【FILMeX】グレープ・キャンディ(コンペティション)
(第13回東京フィルメックス コンペティション作品)
結婚を間近に控えたソンジュは、出版社に勤める婚約者のジフンが人気作家ソラの担当となったことを知る。実はソンジュとソラは同じ中学校に通うクラスメートだった。自分の恋人が、美人で才能のあるソラに惹かれているのではないかと疑ったソンジュは、ソラに接近するのだが……。
一見、女性の揺れ動く心を描くセンシティブな物語なのかと思いきや、サスペンスの様相を呈しているのが本作の面白いところ。同級生との偶然の再会で、不安感が増し、ひどい耳鳴りがし、疑心暗鬼になり、いつもは取らないような行動に出る。実はソンジュとソラの間には、深い悲しみが存在していた。中学生時代、彼女たちの共通の友人が橋の倒壊と言う悲劇的な事故で亡くなっていたのである。ソンジュはソラへの嫉妬心から、当日の朝に3人で会う約束を、嘘をついて変更していた。あのとき、予定通りに3人で会っていたら……友人は死ななかったかもしれない。
しかしながら、ソンジュはどうもその頃の出来事をよく覚えていないようなのだ。ソラは過去のことをいろいろ質問するのだが、ソンジュはまともに答えられない。忘れたそぶりをしているのか、本当に覚えていないのか? フラッシュバックで挿入される中学時代の描写は、彼女が徐々に記憶を思い出しているように映し出される。どうやら本当に記憶が曖昧なようだ。
忘却とは、人間が持っている特異な力のひとつではないだろうか。辛く悲しいことがあったとき、人はその記憶をなくすことがあるらしい。耐えられないような痛みを避けるために、脳が記憶を消す指令を出すのかも知れない。忘却と言う名の安全装置だ。しかし、ソンジュの記憶の封印は、ソラとの出会いによって否応が成しに解かれ、自己嫌悪感や不安感、人に対する疑念や嫉妬心、そういったものに再び苦しめられることになる。
劇中、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』が用いられているのも象徴的だ。一般的にレクイエムと言えば、カトリックにおけるラテン語の典礼が使用されるが、この曲はプロテスタントであるブラームスがマルティン・ルターのドイツ語訳聖書の中から自ら歌詞を選んだ「ドイツ語のレクイエム」。前者は死者の霊を慰めるものであるが、後者は残された生者を慰めるものとされている。劇中で用いられるソプラノのアリア「今はあなたがたも、悲しんでいる」はまさに、生きているソンジュとソラのための曲であると言えるだろう。
キム・ヒジョン監督は、「1994年に起きた聖水(ソンス)大橋崩壊事故が本作の背景だ」とし、心の傷を抱えている人々に着目するとともに、社会的な事件が個々人に及ぼす影響から逃れられない人々の姿を描こうとしたと語る(東京フィルメックス公式カタログより)。作家であるソラは、痛ましい記憶を小説という形で纏め、ソンジュは記憶そのものを封印しようとした。どれが正しいと言う答えはない。災害や大事故、戦争。年月とともに記憶は忘却され風化していっても、当事者の体には、何らかの形で確実に刻まれているに違いない。
▼作品情報▼
原題:Grape Candy / Chung-po-do Sa-tang
監督:キム・ヒジョン
(韓国 / 2012 / 104分)
▼第13回東京フィルメックス▼
期間:2012年11月23日(金)〜12月2日(日)
(木下恵介の生誕100年祭は12月7日まで)
場所:有楽町朝日ホール・東劇・TOHOシネマズ日劇
公式サイト:http://filmex.net/2012/