『旅立ちの島唄~十五の春~』吉田康弘監督インタビュー
沖縄本島から東へ360㎞離れ、“絶海の孤島”と呼ばれる南大東島には高校がない。島の子どもたちは中学卒業後、進学のために島や家族と離れる。そのため民謡グループ“ボロジノ娘”は、15歳の節目ごとにメンバーが入れ替わる。中学卒業の春、ボロジノ娘は南大東島の島唄「アバヨーイ」(※)を多くの人々の前で、家族への想いを込めて歌う・・・。
そんな実際の出来事を元として、島の中学3年生でボロジノ娘のリーダー、優奈の旅立ちまでの1年を描いた『旅立ちの島唄~十五の春~』が公開される。優奈役の三吉彩花が三線と島唄に吹き替えなしで挑戦したことも大きな話題だ。吉田康弘監督が南大東島のドキュメンタリーから着想を得、練り上げた家族の物語。この映画を完成させるに至る、南大東島での綿密な取材などのお話を伺った。
(※)八丈島の方言で“さようなら”の意味。南大東島は1900年に八丈島からの開拓者が移住したこともあり、八丈島の文化が溶け込んでいる。南大東島の歴史などの詳細はこちら。
●沖縄の人たちに納得してもらえる作品にしたい
――まず、本作の舞台である南大東島の人たちに映画の企画を相談したとき、島の人たちの反応はいかがでしたか?
吉田康弘監督(以下吉田):南大東島の人たちは、東京は怖いというイメージを持たれていて、警戒心が強かったようです。まずは取材のために島を訪れましたが、すぐに「怪しい奴らがいる」と島中で噂になっていました。だから彼らとは時間を惜しまず、コミュニケーションを密にしなくてはと思いました。島の区長さんや学校の先生方の集まりの場に何度もお邪魔して、映画の趣旨を説明しました。表面上は賛成してくれたんですが、後から聞くところによると、「詐欺じゃないのか」と僕たちを疑っていたらしいんです。とにかく、島の皆さんの信頼を勝ち取る必要がありました。一緒にお酒を飲んだりもしましたね。撮影が始まるまでの準備を怠ると上手く行かないと思ったので、普段より丁寧にやりました。
――映画全体からは、スポット的に美しい風景のシーンを入れるなどの観光映画的な要素がなく、島の人たちの目線に立った作品のように感じました。白い砂浜などもなく、観光地としてのラグジュアリー感のある沖縄のイメージを覆されました。
吉田:内から見た沖縄を撮りたかったんです。沖縄の人にもスタッフとして参加してもらい、一緒に映画をつくり上げたという感覚です。南大東島は晴天よりも、曇りの日のほうが圧倒的に多いのですが、そういう日もきちんと描こうと思いました。いつも天候が良く、のどかで陽気に暮らしているという牧歌的な沖縄でもなく、観光地としての沖縄でもなく、リアルに島に生きている人の生活を細やかに見つめる映画にしたいと思いました。島の人たちは空と海とに直結して生きていることも伝えたかったのです。
――取材を進めていくうちに、「リアルな沖縄を描きたい」という思いがより強くなったのでしょうか?
吉田:これまでにも沖縄を舞台にした映画やドラマはたくさんありますが、一観客として見ていたときに、沖縄の描き方が一辺倒だなと思っていました。僕は大阪出身ですが、「関西人ってこうでしょ」と外からのつくられたイメージが先行して、いつも「なんでやねん」などと言っているように思われるのが疑問でした。同様の不満は沖縄の人にもあるのではないか、と考えたんです。何度も島を訪問して取材を進めるうち、自分たちが納得できるような沖縄の作品がないという意見もあり、僕が目指しているところは間違いではないと確信しました。
――確かに、大阪の「なんでやねん」と同様に、「なんくるないさー」などといつも明るく言っている沖縄の人たちという、先入観があるかもしれませんね。
吉田:方言一つとっても、違和感を持っている人が多かったようです。のどかで、いい人ばかりというイメージで映画を撮るのは、真摯ではないと思うのです。作品のジャンルにもよるとは思いますが、実在する島を舞台にした作品なので、現地で取材し、彼らを知らないと、こちらの先入観を押し付けても失礼だし、そんなもので人を感動させることはできない。沖縄の人たちに納得してもらえる作品にしたかった。とにかく取材を重ね、人々の意見や生活をリサーチしながら物語を練っていきました。
――優奈役の三吉彩花さんの三線と島唄が素晴らしくて見どころの一つですが、練習は2ヶ月くらい行ったと聞いています。三吉さんの様子はいかがでしたか?
