【TIFF】ビューティフル・ボーイ(コンペティション)

犯罪加害者の親として

(第23回東京国際映画祭コンペティション作品)
結婚生活に行き詰まりを感じていたビル(マイケル・シーン)とケイト(マリア・ベロ)夫妻。ある日、息子サム(カイル・ガルナー)の通う大学で銃乱射事件が発生し、彼らに予想もしなかった知らせが届く。それは、彼らの息子が乱射事件を起こした張本人であり、事件後自殺したということだった…。

バージニア州の大学で起こった銃乱射事件をヒントに、ショーン・クー監督が脚本も手掛けた本作は、とても挑戦的な作品と言っていい。その理由は、犯罪加害者の親に対する取材は難しく、その心情を明らかにしていくのは非常に困難でありながら、それをあえて描こうとしたこと。さらに、観客が彼らに共感するのが非常に難しいという題材である点だ。観る者はどうしても被害者側の立場に立ってしまい、加害者の親を批判的に見てしまうからだ。その中で、この映画はどちらに寄るでもなく、極力フラットな立場で彼らのもがきと苦しみを描き、観客の心にも訴えかけることに成功していると思う。

実際、このような事態が起こった時、親はどのように行動すべきなのかというルールは存在しない。彼らの立場は二つある。一つは、犯罪者の親として、もう一つは息子を失った親としての立場。さらに彼らの立場を難しくしているのは、息子がなぜこのような事件を起こしたのかという動機が、自分たちにもわからないということだ。息子に全面的な非があるのか、自分にもその責任があるのか見当がつかない。マスコミと同じように、息子をモンスターにして、糾弾することもできない。話をしたい息子はもうこの世にいない…。永遠に解き明かされることのない謎を抱えて、自分を責め続ける。息子を糾弾してしまえればどんなに楽だろう。しかし、それでも息子を庇い、愛している自分に気づくのだ。

「神は耐えられない試練は与えないというけれど、私は耐えられそうにないわ」と、息子の墓標に語る母親。彼らが、本当の意味で自分たちの心の整理をつけて生きていけるのかどうかはわからない。犯罪加害者の親の喪失と贖罪。現実社会に確実に存在する「彼ら」の苦しみに、少しでも寄り添えればという製作者の気持ちが、伝わってくる。

Text by 外山 香織

製作国:アメリカ 製作年:2010年

監督・脚本:ショーン・クー
脚本:マイケル・アームブルスター
出演:マイケル・シーン、マリア・ベロ、カイル・ガルナー
© 2010 Goldrush Entertainment

第23回東京国際映画祭公式サイト::http://www.tiff-jp.net/ja/

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