『モンゴル野球青春記~バクシャー~』武正晴監督インタビュー
日本ではたくさんの人に愛されている野球だが、国際的に見ればマイナーなスポーツだ。本作は日本人の若者が、それまで野球に縁のないモンゴルに渡り、試合のルールも知らない子どもたちに野球を教え、悪戦苦闘する物語である。原作は2000年度ミズノスポーツライター最優秀賞に選ばれた「モンゴル野球青春記」。著者の関根淳さんの、1995年から4年間に及ぶモンゴルでの野球指導の体験が綴られている。
武正晴監督は大の野球好きで、このノンフィクションを読んだとき、いつか映画化したいと考えていた。関根さんが現地で出会ったモンゴル人女性と結婚した話に感動し、まず映画のラストシーンが思い浮かんだという。そこから、関根さんやモンゴル野球チームの監督夫妻など、この物語に登場した人々への敬意を込めて、原作に書かれていない、現在に至る“その後”も含め、モンゴルの草原を渡る風のような、爽やかな映画に仕立て上げた。
――武監督は無類の野球好きとのことで、今回は野球映画に挑戦されました。この映画の完成に至るまで、特に心がけたことは何でしょうか?
武正晴監督(以下、武):日本とモンゴル双方の人が観ても、納得できるものをつくることが僕にとって挑戦で、勇気をもって踏み込みました。野球映画はやりたいことだったのですが、今までとは違う領域でした。特に怖かったのは、モンゴルの人たちが映画を観たときの反応です。また、原作者であり、物語の主人公である関根淳さんの反応もそうです。なおかつ、野球やモンゴルに興味がない人、映画の関係者以外の人が映画を観たときに、“映画として”楽しめるのかというのが課題でした。
――モンゴルの人たちに映画を観てもらったときの反応はどうでしたか?
武:モンゴルでの劇場公開は6月の予定です。在京のモンゴル人を対象とした試写を行いましたが、楽しんでくれたと思います。例えば、主人公が土下座をするシーンがありますが、このシーンを入れようとしたとき、「モンゴル人は土下座なんか絶対にしない」と反対されたんです。彼らにとって頭は神聖なものであり、地面にこすりつける所作なんてあり得ないと考えているのです。ただ原作とは違いますが、映画的な要素を入れたいと思って、土下座のシーンを考えていたのですが、モンゴル人から反対されて、逆にやりたいと思いました。そのシーンに対しても好意的な反応だったので、安心しました。ただ、この反応は日本に住んで、日本人の考え方や生活様式を知っているモンゴルの人たちのものです。日本も知らない、野球も知らないモンゴルの人たちがどういう反応をするのか・・・。でも楽しみですね。
――主人公・淳役の石田卓也さんのキャスティングの理由を教えて下さい。
武:本作のキャスティングの条件は、まず野球ができること。いろいろと候補者を絞りこんでいくうちに、石田君が適任ということになりました。彼のことはデビュー作「青春の門」(05、TBS)での印象が強烈で、いつか一緒に仕事がしたいと思っていました。彼は愛知県出身で、僕も関根さんも同じ愛知の出身。そんな縁もありましたし、この映画は真面目で一生懸命にやる人でないとムリ。石田君のモンゴル語の特訓ぶりは、ものすごいものがありました。(関根さんの奥さんの)ソロンゴさんがつきっきりで指導してくれこともあり、上達ぶりは目覚ましかったです。俳優の力ってすごいなあと思いましたよ。
――淳は4年間モンゴルに滞在しています。最初はたどたどしいモンゴル語でしたが、次第にモンゴル語が上達している様子が伝わってきます。
武:4年間のモンゴル滞在期間で、言葉の上達ぶりを表現しなくてはなりません。映画の序盤は、棒読み、文法も間違っているセリフにしてあります。「バイラルラー(ありがとう)」の使い方も注意されたりします。モンゴル語が分からない人には分かりませんが、当然モンゴル人には分かることです。でも、ラストの「バイラルラー」の言葉の使い方が完璧だと(モンゴルの人が)言ってくれました。つまり、淳の「ありがとう」の言い方、使い方が4年間で変化している。それこそが淳の成長の過程です。この映画は「ありがとう」で始まり、「ありがとう」で終わる。僕は石田君に、それについて何も説明しませんでした。でも、彼はその主旨を脚本を読んで理解し、淳の役づくりのためにモンゴル語を猛勉強したんです。
――石田さんはじめ、キャスト陣の野球の練習のほうはどうでしたか?
