 うん。重荷なんだけどね、簡単に捨てるわけにもいかないし。例えばペット。ペットは飼ったことある?年をとったからって捨てるわけにいかないでしょ?それから、もらってきたペットがあまり良いペットじゃなかったとしても、捨てるわけにいかない。まあ、誰かにあげることはできるけど(笑)。でもやっぱり、どんな酷いペットでも、長年飼っていると慣れ親しんで、違う愛情ってものが出てくるわけ。

―映画では、「人生やり直せるとしたら同じことをやるか?」という質問に、「やる」っておっしゃってますよね。

 そう、「やる」って私は答えてるでしょ。最後に言わせてもらうとね、あの後でザックに「もう一回インタビューしてよ」って言ったの。ザックはしなかったんだけどね。言い忘れたのよ、「次はもうちょっと上手にやるわ」って。「もうちょっとテクニカルにやるわ」って言うべきだったのよ(笑)。





Profile of Shinohara Noriko
1953年富山県高岡市生まれ。1972年に渡米。ニューヨークの美術学校アート・スチューデンツ・リーグに入学するも、6ヵ月後に篠原有司男と出会う。74年に息子のアレックス・空海を出産。その後は子育てと生活によって創作活動は制限されたが、81年にグループ展「ホイットニー・カウンターウェイト」に参加。86年には初の個展を開催する。89年より2年半にわたって米国で発行されている日系新聞に小説を連載、後に『ためいきの紐育』(三心堂出版刊)として出版され、日本における初めての個展として、同小説の挿絵の個展を行った。90年代に入るとエッチングに取り組み始め、版画の個展、グループ展に多数参加している。


<取材後記>
 今年で60歳とは思えないほど“キュート”という言葉がぴったりはまる、美しくチャーミングな乃り子さん。映画には見事なプロポーションでダンスをする姿も収められているが、「もともとランナーだったのよ」と笑う。
 裕福な家庭で育ったこれほど美しい娘さんなら、もっともっとぬくぬくとした別の幸せを求めることも出来ただろうに、どうしてこんな険しい道で苦労されているのか…。この映画を観てそう思わずにいられなかったのでつい下世話な質問をしてしまったが、夫“ギュウちゃん”について辛らつな言葉で語りながらも、乃り子さんの根底にあるのは「愛」であると確認させていただいた。とても情の深い女性。もう、めちゃくちゃカッコイイとしか言いようがない。
 「この映画は40年間のマリッジ・ストーリー。アーティストの話って言うより、ラブストーリーとして宣伝した方が良いと思うの」と笑ってらっしゃった乃り子さん。彼女のLove&Hateを見事に表現したご夫妻のボクシング・シーンは爽快!





■公開記念■
篠原有司男・篠原乃り子二人展
Love Is A Roar‐r‐r‐r ! In Tokyo 愛の雄叫び東京篇

会期: 2013 年12 月13 日(金)~2014 年1 月13 日(月)
     10:00~21:00(最終日は18:00 閉場/入場は閉場の30 分前まで)
     *年末年始は営業時間が変則的になります。
会場: パルコミュージアム(渋谷パルコパート1・3F)
     東京都渋谷区宇田川町15-1
     (問)03-3477-5873 www.parco-art.com
入場料: 一般500円/学生400円/小学生以下無料
     ※映画『キューティー&ボクサー』半券提示で半額
主催:パルコ
ゲストキュレーター:富井玲子
協力:東京画廊+BTAP/共栄繊維/hpgrp GALLERY NEW YORK
企画制作:パルコ/亜洲中西屋

■関連イベント■
篠原有司男 ライブペインティング
2013年12月14日(土) 14:00~
場所:渋谷パルコ スペイン坂広場


▼作品情報▼
キューティー&ボクサー
原題:CUTIE AND THE BOXER
監督:ザッカリー・ハインザーリング
出演:篠原有司男、篠原乃り子
提供:キングレコード、パルコ
配給:ザジフィルムズ、パルコ
2013年/アメリカ映画/82 分/
(c) 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.

公式HP http://www.cutieandboxer.com/
12月21日(土)より、シネマライズほか全国にて公開

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