レオス・カラックス監督が渋谷に降臨!最新作『ホーリー・モーターズ』を語る

自分が誰であるかという答えを探している人間を描いている

レオス・カラックス監督

『ポンヌフの恋人』(91)などで熱狂的なファンを持つレオス・カラックス監督が、待望の最新作『ホーリー・モーターズ』を引っさげて来日。1月28日、ユーロスペース(東京都渋谷区)で記者会見を行った。

昨年の第65回カンヌ国際映画祭で絶賛された本作。本国フランスの映画批評誌カイエ・デュ・シネマが選ぶ2012年の映画第1位となるなど高く評価されている。また、先日発表されたセザール賞ノミネーションでは、作品、監督、主演男優、助演女優、脚本など9部門で候補に挙がった。これまでセザール賞とはノミネートすらほぼ無縁だったカラックスにとって、これはかなり特異的な事件らしい。『ポーラX』(99)からは実に13年ぶりの新作であることも追い風になったのだろうか、フランスでもヒットした。

13年ぶり。しかし、ここまで寡作とは当人すら予想していなかったようだ。衝撃的な長編デビュー作『ボーイ・ミーツ・ガール』(84)から、彼が手がけた長編は本作を含めて5作。フィルモグラフィーを眺めても、本当に少ない・・・と実感せざるを得ない。「せめて10本くらいは撮っておきたかった」「自分が撮りたいときに、撮れる状況では必ずしもなかった」とカラックスは振り返る。『ポンヌフの恋人』では事故や不運も重なり、予算超過で製作会社が倒産したことは有名だが、その後の『ポーラX』も本人が「失敗」とこの場でも明言するほどで、「さらに映画づくりが難しくなった」という。「(『ホーリー・モーターズ』の)次の作品が完成するまでに、また14年かかるのかどうか、自分でもどうなるのか分からない」という弁には、冗談なのか本心なのか、笑い飛ばせないような微妙な心境に陥ってしまった。

カラックスは、フランス国外でフランス語以外の外国語で映画を撮ることを望んでいたのだが、諸事情で果たせなかった。でも「映画を撮らなかったら頭がおかしくなりそうだった」と映画への情熱は冷めやらず、素早く映画を完成させる方策として、①パリでの撮影、②低予算、③デジタルカメラでの撮影、④撮影中はラッシュを見ない、⑤ドゥニ・ラヴァンの主演起用、の5条件を示した。特に、アレックス3部作(とミシェル・ゴンドリー、ポン・ジュノと参加した短編オムニバス『Tokyo!』)に主演し、カラックスの分身的存在として語られるラヴァンについて、「彼なら僕の空想力を制限する必要がなく、僕の全ての要求をこなすことができる。彼に説明する必要はないんだ」と全幅の信頼を寄せている様子を窺わせた。と思いきやその一方で、「僕らはディナーを1度しか一緒にしたことがないんだ。知り合って随分長くなるけれど、プライベートの友人ではないし、本当の意味で話し合ったこともない。不思議なものだね」と、意外な関係性を明かした。

そのラヴァン演じるオスカー氏は、朝、白のリムジンに乗って仕事に向かう。彼の仕事とは、運転手セリーヌから渡される書類をもとに様々な場所に赴き、指示された人物になり切ること。それは、大企業の社長、殺人者、物乞い、怪物、父親など多岐に亘る。だが、オスカー氏はいったい何のためにそんなことをしているのか・・・?
物語としては、かなり摩訶不思議。この物語の着想の出発点について「自分自身でいることの疲労と、新たに自分をつくり出す変化という2つの相反する感情」と述べるカラックス。それを描くためにSFの世界を空想したという。「SFであれば、では現実とは何か?という問いかけがある。SFを通して、ある人生から別の人生へと旅をするという、この世には存在しない職業をつくり出して、それを一日に凝縮してみせた」と映画の趣旨を解説する。

