『もうひとりの息子』ロレーヌ・レヴィ監督に聞く:「相手の立場に立って考えられたら、凝り固まっていた精神が少し動き開くのでは」
2012年の東京国際映画祭でグランプリ&監督賞を受賞した『もうひとりの息子』。筆者は映画祭前の試写で初めて本作を観て、すぐにグランプリはこれだと感じました。
子どもの出生時の取り違え、それも一方はテルアビブに住むユダヤ系イスラエル人家庭、一方は西岸地区に住むパレスチナ人家庭というアイデンティティーの危機を扱うドラマチックな設定の本作。イスラエル・パレスチナ問題に留まらず、世界中の多くの紛争で見失いがちな他者の立場に身を置いてみるということを登場人物たちが身をもって体験する中で、政治・宗教的背景を抱えた「約束の地」を舞台に共感を呼ぶ人間ドラマが展開します。
来日したロレーヌ・レヴィ監督(Lorraine Lévy ユダヤ系フランス人)は、ユニセフ主催による上映会に参加しました。その際にイスラエル・パレスチナ駐日両大使を交えてのトークが行われ、両者が握手を交わす友好的な場面がありました。それは遠く離れた日本だから可能なことなのかもしれません。
イスラエル・パレスチナ問題は、ほぼ単一民族で島国に住む日本人には容易には理解出来るものではありません。大きく捉えれば「領土問題」と言えますが、長い歴史の中で宗教が深く絡んだ土地柄故に一筋縄ではいかないのです。
イギリスのユダヤ系国会議員には、イスラエルのパレスチナ占領をナチスと同じ行為だと発言した人がいますし、イスラエル人の友人と話すとパレスチナ人にも落ち度はあり世界の報道はイスラエルを一方的に悪者に描いていると言い、問題の着地点が見えません。
出生時の取り違え自体は不幸な事故ですが、政治的には折り合いをみない双方が主張をする立場を理解する究極の手段、つまり一般のユダヤ人とパレスチナ人の家族が、同じ屋根の下に生きる「内なる者」として相対する者を受け入れるという形を提示しているのです。
10月19日(土)の日本公開を前に、来日したレヴィ監督にお話を伺いました。
ロレーヌ・レヴィ監督(以下L.L.)
「イスラエルでは何十年も前から緊張状態が続いています。もともと小さいエリア(イスラエルの面積は日本の四国程度)に2つの民族が住んでおり、共存するかまたはどちらかが出ていくしかありません。しかしイスラエルにとっては汗水たらして築いた大地であり、パレスチナにすれば先祖に属していた土地です。両者とも相手の側の責任だと言い、イスラエルとしてはテロを起こしたのはパレスチナ側だからと分離壁を作ったわけです。
パレスチナ側の、“我々には同等の権利がない、壁の向こう側で動物のように暮らしている”というその言い分も正しい故に、双方の主張は平行線のままです。そんな中で、この映画を作ることで私が示したかったのは、相手の立場に立って考えられたら、凝り固まっていた精神が少し動き開くのではということです。本作が欧米でも多くの人に支持されたのは、見た人たちが希望に共感してくれたから。支持しなかった人は、希望を見たくない、またはこの映画がナイーヴ過ぎると思ったのでしょう。私は両者の意見に耳を傾けます。私は希望を見いだせない人に、希望を見いだして欲しいと思ってこの映画を作りました」
筆者は本作のキャスティングについて、はた目には取り違えとわかるような容姿の親子の組み合わせではなく、本当の親子のようにしっくりくるので、息子役の2人の俳優(ユダヤ人役のヨセフとパレスチナ人役のヤシン)が入れ替わっていたらどうだろうかと思いました。監督にはその意見は心外だったようです。
L.L.「私はそうは思いません。ヨセフはまだ幼さの残る夢見る青年。ヤシンはすでに親元を離れて海外に住み、自分の国に対して冷めた印象を持つ青年ですが、実のところはミステリアスな部分を残す人物として描いています」
確かにヨセフはイスラエルの現実を直視せずとも生きてこられたお坊ちゃんでもあり、かたやヤシンは村に病院を建て、父や周囲の人たちを助けたいと早くから使命を持ち、留学する道を選びました。徐々に交流を深めていく中で、ヤシンはヨセフに「洋服とクラビングの生活だな」といった感想を漏らします。後に通行証を得てテルアビブに初めてやってきたヤシンの兄ビラルも「金持ちの街だな」と自分の住む西岸地区との違いに驚きます(テルアビブの物価は外食などに関しては東京よりも高い)。
かたくななヤシンの兄ビラルは、より一般的なパレスチナ人の若者だと言えるでしょう。弟=同胞だと思ってきたビラルは、ヤシンがユダヤ人だと知った時から敵対心を露にします。そして西岸地区のヤシン宅、アル・ベザズ家を訪れたヨセフに最初は戸惑いながらも、「俺の名はユセフ、パレスチナのアラブ人だ」とアラブ語で言わせて彼を同胞として扱います。
この3人はそれでも徐々に心を通わせてゆきます。取り違え自体は不幸なことですが、自分の境遇を誰よりも理解してくれる双子に出会ったようなヨセフとヤシン。筆者はそんな特別な存在を持った2人を羨ましくも思います。
L.L.「2人はまさに分身であり、2人で一体を成すというイメージです。最後のシーンで2人を180°ずつ360°のパノラマで撮ったのは、2人の同胞性を意識してのことです」
ヨセフの父アロンはイスラエル国防軍の大佐であり、あえて一番パレスチナを敵対視する前線にいる存在に設定されています。敵が家の中にいるという状況にどう対処するのか―ヨセフの母オリットとヤシンの母ライラが動揺や感情を言葉にするのに対し、アロンとヤシンの父サイードは寡黙という対比が興味深く、父親2人が無言でむっつりしてカフェにいるシーンは象徴的です。