武:野球の練習も欠かさずやりました。毎朝、石田君、(モンゴル語の通訳役の)水澤(紳吾)君ともキャッチボールをし、野球場に行ったらアップして体を温めました。モンゴルは寒いから、怪我でもしたら大変ですからね。
――モンゴルチームの選手役の人たちは、モンゴルの俳優さんなのでしょうか?
武:モンゴルには野球ができる俳優なんていないんですよ。モンゴルでも映画に出たことがない、まさに彼らがナショナルチームの選手です。僕が(モンゴルの首都)ウランバートルで彼らと出会い、映画に出てくれることになりました。彼らの通常の野球の練習を撮影していたようなものです。そのような状態のなかに、石田君が自然に溶け込んでくれました。
――1998年のAAAアジア選手権に、淳が指導したモンゴル代表が出場します。この試合が野球映画としてのヤマ場と言ってもいいかもしれません。この年の日本代表といえば、“松坂世代”。松坂大輔投手(インディアンス傘下3Aコロンバス/横浜)はじめ、村田修一選手(巨人/東福岡)、杉内俊哉選手(巨人/鹿児島実業)、東出輝裕選手(広島/敦賀気比)など、後にプロ野球界を湧かせた高校球児が集結しています。モンゴル戦で先発したのは村田選手でしたが、そういえば彼、高校時代はピッチャーだったんだよな・・・などど、高校野球ファンとしての思いも駆り立てられました。
武:野球好きの人が観ても納得してもらいたかったので、細部まで手を抜きませんでした。登場人物が実在の人物であることもそうです。それに実際にあった試合ですからね。「あれ?」と違和感を持った時点で、その映画に対する興味が途端に薄れてしまう。ほんのちょっとしたことだけど、ユニフォームの色、字体、ロゴも正確に再現しました。分からない人には分からないでしょうが、とても大切なことです。
――また、日本代表監督のPL学園・中村順司監督役に池田出身の水野雄仁氏(元巨人)を起用されましたが、その際のエピソードなどがあれば教えて下さい。高校野球ファンにすれば、かなりのツボですが。
武:徳島県阿南市がモンゴルに野球場をつくられたこともあり、市には撮影や資金面でも、いろいろご協力いただきました。それに徳島といえば、甲子園を湧かせた池田のエース水野さん。彼を何とか映画に出せないかという話が出ました。解説者役など、様々な案がありましたが、いずれにしろ誰かに中村監督を演じてもらわなくてはならない。中村さんのそっくりさんを探してきてやってもらうよりは、いっそのこと、甲子園でのPL対池田の対戦(※)という、因縁のある水野さんに演じてもらったらいいのではないか、と。野球ファンにはたまらない配役になりますよね。水野さんにも快諾していただき、数カット出てくれただけで、セリフはなくても印象に残りました。野球監督らしい雰囲気も出してもらったし、阿南の人もたくさんエキストラとして出て下さり、喜んでくれました。いつか池田の蔦(文也)監督の若い頃の映画をつくりたいと思っているので、今後の繋がりにもなったんじゃないでしょうか。
(※)1983年、夏の甲子園準決勝、好投手・水野を擁する池田に対し、PLの一年生・KKコンビ(清原和博・桑田真澄)が挑み、7-0でPLが勝利。82年夏、83年春に続く池田の3季連続優勝の夢を阻んだ。中村監督は当時のPLの監督。
――日本では野球は高校、大学、プロと盛んですが、世界的にはマイナーなスポーツです。自分のような野球好きの人間からすると、どうしてもそれが信じがたい面もあるのですが・・・。
