【FILMeX】エピローグ

老夫婦の一日、そしてこの国の未来

(第13回東京フィルメックス・コンペティション)

エピローグ イスラエル経済の中心地テルアビブの裏通りに、そのみすぼらしいアパートはある。朝、永年そうしてきたのが当たり前とでもいうかのように、ベッドから妻がまず起き上がる。太った身体を持て余し気味に、だるくて仕方がないといった風情で。80歳、糖尿病を患っていると聞けば、無理もない。妻より少し年上の夫は、彼女がシャワーを浴びているのを横目に玄関を出、「他所の家」の新聞を取りに階下に降りていく。エレベーターのないアパート。4階から昇降を繰り返すのがとても辛そうだ。助けてくれる人はいない。ひとり息子はニューヨークに住んでいるという。この作品は、そんな老夫婦の一日の出来事を追っていく。

妻は糖尿病というのに、必要な薬も満足に買えない。夜間に閉店した市場を歩き食料にするクズ野菜を探し求める。テレビは壊れたまま何年も放ったらかしになっている。満足に暮らしていけるお金さえないというのに、介護認定の調査員は少しでも手当を削ろうと、査定にやってくる。そして彼らが嫌がるのもお構いなしに、規則だからと過酷なテストを繰り返す。そもそも訪問時、ドア越しに調査員の手が老夫の顔の前に突き出されたこと、それがすべてを物語っている。相手の背丈も考えもせず、マニュアル通りに握手を求めるだけ。貧しさ以上に、そんなことのひとつひとつが、より老人たちを社会の隅に追い詰めていく。繁栄する都市の片隅で、彼らはなぜこんなことになってしまったのだろうか。

老夫がかつて、労働運動のリーダーをしていたというところが、この作品のポイントである。「誰もが平等に本を手軽に手に入れ、お芝居を見、ユダヤの文化を享受できる。そんな社会を作ろう」テルアビブは、かつてシオニズム希望の地だったのだ。この地で、彼は先頭に立ち闘ってきた。そういう意味では、彼はイスラエルの歴史そのものである。ところが、一時は到達されたかのように思えた彼の理想も、今や忘れ去られてしまう。

そこで彼は思いつく。「そうだ、協同組合を作ろう。持っているもの、持っていないものをお互いに出し合えば、お金が無くったって皆が幸せにやっていける」彼は、慈善活動に熱心な女性に協力を願おうと、電話を入れてみる。しかし、返ってきた言葉は「あと、いくら寄付すればいいの?それは節税になるの」だった。誰も他人のことなど興味がない。彼女こそ、社会主義に代わって登場した、新自由主義の社会を謳歌する今のイスラエル人の典型なのだ。ネタニヤフ首相は、市場経済こそ彼の宗教と言われるくらい、新自由主義経済の遂行に熱心な人。テルアビブは今や新自由主義の希望の地。その社会がこのような冷たい人間を作り、その代償としてかつて社会を作り上げてきたはずの、彼のような老人の居場所を奪っていったのである。

彼の妻は言う。「いつまでも夢を追いかけていないで、いい加減に目を覚ましてちょうだい」と。確かにその通りかもしれない。彼はもうあまりにも歳を取りすぎている。けれども希望はある。失業率が25%というスペインでは、老夫が思いついた協同組合のような運動が、もうすでに始まっている。15-M運動。貧しい住民たちが、お金を介さずにサービスを提供し合うシステムを作るという社会運動だ。新自由主義の弊害はもはや世界中の問題となっているのだ。イスラエルでも、冷たい行政組織に属していない若者、規則以上のことはやろうとしない病院、大きな企業に属していない貧しい若者たちに人情が存在していることを、本作はきちんと切り取って見せている。この国でも、彼らに希望があるのではなかろうか。それ故に、停電している部屋の中で、蝋燭の淡い光の中で、ドレスアップし最後に祝った二人の美しい結婚記念日は、二人のお葬式のようでありながら、何か新しいものを誕生させる儀式のようにも見えるのだ。老夫婦のエピローグは、実は、新しい社会へのプロローグなのである。



▼作品情報▼
原題:Epilogue / Hayuta Ve Berl
監督・脚本:アミール・マノール
撮影:ガイ・ラズ
出演:ヨセフ・カーモン、リブカ・グール
(イスラエル / 2012 / 96分)


▼第13回東京フィルメックス▼
期間:2012年11月23日(金)〜12月2日(日)
(木下恵介の生誕100年祭は12月7日まで)
場所:有楽町朝日ホール・東劇・TOHOシネマズ日劇
公式サイト:http://filmex.net/2012/

トラックバック URL(管理者の承認後に表示します)