【TNLF】北欧映画・古典への招待PART1

トーキョーノーザンライツフェスティバル開催記念シンポジウム

2013年1月28日、TNLF2013 記念シンポジウム「北欧映画・古典への招待」スウェーデン大使館オーディトリアムにて開催された。第一部は、早稲田大学文学学術院教授で映画史家の小松弘氏、ストックホルム出身で映画史家のヨハン・ノルドストロム氏による記念講演。小松氏は、マウリッツ・スティルレル監督を中心にした無声時代のスウェーデン映画の歴史について。ヨハン氏は、『密書』が上映されることになっている、ベンヤミン・クリステンセン監督について。興味深い話に、もっと聴いていたいという思いにさせられた。


1.小松弘氏 講演
小松弘氏の講演は、スウェーデンの無声時代の二大監督のひとり、マウリッツ・スティルレル監督を中心にした、スウェーデン映画史。スウェーデン映画がいかにして、世界で有名になり、スウェーデン的なるものを獲得していったかについて。話が泉のように湧いてきて、止まることを知らないかのような熱弁が続き、時間はあっという間に過ぎていった。その一部をご紹介しよう。
スウェーデン映画はデンマーク映画の模倣から始まった
話の中で特に興味深かったのは、ヴィクトル・シェーストレム、マウリッツ・スティルレル、イングマール・ベルイマン監督を産み、グレタ・ガルボ、バーグマンを輩出し、映画が盛んな国というイメージが強いスウェーデンだが、最初はデンマーク映画の模倣から始まったということである。
小松弘氏「スウェーデン映画は、初期の頃から監督俳優とも演劇界から映画界に入ってくるという傾向があります。それは、デンマークとスウェーデンの大きな違いです。デンマーク映画は1911年から1915年がピークで、スウェーデン映画は、その凋落と入れ違いに、10年代後半から世界的に知られるようになってきました。第一次世界大戦中はヨーロッパが混乱していましたので、あまりスウェーデン映画が上映される機会がなかったのですが、戦争が終わった18年以降、スウェーデン映画がフランス、ドイツでたくさん上映されるようになるのです。戦時中は、スウェーデンは中立の立場を取っていたため戦争の影響がなく、映画大国であったフランスで映画があまり作られなかったこの時代、映画がたくさん作られるようになったのです。」
「スウェーデン映画は、デンマーク映画を模倣することからその歴史が始まっています。スヴェンシュカ・ビオ社チャールズ・マグヌッソンは、11年、12年にスティルレル、シェーストレムと契約をし、デンマーク映画を学ばせました。21年には、批評家ルイ・ドゥリュック映画雑誌(ル・フィルム)でスウェーデン映画の特集が組まれます。スウェーデンの過酷な自然、そしてそれと対峙する人たち。エキゾチックな、そしてこれこそが映画の民族的なスタイルであるということが発見されていきます。」
スティルレル監督はスウェーデンの典型ではない
スウェーデンの代表的監督であるマウリッツ・スティルレル監督の特徴としては、
1 スティルレル作品の身体性
「身体言語としての映画俳優の役割ということに関心があった」
2 俳優を鏡に写して自己発見をするという演出
『運命の絆』(19年)不幸な運命に絶望した男が、酒場の大きな鏡に写った自分の姿が嫌になり、鏡を壊してしまうというシーンがあります。『トーマス・グラールスの最良の息子』(18年)にも同様の演出があり、ひとつの特徴になっています」
3 そんなスティルレル監督だが、実は彼はスウェーデン人ではない。
「ヘルシンキ生まれのロシア系ユダヤ人で、スウェーデン国籍を取ったのも18、19年あたりとかなり遅いのですね。『復讐者』(15年)というユダヤの民を扱った作品もあります。外国人にはスウェーデンの典型的な監督と思われているスティルレルが、実はスウェーデン的なものとは本質的にズレているところに彼の特徴があるのですね」
確かに現代でも、いかにも英国的に見えるジェームズ・アイボリー作品が、必ずしも英国そのものではないということがある。(ジェームズ・アイボリー自身はアメリカ人、しかも西海岸出身)スウェーデン映画の黄金時代を築いた代表的監督であるマウリッツ・スティルレル監督の作品が、模倣から始まったこと、そして何よりスウェーデン文化を背景に育ってこなかった人であり、スウェーデンの典型にはなっていないというのは、興味深い事実を指し示してくれる。人というのは育った環境が、その人に影響を与えるものであり、映画の画面からその匂いは、僅かであっても染み出してくるということを。外国の観客には、そこまでなかなか見抜けないものではあるのだが。