吉田:三吉さんは音感がとても良く、三線の上達は早かったので、心強かったです。三線を気に入って、相棒のように思ってくれていたようです。むしろ三線よりも島唄が難しかったですね。やはり普通の歌と違うし、何よりも歌詞を理解してもらい、それを自分のなかに落とし込むことが優奈の役作りに直結しています。優奈は旅立つ前に、両親の前で別れの唄「アバヨーイ」を歌うことになります。実際に(母親役の)大竹しのぶさんや(父親役の)小林薫さんをはじめ、大勢のエキストラの前で歌うのですから、相当緊張したでしょう。でも、それを乗り越えてもらわないと映画自体が成立しないので、冷たいようですが彼女を追い込んで、やってもらうしかないと考えました。彼女も撮影当時15歳で、いろいろなスケジュールを抱えながらこの映画に取り組んでいたので、大変だったと思います。
――そんな三吉さんに、具体的にどんな追い込み方をされたのでしょうか?
吉田:三吉さんは弱音を吐くことはありませんでしたが、苦しんでいるように見えたときもありました。でも僕としては、映画づくりに譲歩できない。彼女にやってもらうしかない。唄を別録りすることは、当初から念頭にありませんでした。下手でもいいから、歌詞の意味を感じながら、親を想って歌うだけでいいから。この役をやり遂げるためには自分自身でやってもらうしかないからね、という追い込み方をしました。その甲斐あって、三吉さん自身の女優人生にとっても大きな壁を乗り越えたのではないでしょうか。自分が15歳だったら同じことは無理!って思いますから(笑)。本当にガッツのある女優さんです。
●エキストラの人たちの実体験が、作品を豊かに
――映画には南大東島の人たちがエキストラとして参加して下さっていますが、何人くらいの方が参加されたのでしょうか?
吉田:正確な人数は把握していませんが、恐らく島の半分くらいの人たち(島民の人口:約1300人)が出て下さったのではないでしょうか。お祭りやコンサートのシーンでは一度に2~300人が参加してくれました。
――エキストラの人たちについて、印象的なエピソードはありますか?
吉田:エキストラはそこにいるだけでいいというような「借りてきた猫」ではなく、高い要求をしていたのですが、すべてのシーンを豊かにしてくれました。彼らにとっては自分たちが経験してきたこと、これから経験するであろうことを題材にした映画なので、ことさら身に沁みていたようです。映画と同じように娘さんを島から送り出した人も参加してくれましたが、シーンの意味を理解して下さっていました。編集しながら「こんなにいい表情をしていたんだ」とか「こんな細かい仕草をしてくれていたんだ」とか本当にリアルに感じました。南大東島が舞台で、その島の人に出てもらったことが一番の特権ですね。どこか他のロケ地で南大東島をつくるのは無理です。現地に赴き、現地の人たちとつくる。シンプルだけど、そのおかげで心に強く響く映画になったと思います。
――優奈が「アバヨーイ」を歌うシーンですが、コンサートの舞台に立った彼女が一度顔を背ける仕草が印象的でした。それは泣いているのかもしれないし、緊張で怖じ気づいたのかもしれないなどと、いろいろな捉え方ができます。優奈の顔の表情を撮ることも可能だったはずですが、背けた姿だけを撮り続けた理由は何でしょうか?
