ヒッチコック

ヒッチコック夫妻、あるいは映画の神様とその守護天使の肖像

Hitchcock タイトルがそのものずばり『ヒッチコック』ということで、もしや冒頭あの「ヒッチコック劇場」の音楽が流れるのかと想像していたところ、まさにそのとおりで、嬉しくなってしまった。ただ、ヒッチコックの前説で始まるということが、何よりこの作品のフィクション性を示している。すべてが真実ではない。特にエド・ゲインに彼が引き付けられるくだりは、作り過ぎ感は否めない。とはいえ、ヒッチコックとアルマ夫妻のエッセンスは存分にこの作品に詰めこまれており、そのことが何より興味深い。

 劇中『サイコ』製作の動機について「若いころのように、また映画で冒険がしたい」と言っているのだが、これはヒッチコック第1回監督作品『快楽の園』を思い起こしての発言のようだ。手持ちの予算が底をつき、演出料の前借りをしてどうにか作り上げた本作では、アルマは助監督兼スクリプターであり、ヒッチコックはワン・ショット撮るごとに、彼女に出来具合を尋ねていたという。居間には、その頃の写真(2作目『山鷲』撮影中のふたり)がちゃんと飾ってある。ふたりは婚約中のはずだ。彼には、もう一度その頃の気分に帰りたいという思いもあったことだろう。
 また、記者に『北北西に進路を取れ』は『三十九夜』の焼き直しじゃないか、まだ引退は考えてないのかと言われたことへの意地もある。(双葉十三郎氏も対談の中でそれを指摘したところ、たちまち不機嫌になったと言っている)よーし、それじゃ敢えて誰もが製作に反対する映画を作って、世間をアッと言わせてやろう。ハングリー精神に溢れたあの頃を思い起こせば、何だってできる。自分が1番じゃなきゃ気が済まない、子供のようなヒッチコックが考えそうなことだ。

 アルマとヒッチコックの関係は、まるで母親と息子のようである。ヒッチコック現れるところ、いつも彼女は影のように付き添っている。映画のプレミアで、あるいは記者会見で、まるでお目付け役のように。「今日はパーティーだから髪を切っていらっしゃい」「いや、その必要はないよ」「よくありませんよ。私もヘアーサロンに行きますから」こんな調子だから、脚本家ウィットフィールド・クックとドライヴに出掛けたアルマは、面倒ばかり掛ける子供からやっと解放されたみたいな気分に浸っている。

 アルマも才能がなかったわけではない。『疑惑の影』の脚本はアルマ・レビルの名前がクレジットされているし、ヒッチコックが監督デビューした頃には、彼女自身すでに優秀な編集者、脚本家として知られており、将来、監督プロデューサーとしても活躍することを嘱望されていた。そんな彼女だからこそ、ヒッチコックの才能に何よりも惚れ込んでしまったのだろう。彼女がウィットフィールド・クックとのランデヴーにいまひとつ浸りきれず、結局夫の元に戻ってきてしまうのは、単に彼が若い女とうつつを抜かしている現場を目撃したということではなく、彼の才能が物足りなかったことも大きな要因に見える。彼女は、夫の才能を最大限引き出すことに、映画人として喜びを感じてしまったのではなかろうか。だからこそ、駄々をこねる子供のような夫をコントロールし、50年もの間夫の影に甘んじることを良しとしたのだろう。才能のある者同士お互いに活かし、活かされた、これもひとつの理想の夫婦像に思える。



▼『ヒッチコック』作品情報
HITCHCOCK_Sub1
原題:Hitchcock
監督:サーシャ・ガバシ
脚本:ジョン・J・マクローリン
音楽:ダニー・エルフマン
原作:スティーヴン・レベロ
「ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ」改訂新装版(白夜書房刊)
出演:アンソニー・ホプキンス/アルフレッド・ヒッチコック
ヘレン・ミレン/アルマ・レビル
スカーレット・ヨハンソン/ジャネット・リー
トニ・コレット/ペギー・ロバートソン
制作:2012年/アメリカ/99分
配給:20世紀フォックス映画
4月5日よりTOHO シネマズ シャンテ他全国ロードショー中
公式サイト:http://www.foxmovies.jp/hitchcock/
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