『パパの木』ジュリー・ベルトゥチェリ監督インタビュー:つらい時期にこの映画を作ったことで、生きることへの後押しをしてもらったと感じています。

 突然、最愛の夫、最愛の父親を目の前で亡くした母と娘。母親は大きな喪失感から子供たちを世話することもままならない状態になり、娘は庭の大きなイチジクの木に父親の存在を感じて木に話しかけるようになる…。なかなか現実を受け止めることができない2人の関係を軸に、力強くスピリチュアルなオーストラリアの自然に抱かれた家族の喪失と再生を描く映画『パパの木』。初監督作『やさしい嘘』(03)が高い評価を受けたジュリー・ベルトゥチェリ監督による待望の劇映画第2作目で、2010年の第63回カンヌ国際映画祭クロージング作品にも選ばれた。
独特の少女性をまといながらも母親の強さを体現したシャルロット・ゲンズブールと、対照的に時々大人の女のような顔を見せる7歳児モルガナ・デイヴィスの化学反応がすばらしい本作。ベルトゥチェリ監督は、製作中に自身がご主人を亡くされるという不幸に見舞われながらも、その経験すら糧にして作品に厚みを加えた。そんな映画の中の母娘にも通じる経験を持ったベルトゥチェリ監督が、6月1日の日本公開を前に来日。お話を伺った。


‐‐『やさしい嘘』が素晴らしかったので第2作を楽しみにしていたのですが、やっと拝見することができました。本作が出来るまでに時間をかけられた理由は?

監督 『やさしい嘘』のプロモーションを終えてから2人目の子供を出産したり、ドキュメンタリーを撮ったりもしていました。それに私生活で不幸な出来事があったりして、思うように仕事ができない時期もあったんです。でも、もともと1つの作品を作るのに時間をかけるタイプで、ストーリーを考えるときも、閃きをあまりあてにせず、自分の中で熟成する時間が必要なんです。映画作りって、1本に3~4年かかりますから、その長い時間、自分がその世界の中で生きられるかどうかが重要で、それを確かめるためにも時間がかかるんです。

‐‐前作も今作も、「男性」というのが重要なキーでありながら、実際に登場するのは母と娘という、なんとなく“男性の不在”を感じさせるものになっていますね。これは監督ご自身が母と娘の関係に惹かれているからなのか…どういう意識が表れているのでしょう?

監督 そのご指摘については、今改めて2つの作品を比べてみて「あ、そうだな」という感じに思っています(笑)。これらの作品の中で男性の出てくる場面は時間上すごく短いのですが、物語の上でとても重要な役割を担っています。前作も今作も、男の人たちは映像からは消えていきますが、残された女性たちが彼らを軸にしながらストーリーを展開していく構造になっていますよね。現在、たくさん作られている映画を見渡すと男性の映画がとても多い。私には女性として、やはり同じ感性を持った女性を描きたいという気持ちがどこかにあるのかもしれませんが、あくまでもこの作品は、いなくなってしまった男の人たちをめぐる映画だと思っています。

‐‐まったく個人的な感想で恐縮ですが、私も未婚で一人暮らしの女性なので、生活の中で男性がいないと困るシチュエーションというのは監督の作品の描写に非常に共感する部分があります(笑)。

監督 (いないと困るかどうかは)まあ、どんな男性かによりますけどね(笑)。今回の『パパの木』の世界では、夫として、父親としての男性の存在はものすごくしっかりしたものがあったと思うんです。彼が生きていたときの主人公ドーン(C.ゲンズブール)は、母としても妻としてもとてもしっかりした女性のようにまわりからは見えていました。彼女自身も、まさか自分がそんなに弱い人間だとは思っていなかった。けれど突然夫を亡くし、はじめて自分の気持ちの不確かさに気がつくんです。私もドーンと同じような状況にあったとき、身近な人を失ったショックというのは非常に大きなものがありました。そしてある期間においては、その喪失感を隠さず外へ出していくことが、その喪失を受け入れることになるんじゃないかと思ったんです。

‐‐ご主人の死を経験された後、ドーンの性格や設定に変更を加えた部分はあるのでしょうか?

