『塀の中のジュリアス・シーザー』芸術の神に触れた囚人たち

何と残酷な映画なのだろう。

舞台は、ローマ郊外にある刑務所。演劇実習でシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を演じることになった囚人たちが、稽古に稽古を重ね、一般観衆の前で上演をするという、言ってみればシンプルなストーリーだ。ただし本作の特異なところは、それが本物の刑務所内で、実際の服役囚たちをキャスティングしている点にある。

監督は『父/パードレ・パドローネ』で知られるイタリアの巨匠、パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟。以前刑務所の演劇実習でダンテの「神曲」の朗読劇を見て本作の着想を得たと言う。そして劇中劇として選ばれた題材が『ジュリアス・シーザー』だ。このチョイスにはなるほど!と思う。シェイクスピアの戯曲は諸外国の伝説や歴史が原典になっているものが多いが、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)はまさにこのローマに生きた軍人。イタリア人にとって非常になじみの深い人物であるうえに、シーザー暗殺事件に至っては誰もが知るところだ。

さらに、シェイクスピア、である。まったく、彼の作品で露わにされる人間の欲望や本性は、いつの世も人々の心を乱すものだ。愛情と憎悪、羨望と嫉妬、忠誠と裏切り、揺れ動く心理と葛藤。ローマに対する愛国心ゆえにシーザー暗殺を画策した男たちを、殺人や麻薬、マフィアなどの組織犯罪などに手を染めた囚人たちが演じると言うのがなんとも興味深いではないか。

ところが、実際に映画を見て感じた本作の醍醐味は、演劇の素養もない素人の服役囚たちが次第にのめり込んでいくさまにあった。独房で日々を送る彼らにとって、演劇、しかも「演じる」という行為は非日常そのものだ。かつて味わったことのない熱狂と興奮。役になりきり熱心に自主稽古を続ける者、自ら犯した罪や過去のトラウマに苛まれていく者、虚構と現実のはざまに陥る者…。やがて刑務所はまるでローマ市民が集う広場のような雰囲気を醸し出していく。彼らの中の、行き場のない炎のようなエネルギーは本番当日にその頂点を迎える。

しかし私は危惧した。ここまでの熱狂を経験してしまった彼らは、この後どうなるのだろうか? と。

本番での大喝采を浴びた後、彼らはまた自分の独房に戻っていく。「芸術を知った今、監房は牢獄になった」。一人の囚人のモノローグを残して、この映画は終わる。

何と残酷なのだろう。冷酷なまでに非日常から日常に付き戻され、今も塀の中にいる彼ら。罪作りな話ではないか。しかし……本当はそうではないのかもしれない。この喜びを知ってしまったけれど、「知らなかったあの頃」に戻りたくはない。知らない方がよかった、とは思わないのではないかと。刑務所の演劇実習の枠を超えて、彼らは芸術に触れたのである。

演劇や音楽、美術や映画。素晴らしいと思えるものに触れてしまったら、私たちの誰もがそれらの囚人になってしまうのかもしれない。この気持ちをまた味わいたいという思いに突き動かされ、次なるものを追い求めていく。人間の欲求に果てはなく、その追求はもしかしたら終わりのない地獄かもしれない。でも、その先に何かがあると信じて求めあがくことが、芸術に魅入られるということなのだろう。

実習で演劇に目覚めた男が、出所後に本当に俳優になって、本作はじめ様々な作品で活躍していることを知り、その思いを強くしたところである。

 


 

▼作品情報▼
監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ
出演: コジモ・レーガ、サルヴァトーレ・ストリアーノ、ジョヴァンニ・アルクーリ
2012年/イタリア/76分
2013年1月26日(土)銀座テアトルシネマほかにてロードショー
© 2011 Kaos Cinematografica – Stemal Entertainment- LeTalee Associazione Culturale Centro Studi “Enrico Maria Salerno”
公式HP http://heinonakano-c.com/index.html

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