L.L.「一般的な男女の観察を通して、その違いを父親と母親の言動に反映しました。男は伝統や父から受け継いだものの中に閉じ込められていて、泣いてはいけない、感情を表に出すなと教育され、女の子は感情を出してもいいと言われて育ちます。そんな感情を封じ込められた“牢獄”の中に男性はいます。あのカフェのシーンで2人が共有しているのが沈黙であり、それはすでに2人が距離を縮める一歩なのです」
筆者には今年、イスラエルの映画を選定・紹介する機会がありました。東京国際レズビアン&ゲイ映画祭の『アウト・イン・ザ・ダーク』(米・イスラエル合作)、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の『フロントライン・ミッション』(仏・イスラエル合作)がそれで、それぞれイスラエルの政府や国防軍に批判的な内容ですがイスラエル・フィルム・ファンドや科学文化スポーツ省から公的資金を得ています。両作品の監督たちは「なぜ国に批判的な映画を政府が援助するのかと必ず聞かれるけれど、それは内容ではなく脚本の質で審査されるから」と語り、イスラエルの公的機関が民主的であることを示唆しました。もちろん右派の現政権では国に批判的な映画を諸手を上げて援助をする訳ではないですが、日本を含め各国の映画祭でイスラエル映画が受賞を重ねるようになったのには映画製作を助成する公的資金の存在が大きいでしょう。フランスが製作国の本作ですが、なぜイスラエルとの合作にしなかったのでしょうか。
L.L.「この映画に資金を出すには勇気が必要でしょう。資金調達は難しく、イスラエル側のプロデューサーは文化的基金などに申し込みましたが回答はありませんでした。これも人生です」
「映画の中の分離壁は本物です。検問所は撮影用に作りましたが、実際に30〜40もの検問所があります。検問をする若い兵士たちにはリアルな仕草をしてもらうために、予備役兵を起用しました」
イスラエルでは高校を卒業した男女に兵役の義務(男3年、女2年)があり、社会奉仕といった良心的兵役拒否の選択肢はありません。ヨセフは兵役につくための血液検査がきっかけで出生の秘密を知るに至るのですが、イスラエルで子どもがユダヤ人と認められるか否かは母親がユダヤ人であるか次第であり、ユダヤ人ではないことが判明したヨセフは兵役には行かないことになります。イスラエルに兵役がなければ若者が分離壁の向こうへ行くこともなく、西岸地区のパレスチナ人と接する機会もないのかもしれません。楽観的な面はあっても、『もうひとりの息子』では人間的な出会いが心を開き、軟化させる可能性を見せてくれています。
本作の背景をより理解するために、最後にもう1本ご紹介します。
先ほど紹介したSKIPシティ国際Dシネマ映画祭上映の『フロントライン・ミッション』は、イスラエル・パレスチナの関係を中立的に捉えた秀作で、今年のベルリン国際映画祭でもアートシネマ賞を受賞しています。ヤリブ・ホロヴィッツ監督は、兵役後にトラウマを抱え麻薬中毒になったり自殺者が多いことから本作を撮り、自分のプラトーンでの体験を基に繊細な心の機微を描いています。DVDが日本でもレンタル・販売されています。日本でも軍隊の必要を唱える声が挙がる中、徴兵・軍事行動とはどういうことで、どんな心理状況に陥るのかを垣間見ることのできるお勧めの映画です。
text by 松下由美/Matsushita Yumi
映画祭や映画宣伝の司会・英語通訳のほか「中華電影データブック」「アジア映画の森」などへの執筆を行う。外国映画・メディアの製作や映画祭のキュレーターも担当している。https://twitter.com/MatsushitaYumi
▼作品情報▼
『もうひとりの息子』
原題: Le Fils de l'autre 英題:The Other Son
監督・脚本:ロレーヌ・レヴィ
製作:ヴィルジニー・ラコンブ、ラファエル・ベルドゥゴ
原案:ノアム・フィトゥッシ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、マハディ・ダハビ、アリーン・ウマリ、ハリファ・ナトゥール
配給:ムヴィオラ
2012年/フランス映画/101分/フランス語、ヘブライ語、アラビア語、英語
http://www.moviola.jp/son
© Rapsodie Production/Cité Films/France 3 Cinéma/ Madeleine Films/SoLo Films
10月19日(土)シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
2013年10月26日
映画「もうひとりの息子(フランス映画)」“東京 サクラ グランプリ獲得作品…
「もうひとりの息子(フランス映画)」★★★★ エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ ジュール・シトリュク、マハディ・ダハビ アリン・オマリ、カリファ・ナトゥール出演 ロレーヌ・レヴィ監督、 105分 フランス語、ヘブライ語、アラビア語、英語 Color | 2012年 フランス | (原題/原作:e Other Son [ Le fils de l’Autre ] )…