武:僕の映画は、これまでもマイノリティなものを題材にしています。少数派や立場の弱い人間を応援できるような映画をつくっていきたいんです。そういう意味でも、国際的にはマイノリティなスポーツである野球という題材は、運命的なものでした。この映画も普通に描いてしまうと、ただの負けてばかりの残念なチームで終わってしまいます。でも、何とかハッピーエンドに描ける方法を考えました。華やかな表舞台に立てる人はごく少数。でも、その舞台を目指そうとする人を遮る権利は誰にもない。高校野球でも勝ちっぱなしのチームは1校だけで、あとのチームは敗れ去っていく。勝者の物語より敗者の物語のほうが無数にあります。もしかしたら、人生は負けっぱなしなのかもしれません。でも、負けても続けていくことが大事。そういう側面をこの映画で表現できて、いい経験になりました。これからの映画づくりでも、マイノリティな題材を探していきたいと思っています。
〈後記〉
武監督は野球好きだけあり、インタビュー中でも特に高校野球の話が始まると止まらなかった(私が野球好きということもあるが・・・)。この映画は、本当に野球が好きな人がつくっているという温かい思いが伝わり、映画ファンとしても、野球ファンとしても、嬉しくなった。「野球映画でバッシングされるのは、野球ができない俳優が演じていたり、プレイに違和感があったとき」と語っていた武監督だが、本作ではそういう違和感を覚えることなく、野球の試合(特にAAAアジア選手権の日本戦)に自然と入り込むことができた。野球への愛情、映画への熱意、そして登場人物への敬意が感じられる作品だった。ぜひとも蔦監督の映画も実現させてほしいところだ。
〈プロフィール〉
武正晴 (たけ・まさはる)
1967年愛知県生まれ。明治大学入学と共に、明大映研に参加。多数の自主映画制作に携わる。明治大学文学部演劇学科卒業後、映画業界の道に進む。 井筒和幸監督等多くのベテラン監督達に師事し、『ボーイ・ミーツ・プサン』(06)で監督デビューを果たす。その後『夏美のなつ いちばんきれいな夕日』(06)、『カフェソウル』(09)と立て続けに作品を発表し、2012年には故・原田芳雄氏が企画を温めてきた、船戸与一の短編小説『夏の渦』の映画化作品、『EDEN』を発表し、好評を博す。海外での撮影経験も豊富で、本作では満を持してモンゴルロケに挑んだ。現在、今後が最も期待される中堅監督の一人。
▼作品情報▼
物語:敗戦試合のラストバッターという苦い経験を持つ元高校球児の関根淳。ひょんなことから、社会主義崩壊直後のモンゴルに野球を教えに行くことになる。大草原の中、もう一度野球ができることに魅力を感じる淳であったが、現実はそう甘くはなかった。モンゴルで野球は全くのマイナースポーツ。野球を知っているモンゴル人はほとんどいなかった。野球チームの監督・マグワンとの確執や数々の困難により、淳の理想は崩れ去っていく。そんな中、ついにアジア選手権で松坂大輔・村田修一擁する日本チームと対戦する事となるのだが、さらなる問題が勃発。果たして、淳はモンゴル野球の「バクシャー(先生)」となれるのか!
監督:武正晴
出演:石田卓也 、ベヘーオチル・ジャルガルサイハン、サンジャー・ウルジフー、ミャグマルジャブ・ムンフチメグ、ジャミアン・バトバヤル、サンブー・サラントゥヤ、水澤紳吾、前野朋哉、水野雄仁、大河内浩
脚本:足立紳
原作: 関根淳「モンゴル野球青春記」(太田出版)
配給:アールグレイフィルム
2013年/日本/カラー/118分/ヴィスタ/ステレオ/HD
公式サイト:http://mongolyakyu.com/
(C)2013 モンゴル野球青春記
2013年6月15日より新宿K’s cinemaにてロードショー!