女っ気なし

田舎街とパリジャンと、青年シルヴァンの小さな冒険

女っ気なし_メイン今回併映される短編『遭難者』中編『女っ気なし』は、共にフランス北部ピカルディ地方のオルトという海辺の街を舞台にしている。見たことも聞いたこともないところだったので、早速手元の世界地図を当たってみたが出ていない。Google地図でも相当縮尺を大きくしなければ出てこない、ル・アーヴルとダンケルクの中間あたりにある小さな街である。ギヨーム・ブラック監督によれば、20世紀初頭には、ここも夏の保養地として栄えていたとのことであるが、その面影は今ではない。ただ海辺の風景が大変魅力的である。この小さな空間の中に海水浴場になっている砂浜と、“ドーヴァーの白い崖”そっくりの風景が混在しているのだ。こういう景色は珍しい。

こうした忘れ去られた街でも夏になると、少ないながらもヴァカンスに来る人たちがいる。海が目の前に見えるアパートメントもちゃんと存在する。たとえそのバルコニーが物干し台をちょっと大きくしたくらいに過ぎないにしても、だ。パリからやってきた母娘がバルコニーに初めて立った時「コルシカよりいいじゃない」と言ったのは、リッチなヴァカンスを過ごせない自分たちを納得させようとする呟きだったのだろう。あまり人が来ないので、街の人たちは誰もが友好的だ。砂浜に出れば、魅力的な母娘に言い寄ろうと、何もすることがない若者たちがたちどころに寄って来る。カフェのおばあちゃんは、孫の自慢話をしてくるし、そこにたむろするおじさんもコインのコレクションの自慢に余念がない。(ちなみにこれら魅力的な人たちは地元の一般人で、話している内容も自分自身のことであるという)パリが排他的な街ならここは受容の街である。

女っ気なし_サブ母娘が泊まるアパートメントの管理をしているのが、本作の主人公シルヴァン(ヴァンサン・マケーニュ)である。30代、ちょっぴり太目、頭髪も寂しい“女っ気なし”の一人暮らし。ただ不思議な魅力を持っている。部屋には『イージー・ライター』のポスター、冷蔵庫にはムーミンなどのキャラクターステッカーがびっしり、車のミラーからも縫いぐるみがぶら下がっているのを見てのとおり、少々オタクっぽくもあり、子供のような純真さを持っている人物だ。自分に自信がなく奥手なので、母娘に対して心惹かれるものがあるにしても、ちょっと一歩下がったようなスタンスで接する彼に、彼女たちは、かえって心を落ち着かせ、距離を狭めて行く。

一見するとこの作品の主題は、シルヴァンのはかない恋物語のように見えるのだが、それよりもパリから来た母娘が、街やシルヴァンを触媒として再生していく物語と言ったほうが当たっているだろう。実際、誰もが受け容れてくれるような街なので、都会でまとう鎧もここでは不要である。時が止まったように緩やかな時間の流れは、彼女たちを内省的にする。だまって自分に耳を傾けてくれるシルヴァンと接しているうちに、母娘は次第に自然体になり、漠然と抱えていた心の問題を素直に吐露していく。さらには、神の御業のごとき壮大な断崖絶壁に抱かれれば、自分のちっぽけさを実感せざるを得なくなる。決してこの街に来たからといって、彼女たちの問題が解決するわけではないけれど、これらすべての要素が、それまでの自分をほんのちょっぴり変えてくれるのである。そういう意味では「場所が決まりそこからストーリーが始まる」という監督の言葉どおり、この作品は、街自体がもうひとつの主人公になっていると言える。

※『遭難者』
本作の前に上映される『遭難者』もまた、パリからくる人物が若い男、という違いはあれ、同じような形の物語になっている。シルヴァンが準主役の2年前に作られたこの短編と本作は、すべてを観た後、もう一度最初に戻って頭の中で上映したくなるような関係になっているところが、洒落ていて素敵だ。



▼『遭難者』+『女っ気なし』作品情報

『女っ気なし』
原題:Un monde sans femmes
監督:ギヨーム・ブラック
脚本:ギヨーム・ブラック
撮影:トム・アラリ
音楽:トム・アラリ
出演:ヴァンサン・マケーニュ
コンスタンス・ルソー
ロール・カラミー
(2011年/仏/58分)

『遭難者』
原題:Le naufragé
監督:ギヨーム・ブラック
脚本:ギヨーム・ブラック
撮影:クロディーヌ・ナットキン
出演:ジュリアン・リュカ
ヴァンサン・マケーニュ
アデライード・ルルー
(2009年/仏/25分)

配給:エタンチェ
公式サイト:http://sylvain-movie.com/#id65
2013年11月2日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
© Année Zéro – Nonon Films – Emmanuelle Michaka

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