2. ヨハン・ノルドストロム氏講演 
映画史家ヨハン・ノルドストロム氏の話は、柳下美恵さんのピアノ演奏で『密書』が上映されることになっている、ベンヤミン・クリステンセン監督について。「照明設計や奥行を生かした演出の見事さは体験するしかない」というわけで、スチール、動画を使いわかりやすく解説。その魅力が余すことなく伝えられた。その一部をご紹介する。
ヨハン氏 ベンヤミン・クリステンセン監督は、演劇、オペラ世界を経て1912年脚本家、俳優としてデビュー、13年『大クラウスと小クラウス』で初主演。14年には自ら映画会社を設立し、『密書』で監督業に乗り出します。これはスパイ映画ですが、最高水準の劇作術、カメラワーク、編集を見せています。残念ながら『密書』は、第一次大戦中ということもあり、国際配給は頓挫してしまいました。第2作『復讐の夜』(16年)は、主人公は殺人の濡れ衣を着せられています。大晦日に怪しい男に押し入られる田舎屋敷という単純な設定で、30分緊張を持続させる編集と演出が見事で、アクションに切れ目がありません。現代の批評家や学者も、これほどうす暗い中で効果的な撮影ができたのは、彼だけだと言っています。現実的に使用可能になった新しい照明機器を広く使用。アークライトをテーブルランプに見せかけることで恐怖を生み出しているのです」
『復讐の夜』のこのシーンは会場で上映されたのだが、確かに素晴らしい。最初に部屋で女がひとり、ドアノブを紐でぐるぐる巻きにして侵入者を防ごうとしているのが映される。薄暗い廊下では、部屋の前に立ち扉を開けようとする男。鍵穴を覗くと、恐怖で女がオロオロしている様子がチラチラ見える。このカット・バック、男の視線でそれを見せるその怖さ。おそらく巨大な鍵穴を作って撮影したのだろう。後年のヒッチコック監督『白い恐怖』で使われた巨大なピストルのトリック、あるいは、扉の下から部屋の光がチラチラと漏れる演出を思わせるその効果。
次にカメラは、明るい光を放つガラス窓の外から女を捉える。暗い外と明るい部屋の対比。女がふとこちら側を見たその瞬間、顔が恐怖に歪む。カメラが少し退くと先ほどの男が今度は窓から侵入しようとしている姿が黒い影となって画面に入り込む。パニック状態になり、ドアノブに巻きつけていた紐を必死に解こうともがく女。窓が破られ男が侵入する…。カメラの引きと、明暗対称の妙。このサスペンス感、この美しさは、確かに今観ても惚れ惚れしてしまう。
その後のクリステンセン監督は、「傑作『魔女』(22年)をスウェーデンで撮影後、ベルリン、パリ、モスクワに渡り映画の勉強をします。ドイツのウーファー社で2本監督したあと、ハリウッドに招かれます。その際、MGMのルイス・B・メイヤーに「彼は狂人か天才か」と言われ、引き抜かれたというエピソードが残っています。25年29年の間に、6作品監督(MGM2作、ファーストナショナル4作)し、10年間ハリウッドで生活した後、彼はデンマークに帰国しました。帰国後34~39年にも映画を作りますが、評価は悪いです」
ヨーロッパの監督がハリウッドに渡って、その才能を潰されるということは、現代でも見られる現象だが、彼の場合は特に、自ら製作、監督、脚本、主演をする個性の強い監督ゆえに、ハリウッドのプロデューサー・システムに合わなかったのだろう。それでもと、ヨハン氏は続ける。「クリステンセンは、デンマーク映画の黄金時代に数々の傑作を生み出した監督のひとりです。彼の特徴は、照明設計におけるひかりと影の対象の妙や息を呑むような美しさ絵画的な構図にあります。確かに映画人生の後半は活躍の機会が狭められましたが、無声時代の世界映画史における意義は風化しておりません」
今年の映画祭、『密書』だけは、見逃せない。

☆関連情報
「【TNLF_2013】トーキョーノーザンライツフェスティバル開催記念シンポジウム『北欧映画・古典への招待』PART2」

「トーキョーノーザンライツフェスティバル2013 ~北欧の美しき光(映画)に魅せられる1週間~」


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公式サイト::トーキョーノーザンライツフェスティバル 2013

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