監督 この作品には、自分自身の多くが投影されているとは思いませんし、自分の日常と特に似ている部分もありません。ですが夫を亡くした経験は、ディテールの描写に少しだけ反映させている部分があります。例えば、扉の間から差し込んできた太陽の光によって、元気に生きなきゃいけないという気持ちになったり、子供への愛情を再確認しながら、やはり子供たちを最優先に考えてこれから生きていこうという気持ちに変わる部分がそうです。あとは、父親を亡くした後に子供たちが口にするセリフは、自分の体験と近いところがありますね。でも、私は自分の人生をストーリーの中で語りたいとは思っておらず、距離をおきたいという思いの方が強いんです。ですが、つらい時期にこの映画を作ったことで、自分を解き放ち、生きることへの後押しをしてもらったと感じています。
この作品を撮りながら、大切な人を失った悲しみから立ち直る方法は千差万別だと思いましたね。もしも自分の娘がシモーン(M.デイヴィス)のように木と会話し始めたら驚いて「専門医に診せたほうがいいかしら?」と思うでしょうけど、苦しみから立ち上げるために空想が必要であればすればいいとも思うんです。それによって彼女たちの気持ちが解き放たれ、より豊かなものになればそれでいいですよね。

‐‐子供ながらも早熟な一面を持つシモーンと、逆に少女のような母親の関係が興味深い作品でした。父親を亡くした直後のシモーンは「幸せか哀しいかだったら、幸せの方がいい」と現実を受け入れているかのような大人な発言をしますが、母親のそばに別の男性の影が見え始めてから一転して不安定になっていく変化が興味深かったです。

監督 今おっしゃったセリフは、私の娘の言葉を活かしたんです。幼いときに父親を亡くすると早熟にならざるを得ない状況になるわけですが、ドーンがほかの男性と恋人関係になった時に、少なくともシモーンにはまだ父親がいるんです。それはシモーンにとって、あってはならない状況でしょうし、嫉妬もあるでしょう。そんな中で一家は嵐に巻き込まれ、混乱のなかで家族がまた一つになっていく。子供たちは子供に戻り、母親は母親に戻っていきます。頼りにしていた存在を失ってしまうと、気持ちも揺れるし様々な問題が生じてきますが、それらを経てまた新しい家族になれるということがあると思う。また、今まで思い至らなかったけれども、まわりの人たちが自分たちを支えてくれているんだということにも気が付きます。大変な時期を経て、「彼はいなくなってしまったけど、おかげで私はこんな豊かな生活を得ることができた」という気持ちに変わっていくと思うんです。

‐‐フランスでは近年、女性監督の躍進が顕著ですよね。監督ご自身、フランスの映画業界にいて何か変化を感じることは?

監督 女性監督が1本目の作品を撮れる環境が随分整ってきたと言えると思います。ただ、2本目もできるかというと、そこからはまた別の問題になるのですが…。フランスで映画の世界は長い間男たちの現場でした。それが今、男女のウエイトがだんだんと同等になりつつあるんですよね。監督だけではなく、プロデューサーや配給、スポンサーになってくれるテレビ局の映画事業部でも重要なポストに就く女性が増えてきています。ですから、女性監督が企画を持っていったときに、きちんと向き合ってもらえる環境が出来つつあるのです。一方で、大きな国際映画祭をみると、選定者側の視点がまだまだ男性的だという状況もありますよね。あと、資金調達においても、スポンサーが大企業の場合、オーナーはまだまだ男性ばかりです。ただ、男社会を撮る女性監督もいるし、逆に女性の感性を美しくすくい取る男性監督もいる。観ただけでは監督が男か女か分からない作品がたくさんありますし、その違いは見えても、見えなくても、どちらでもいいと思うんです。重要なのは、男女に機会が平等に与えられることだと思っています。


Profile for JulieBertucelli
1968年フランス生まれ。クシシュトフ・キシュロフスキ、ベルトラン・タヴェルニエ、オタール・イオセリアーニ、リティー・パニェ、エマニュエル・ファンキエルらの助監督を務め、経験を積む。長編劇映画デビュー作『やさしい嘘』で、2004年カンヌ国際映画祭国際批評家週間のグランプリ、セザール賞最優秀作品賞を受賞する。


<取材後記>
柔らかいのに力強い。この『パパの木』という映画が持つカラーは、ベルトゥチェリ監督の雰囲気にぴったり重なる印象を受ける。「言っとくけど、男って子供と同じだから、あんまり役に立つと思わないほうが良いわよ(笑)」という有難いアドバイスもいただきました。





パパの木
原題:The Tree
監督・脚本:ジュリー・ベルトゥチェリ
原作:ジュディ・パスコー(「パパの木」)
出演:シャルロット・ゲンズブール、マートン・ソーカス、モルガナ・デイヴィス、エイデン・ヤング
配給:エスパース・サロウ
2010年/フランス・オーストラリア合作/100分
© photo : Baruch Rafic – Les Films du Poisson/Taylor Media – tous droits réservés – 2010

6月1日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

公式HP:http://papanoki.com/

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