『カラフル』肉まんを分け合える幸せ
本作は、前世で罪を犯し輪廻のサイクルから外れてしまった「ぼく」の魂が、自殺した中学生「小林真」の体にホームステイし、自分の罪を思い出す修行に挑戦するという物語だ。原作は1998年に発表された森絵都の同名小説。2000年に実写映画化もされているが、このたび、アニメーション監督・原恵一が映画化を手掛けた。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)で注目を集め、同シリーズ『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(02)ほか、『河童のクゥと夏休み』(07)など高い評価を得ている原監督が、有名原作をどう描くのか…注目の一作である。
<物語の核心に触れております。ご注意ください。>
さて、私自身も原作を読んで映画鑑賞に臨んだ。原作をベースとすると結構改変されていると思う。驚いたのは、自分が小説を読んで「感動した!」と思ったシーンが映画に登場しなかったこと。これは、何と言うか、自分ではショックだった(感動ポイントが人とズレているのだろうか?と思ってしまったのである)。でも、映画で感動しなかったわけではない。小説では素通りしてしまった部分であったが、改めてその大切さに気付くことができたと思う。
核心から言ってしまうと、私は、自ら死を選んだ魂が、それとは知らずに再び「自分の体」に戻ることで、客観的な第三者として自己を見つめなおすという仕掛けがこの小説の面白さだと思っている。つまり、自分ではドン詰まりと思える人生でも、他人からするともっと違ったふうに見えるという、視点・立場の転換だ。だから、家族の思いを理解した「ぼく」が、『この家の人たちに本物の「真」を返してやりたい』と言うシーン、その発想に到達した「ぼく」の内面変化に私は感動したのだが…。
映画では、「ぼく」と「小林真」の別人格性は薄れ、境界線はむしろ曖昧になっている。意図的にそうしていると言っていいだろう。本作は、冷静に客観視している「ぼく」よりも、「ぼく」自身がもっとこの世界で生きていきたいと思うようになったこと、その経緯に重きを置いている。
では、「ぼく」が人生をやり直す動機となった最大のものは何なのか?それは、初めて出来た友達、早乙女くんの存在である。
昼休みに一人で過ごさなくていい。教室移動のときに一人で歩かなくてもいい。分け合って食べた肉まんとチキンで幸せな気持ちになれる。同じ志望高に通うために受験勉強もがんばろうと思える。
他人からすれば「なんだ、そんなこと」と思えるような理由だ。大人になれば、一人で食事したり一人で仕事をするのは当たり前。「そんなこと」に構っていてはいられない。
しかし、「ぼく」もわかっていなかったわけではない。いじめにあい、外の世界と自己を隔絶していた「ぼく」は、「一人でいること」など散々経験済みだ。その上で、「隣に誰かがいること」の素晴らしさを認識したのである。
現実の世界に目を向けても、今は自己選択と自己責任の時代、そして「おひとりさま」の時代が到来している。好むと好まざるとに関わらず、一人で生きていくことは物理的には可能な世の中だ。だけど、物理的に生きることと、誰かといることに幸せを感じ、かつ、誰かから必要とされて生きることは、やはり別なことではないだろうか。
主人公と同世代ではない大人たちも絶賛ツイートを寄せている本作。昔の自分に思いを馳せ、センチメンタルな感傷に浸って…ではない気がする。日々孤軍奮闘している大人だからこそ、もっと泥臭い、生々しい感情を揺り動かされ、何かに気付いていく。今の時代に映画『カラフル』が描かれた意味、そして私達が観る意味を、ぜひ確かめてほしい。
オススメ度★★★★
Text by 外山 香織
【監督】原恵一
【脚本】丸尾みほ
【原作】森絵都
【声優】冨澤風斗/宮崎あおい/南明奈/まいける/麻生久美子/高橋克実
『カラフル』公式サイト