本作でのオスカー氏の演じる様子を見ていると、いったいどれが本当のオスカー氏なの?と、オスカー氏の正体を見破りたい衝動に駆られる。だが、カラックスは「オスカー氏が誰か?だなんて、僕には分からないし、そういう疑問は提起されるべきではないと思う」と答える。「この映画では、自分が誰であるかという答えを探している人間を描いている。その際に、オスカー氏とは誰?なんていう疑問に答えはないんだ」。

自分を演じることとは何か?自分とは誰か?それを含めて“自分”なのか?――そんな思いが堂々巡りする。「人は何らかの役割を演じているときと、自分自身が何者かを知ろうとするときの間を行き交う旅を続けているようなものではないか?」というカラックスのことばが印象的だ。一見、突飛な世界でありつつも、“自分探し”という、ある種普遍的なテーマが根底に見え隠れする。そういう意味でも、本作は複雑だけどシンプルな映画という、やはり相反するものが凝縮された作品と言える。
また、カラックスは「僕自身、すでに様々な役を演じている。それは自分自身を前進させるため、あるいは守るためでもあるが。プライベートな生活でも同様だ」というように、映画監督を“演じる”ことを意識しているのであろう。サングラスはかけっぱなしで表情はよく見せず(恐らく無愛想)、会見場内は禁煙であるのに、会見中ずっとタバコを指に挟んでいるなど(注:火はついていません)、そのスタイルを貫いて“演じる”ことも、彼独自の美意識のように思えた。

そして、はっとさせられたのが、カラックスの空想力の豊かさだ。オスカー氏が乗るリムジンについても、「大きな棺みたいで不吉でエロティック。外観は目立つのに、中の様子は見えない。そんな中の人たちを想像してみた。彼らはリムジンをレンタルし、その時間だけ、何らかの役を演じているのではないだろうか。自分のステータスを見せびらかすためかもしれないし、隠すためかもしれない。そんなことを思ううちにリムジンに乗って、様々な実像を変えていく人物を思いついた」と、自宅の近所で見かけるリムジンからそこまでの発想に及んでいたことに舌を巻いた。筆者にはここまでの空想力はない・・・。

一方、女性運転手セリーヌの存在の意味については、「自分でも上手く説明できない」などと答える一幕も。セリーヌ役のエディット・スコブの起用の理由は教えてくれたが(彼女は『ポンヌフの恋人』に出演していたが、編集の段階で出演シーンをカットせざるを得なくなり、結果的に彼女の髪しかスクリーンに映らなかったので、いつか起用しなくてはと考えていたという)。恐らく、カラックスは(直感的か熟慮の結果かは分からないが)頭に浮かんだものを映像に変換させているのだろう。その変換回路は、きっと空想力が豊かすぎるため複雑で、言葉では上手く表現できないということだとも感じた。

「僕は観客のために映画をつくっているわけではない。考えているのは自分のこと」と言い切るカラックス。本作も当然、観客のためではない。我々は一方的にカラックスの作品に片思いしているだけだ。だが、イマジネーション溢れる映像のなかに哀愁や怒りやユーモアを滲ませ、この映画と出会えたことに驚きと幸福感に包まれた。17歳で短編映画を撮りはじめ、「映画という島に住んでいる気持ち」という表現で自身の映画への深い思いを語り、「その島を離れることは想像できない」と映画への執着を吐露する。カラックスは資金難に何度も苦しめられたが、この稀有な才能がまた埋もれてしまう事態になるとしたら、何とも残念だ。そんなことを心配せず、(気は早いが)次の作品に出会えることを切に願いたい。

▼作品情報▼
監督・脚本:レオス・カラックス
出演:ドゥニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ、ミシェル・ピコリ、レオス・カラックス
撮影:キャロリーヌ・シャンプティエ、イヴ・カープ
2012年/フランス・ドイツ/フランス語/115分
原題:HOLY MOTORS
提供:ユーロスペース、キングレコード/配給:ユーロスペース
公式サイト: http://www.holymotors.jp/
© Pierre Grise Productionsrre Grise Productions
4月、ユーロスペースほか 全国順次ロードショー!

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