【イタリア映画祭】家への帰り道で

経済危機と家族と、名もない騎士たち

家への帰り道で ジェノヴァで、小さな工場を経営するアルベルト(ヴィニーチョ・マルキョーニ)は、妻ラウ(ドナッテラ・フィノッキャーロ)と二人の子供と共に郊外の庭付きの一軒家に暮らしている。会社に行く夫を見送りながら「忘れな草が無くなったの。以前は庭にたくさん咲いていたのに」と彼に注文する妻は、どこか浮世離れした人である。一見すると、平穏そうな家庭。が、その実夫の会社は火の車である。イタリアの経済的な危機がこの物語の背景にあるのだ。政府の財政再建政策のため、税金が上がり中小企業は大きな打撃を受けている。アルベルトの会社もその煽りをくったのだった。

 彼は何とか会社を存続させるべく犯罪組織と接触、違法物品を運ぶ仕事を引き受ける。ところが別の組織がそれを嗅ぎつけ、彼が出掛ける直前に自宅に乱入、家族を人質に取る。「ブツを所定の場所に届ける代わりに自宅に持ち帰らなければ、家族の命は保証できない」彼は、家族に後ろ髪をひかれながら違法物品を受け取るため、ナポリへと旅立っていく。

 彼が危険を冒して違法物品を運ぶ旅は、どこか忘れな草の名前の由来となったドイツの騎士伝説を思わせる。恋人同士の騎士と乙女が、ドナウの川岸を散歩していた時のこと、乙女は川面を流れる一束の青い花をみつける。彼女がそれを欲しがったので、騎士はすぐに川に飛び込むのだが、花に手が届いた瞬間、彼は急流にのみこまれてしまう。重い鎧で溺れそうになった騎士は、最後の力を振り絞り、乙女に花を投げながら「私を忘れないで!」と叫ぶと共に流れに吸い込まれてしまうという話だ。

 忘れな草が好きな妻は、夫に騎士幻想を抱いている。真面目一方で要領の悪い自分を責める夫に、妻がそんなあなたが好きと言うのは、そういうことである。景気のいい時代ならば、それで良かっただろう。忘れな草は、妻の望んでいる生活の象徴でもある。時代が変わりそれがもはや幻想であるというのに、彼女はそのことに気が付かず、夫はその幻想を守るため川に飛び込んでいかなくてはならない。彼にとっての重い鎧は家族であろう。この物語の不幸の原因は、夫婦がまるで理解しあえていないことである。

 物語の後半は、組織が警戒して雇ったもうひとりの運び屋セルジョ(ダニエーレ・リオッティ)が鍵となってくる。アルベルトと同じように経済的苦境から仕事を引き受けたこの男は、彼と同種の人間である。ただ、妻からはすでに見離され家庭は崩壊していて、逆に彼のほうが未だ妻に未練を持ち、ある種の幻想を抱いている。常に自分自身を偽り、言い訳を重ねて生きてきたような男だ。尾羽うち枯らし、浪人風情といったほうが当たっているような人物だが、アルベルトの意志をついだこの男が逆に現代の騎士になっていく。彼の旅は、幻想から脱し現実と、自分自身と向き合う旅であり、子供との絆を取り戻す旅でもある。
 
 これらが意味するところは、イタリアの家族の在り方の変化なのかもしれない。何よりも家族を大切にし、いつも一族が集まり大騒ぎして食事をしているというイタリア映画で繰り返し現れる家族のイメージがもはや幻想になりつつあるのではなかろうか。ふたりの男の明暗を分けたのも、実はそこに気が付いたかどうかにあるように思える。すなわち一方は幻想を守るため、家庭を表面上だけでも平穏に保とうとし無理を重ね続け、他方は、幻想から脱し現実に生きようとしたことの違いである。
 



▼作品情報▼
原題:Sulla strada di casa
監督・脚本:エミリアーノ・コラピ
出演: ヴィニーチョ・マルキョーニ、ダニエーレ・リオッティ、
ドナッテラ・フィノッキャーロ
2011年/イタリア/83分


▼イタリア映画祭2013▼
会期:4月27日(土)~29日(月・祝)5月3日(金・祝)~ 6日(月・休)
会場:有楽町朝日ホール(千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階)
<イタリア映画祭2013大阪>
会期:5月11日(土)~12日(日)
会場:ABCホール(大阪市福島区福島1‐1‐30)
公式サイト:http://www.asahi.com/italia/

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