吉田:この映画をつくるに当たっては、「堪え忍ぶ」ことがテーマでした。過剰に作劇に陥らないこと。もっとベタな展開にできたシーンは幾度もありました。観客を泣かせるように誘導する演出もできましたが、できるだけ引いて引いて、粛々と堪え忍んで、丁寧に撮ることを徹底しました。月9のドラマではないんだからと、ひたすら我慢。そんなつくり方こそが、南大東島と家族の物語に相応しいと思いました。父親と娘がぶつかり合うシーンがあってもいいんじゃないか、父親に格好良いことを言わせたほうがいいんじゃないかとも思えますが、それではリアリズムではない。どこかで見たことがあるようなドラマに陥らないように、と心がけました。
――本作では特に回想シーンもありません。優奈の旅立ちという映画の終着点に、淡々と時系列で向かっていく印象です。両親が別居している理由や彼らのぶつかり合いを登場人物の回想で描く方法もあったかと思いますが。
吉田:リアリズムに見せたかったので、そういう作為的な手法はあり得ませんでした。なので、説明的なシーンやセリフはできるだけ排除しました。優奈が回想するにしても、回想している事柄をわざわざ映像で見せる必要はない。回想しているときの顔の表情だけでいいんです。両親の真意なんて15歳の子に完全に理解できるはずがない。でも彼らが自分を愛していることだけは伝わっていて、彼女自身が親への想いを「アバヨーイ」に乗せて歌うだけ。そういうシンプルな表現で充分だと思っています。それに、僕は観客の想像力を頼りにしています。観客の想像力をバカにしているような過剰な説明は、つくり手が観客と一緒に映画体験をしていないことだと思います。
――本作の、特にどんなところを観客に見てもらいたいと思いますか?
吉田:南大東島では家族が離れ離れに生きていくことが宿命づけられています。子どもが島を離れることで物理的な距離ができてしまうけれど、心の距離までもが開くわけではないはずです。そこには家族の絆の強さがあると思います。そういう意味において、特に家族と離れて生きる人たちへのエールになればいいですね。
〈後記〉
本作は人間のごく普通の感情を描いた、シンプルな物語だ。シンプルだからこそリアル感がないと、嘘くさく感じてしまうだろう。吉田監督はそのことを熟知しており、そのために徹底的に取材を重ねてきた。「島の人たちの協力なくしては、映画はできなかった」と語ってくれたが、そんな南大東島の人たちへの感謝や敬意の念を、映画に還元したいという、監督の誠実な思いが垣間見えたインタビューだった。
〈プロフィール〉
吉田康弘(よしだやすひろ)
1979年7月5日、大阪府出身。なんばクリエイターファクトリー映像コースで井筒和幸監督に学ぶ。同監督作品『ゲロッパ!』(03)の現場に半ば押しかけるように見習いとして参加し、映画の世界へ。その後、『パッチギ!』(05/井筒和幸監督)、『村の写真集』(05/三原光尋監督)、『雨の街』(06/田中誠監督)、『嫌われ松子の一生』(06/中島哲也監督)などの製作に参加。石田卓也、大竹しのぶ主演映画『キトキト!』(07)で監督デビュー。脚本家としても活躍しており、井筒和幸監督作品『ヒーローショー』(10)、『黄金を抱いて翔べ』(12)では脚本を担当。今年は本作のほか、福士蒼汰主演『江ノ島プリズム』の公開を控えている。
▼作品情報▼
監督・脚本:吉田康弘
出演:三吉彩花、大竹しのぶ、小林薫
製作:2012年/日本/カラー/114分/シネスコサイズ
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/shimauta/
©2012「旅立ちの島唄~十五の春~」製作委員会
5月18日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
4/27(土)~ 沖縄・桜坂劇場にて先行公開