【フランス映画祭】テレーズ・デスケルウ

ただ私は自由になりたかっただけ・・・

therese 「ただ私は自由になりたかっただけ」まるで『テレーズ・デスケルウ』のテーマとも言えるこの言葉は、クロード・ミレール監督が、今から30年近く前に監督した『なまいきシャルロット』におけるシャルロット・ゲンズブールの台詞である。この後、彼は再びゲンズブールを使い、フランソワ・トリュフォー原案の『小さな泥棒』を監督、トリュフォーの後継者と言われることになる。本作は、そんな彼の遺作である。1927年ノーベル賞受賞の原作を選び、かつ自分の世界を見事に作り上げた本作は、彼の集大成といってもよい作品になっている。誰にも理解されないことに孤独を感じ、自由な世界を求めるヒロイン像は、彼の作品世界には、よく登場するものだ。『なまいきシャルロット』『小さな泥棒』。本作のテレーズ(オドレイ・トトゥ)は、彼女たちが成長したその延長線上にある人物と見ることもできる。

テレーズは、広大な松林を所有するデスケルウ家の当主ベルナール、すなわち幼友達アンヌの兄と政略結婚する。皆がしていることに身を任せ、安定すれば、色々なことを考えなくてすむかもしれないと思ったからだ。ところが現実はそうではなかった。デスケルウ家の人たちは決して悪い人たちではない。ただ、個人の考えよりも慣習や周りの目が行動基盤になっている人たちである。例えば、女性は夫の決めることには反対できない。結婚も相手の家柄や経済状態が何よりも優先するなど。そんな世界を当たり前のように受け入れている人たちを前に、テレーズはかえって考え込むことが多くなってしまう。

自由の反対は束縛である。伝統的なしきたりの中だけで生きていれば、自由はないが案外生きるのは楽かもしれない。何も考えなくてもいいからだ。逆に言えば、色々考え込んでしまうテレーズがその中に安住できないのは、当然である。考え疑問を持つから、束縛から逃れたくなるのだ。けれども、この時代の女性にとって、そこを抜けだすことは絶対に叶わないことである。ましてやカトリックは離婚を許さなかった。山火事が起こった日、テレーズは、この場所がすべて燃えてしまうことを夢想する。抜けだせない以上は、破壊こそ自由への扉という具合に、心が追い詰められていったのである。しかし、実際にテレーズが自由を得るためにとった思いも寄らぬ方法、保守的な家への破滅的な挑戦も、結局は伝統的なしきたりや家を守るために考えられた方法で解決されてしまう。デスケルウ家の人たちにとっては、個人的な考えや感情は、その後にくるものなのだ。

その後パリの街に移ったテレーズは、群衆に紛れこみながら画面のこちら側に歩いてくる。家から離れて彼女が解放されたのかといえば、決してそうではない。相変わらずデスケルウ家の人たち、言いかえれば彼らの伝統は、離れていてさえ彼女を束縛し続けるに違いないのだ。それゆえに彼女の顔は、決して明るくない。これからは、彼女を知る人がいない世界での孤独な闘いが待っている。その姿はどこか現代人に似ているようにも見える。なぜなら、現代でも束縛の中に身を置くことが心地よい人たちは確かに存在するし、村社会を離れた私たちも、ある程度さまざまな束縛の中で生き、その中で自由を探している存在だからだ。


▼『テレーズ・デスケルウ』作品情報▼
原題:Thérèse Desqueyroux
監督:クロード・ミレール
原作:フランソワ・モーリアック
出演:オドレイ・トトゥ、ジル・ルルーシュ、アナイス・ドゥムースティエ
制作:2011年/フランス/110分
(C)Eddy Brière © Les Films du 24 – UGC Distribution – 2011


【フランス映画祭2013】
日程:6月21日(金)〜 24日(月)
場所:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)
団長:ナタリー・バイ
公式サイト:http://unifrance.jp/festival/
Twitter:@UnifranceTokyo
Facebook::http://www.facebook.com/unifrance.tokyo/
*フランス映画祭2013は、アンスティチュ・フランセ日本の協力のもと、東京だけではなく京都、大阪、福岡と地方でもフランス映画の上映が決まっている。

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