『グランド・マスター』俳優が佇まいで魅せる、武術家たちの夢と人生
ストーリーよりも詩情、芝居よりも佇まいを見る映画である。
準備期間8年、撮影期間3年。6年ぶりに堪能できるウォン・カーウァイ監督の新作は、ブルース・リーのただ一人の師として知られる伝説の武術家イップ・マンが主役のカンフー映画だ。その『グランド・マスター』は、近年立て続けに製作されたどのイップ・マン映画とも違う。一人の偉人の伝記でも、手に汗握る活劇でもない。各流派を極めた宗師(グランド・マスター)たちの姿を通してウォン・カーウァイが伝えようとするのは、中国近現代史の激流の中で生きた武術家たちの人生哲学と、中国武術の精神だ。
脚本を用意せず、撮って撮って撮りためた映像を、削って、紡いで、一本の映画に仕上げていくという独特のスタイルは今作でも相変わらず。それが「ウォン・カーウァイの映画はストーリーがよく分からない」と一部観客から敬遠される原因でもあり、今作でもチャン・チェン演じる八極拳の使い手・一線天(カミソリ)の出演パートなどは明らかに刈り込まれ過ぎてもはやストーリー上の役割がよく分からない。しかし冒頭にも述べたように、この映画にとって、いや、この映画に限ってと言うべきか、大切なのはストーリーではない。過剰なまでの映像美に絵画の一部のように溶け込みながらも、本物の武術家の精神を伝えられる俳優たちの佇まいこそが見どころである。
映画の心を伝えるために、俳優たちに求められたのは、真似事ではない本物の武術の心得だった。40代も半ばになって本格的な武術訓練を開始し、2度の骨折を経験しながら“レジェンド”の人生を体現した主演のトニー・レオンはもとより、チャン・チェンは八極拳の中国大会で優勝してしまうほどトレーニングにのめり込んだ。幼い頃からダンスのトレーニングを積み、これまでもスクリーンで可憐なアクションを披露してきたチャン・ツィイーにとってもトレーニングのハードさは例外ではなく、出来うる限りの最高を見せ切った手応えのある彼女は「しばらく映画でアクションはやらない」と中国メディアの取材で語っているほど。
トップスターたちは、なぜここまでウォン・カーウァイの映画に献身するのか?それは、この作品を観れば理解できる。過剰な演技をしないトニーの静的な魅力は、ウォン・カーウァイのフィルムでより一層輝きを増し、この映画のチャン・ツィイーは、過去の彼女のどの出演作よりも美しく、女性を撮るのが巧いウォン・カーウァイ作品の中でもキャラクターの強さで群を抜く。最高の姿をスクリーンに焼き付けてもらえる絶対の信頼感があるからこそ、彼らは全身全霊をかけて臨む。「精進すれば報われる」——この映画が描く武術家たちの生き様が、俳優たちの生き様とシンクロする。
冒頭、雨の中でイップ・マンが闘うシーン。この部分だけで30日間、毎晩休みなく撮影が続けられたという(トニーはそのため気管支炎を患った)。一流の俳優・スタッフの時間と能力を存分に使い、呆れるほどの時間をかけたどこまでも贅沢な映画『グランド・マスター』。その唯一無二の魅惑的な味わいと、グランド・マスターたちの夢と人生に酔ってほしい。
グランド・マスター
原題:一代宗師
監督・脚本:ウォン・カーウァイ(王家衛)
武術指導:ユエン・ウーピン(袁和平)
音楽:梅林茂、ナタニエル・メカリー
出演;トニー・レオン(梁朝偉)、チャン・ツィイー(章子怡)、チャン・チェン(張震)、趙本山(チャオ・ベンシャン)、小沈陽(シャオ・シェンヤン)、ソン・へギョ、マックス・チャン(張晋)、王慶祥(ワン・チンシアン)
配給:ギャガ
香港・中国・フランス合作映画/2013年/123分
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5月31日(金)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国にて公開